十番隊執務室にて

2021年7月7日
おはなし

十番隊執務室にて

 

 今日は珍しく執務室が静かだった。というのも副隊長の松本が昨晩から流魂街での特殊任務に同行しているからで、まさかこの静けさを寂しいと思うはずがない。
 仕事は溜める趣味がない為、今朝回ってきた分は全て確認を終え押印も済ませた。ソツがないですよね、と松本はやけに白けた様子で時折言うがただ与えられた仕事を所定内に終わらせる事の何処に問題が在るというのだろうか。
 松本の任務には十番隊の隊士十名ほども同行していて、そのせいもあってか隊舎が静かに思えるのだろう。帰還予定は夕飯前くらいだと言っていたから、この静けさもあと二時間ほどだ。
 今日手をつけるべき仕事もなければ、隊長が出張るような任務も特に無い。長椅子に腰をかけるとそのまま横になった。大抵いつもこうして昼寝をしようとすると、近づく足音の後勢いよく執務室の扉を開け放つ副隊長が現れる。
 だが今日はその心配もない。目を瞑りその意識を徐々に落としていこうとしていたその時、この部屋へ近づく気配を感じた。嫌な予感がした直後、扉を軽く叩いた瞬間にがらがらと扉が開かれる。

「失礼します…」

 あれ、と聞き慣れた声が耳に入り日番谷はゆっくりと身体を起こした。精一杯鬱陶しそうな顔で彼女を見れば、目が合う。

「入室前に戸を叩く意味を知ってるか」
「す、すみません…乱菊さんからここで待っててくれって聞いていたもので」

  どうやら松本が今日の任務後に日南田と食事の約束をしていたらしい。松本が任務に出かけている事を伝えればそれは初耳だったようで、居ると思って多少早めに来てしまったのだという。
 討伐任務はたしか昨日の朝決定したはずだったから、約束をしたのはそれより前だろうから知らなくてもおかしくはない。だが帰還が今日の夕刻の予定だとしても、ぎりぎりの約束には変わりないのだから一報は入れるべきではないか。
 昼寝を中断する羽目になったからか、多少苛立つ気持ちを机上に置いていた冷めきった茶で流し込む。
 日南田は松本の不在に少し考えた様子だったが、時計をちらと見た後日番谷の向かい側にある長椅子へと腰を下ろした。そうなるだろうとは思った。日番谷としては二時間後また出直して欲しいものだったが、休日らしく特に自宅に帰ってする事も無いんだろう。

「待たせてもらってもいいですか」
「駄目だ帰れ」
「そんな事言わずに…隊長はお昼寝してて良いですから」

 まあまあ、と彼女は笑いながら遠慮なく菓子盆に乗っていた煎餅に手を伸ばす。よくこの執務室には訪れているから勝手知ったるというところだろう。そのうち茶でも淹れ出すに違いない。
 はあ、と一つため息を吐いた日番谷はまた身体を倒し横になる。この時間の昼寝というのは気温も湿度も丁度良く気持ちが良いものだが、近くでバリバリボリボリと煎餅を噛み砕く音で最低の気分だ。

「浮竹は」
「えっ!?し…仕事ですが……」
「何で今ビビったんだ」
「いや…日番谷隊長から、浮竹隊長の事聞かれるの珍しいなと思って…」

 日南田は口に煎餅を運ぶ手を止めて背筋を伸ばしている。一言名前が出ただけでその様子だと言うのに、普段はどう接しているというのだろう。特に気になるわけではないが、あまり想像が出来ない。
 浮竹へ普通でない感情を抱いている事を知ったのは、偶然松本と日南田の会話を聞いてしまってからだった。当時壁際に向けて置いていた長椅子の上で昼寝をしていたのだが、日番谷の存在に気づかないまま二人が酒盛りを始めその際の会話が耳に入った。
 聞きたくて聞いたわけじゃない。しかし盗み聞きのようになってしまった状況があまり気分良くなかった為、話の半ばで起き上がったのだがあの時の固まった二人の様子は妙に生々しかった。
 聞かれたからには仕方がないと日南田も観念したのだろうが、何を思ったのか動揺したように「どう思いますか」と聞かれ、特にどうも思わなかった日番谷は「良いんじゃねえか」と一言だけ返した。それ以来、日番谷が居ようが居まいが二人はこの部屋で酒盛りを始めるし挙句の果てに居酒屋にまで連れて行かれる事すらある。

「二人でいつも何してんだ」
「…私と浮竹隊長の話ですか?」
「それ以外に何があるんだよ」
「い…いや…珍しいなと思って…」

 また煎餅を口に運ぼうとした所で話しかければ、再び背筋を伸ばす。興味があるわけではない。ただの暇つぶしだ。まだ終業の鐘が鳴るまで多少あるから隊舎の外に出る事は出来ず、昼寝をするにも煎餅の音がうるさくて堪らない。
 誰も周りに居ないというのに、日南田はきょろきょろと辺りを見回す。いつもはやけに飄々とした様子を見せている割に、面と向かって聞けば動揺するものなのか。思い返せば何時も酒が入った場で絡まれる事が多いから、こうして素面で会話をするのはもしかすれば初めてかも知れない。

「外出は出来ないので、隊長のお屋敷で過ごしてますが…」
「趣味合うのか」
「まあ…一緒に何かをするというよりは、お互いの事をして過ごす感じですから…」

 もごもごと言う日南田に、一つ鼻息で返す。
 日番谷の記憶が間違いでなければ、確か浮竹は日南田の倍ほどの年齢はあった筈だ。二人の趣味が合うとは思わないが、それなりに満足のゆく時間を過ごしているんだろう。全く想像もつかないが。

「それだけですか!」
「別にそれ以上深堀りする気はねえよ」

 じゃあ何で聞いたんだとでも言いたげな様子で日南田は口を結んだ。
 付き合い始めたと聞いた時は、それなりに驚いたものだった。浮竹には度々、この白髪と名前に親近感を持たれて良く菓子を与えられていたが、人当たりもよく人望もある割にどこか掴み所のない相手だとも思っていた。
 色恋沙汰とはまるで縁のない、というよりも、もう年齢的にも距離を置いていそうなものだった。だからいくら彼女が真っ直ぐな思いを向けた所でそれは報われないものになるだろうと、はじめは思っていたものだ。
 同情的になっていた訳ではないが、正直言えば気にはしていた。報われないであろう感情が、少なからず心配になるほど真っ直ぐ向いている様子に、その時が訪れた時相当落ち込むことになるのだろうと思った。
 柄でもないとは分かっていたから、一度として口に出したことはない。大体余計なお世話だし、言ってみれば自分に何の関わりもない話だ。だがこの執務室での酒盛りの度に日南田と浮竹の関係が思いもよらぬ方向へと進んでいる事がその会話から分かり、妙な事もあるものだと内心感心したものだった。

「そんなんで付き合ってて楽しいのか」
「深堀りしないんじゃなかったんですか…」
「ただの疑問だ」

 日番谷の言葉に、日南田は少し眉をハの字に寄せる。何度も言うようだが気になっている訳ではない。ただ疑問が湧いただけだ。例えばどうして雨が降るのかとか、そういった類の疑問だ。
 互いに恋愛感情を抱き付き合い始めた男女は休日にどこか出掛けたり、話題の店で食事をしたりするものと聞く。好き合う相手と過ごすのは、交際の醍醐味に違いない。実際に瀞霊廷を歩けば、仲睦まじい夫婦や恋人同士がちらほらと並んで歩き、買い物を楽しんだり食事をしている姿を見る。
 そうして男女は仲を深め、何れは生涯を共にする誓いを立てるのだろう。公にできない関係で、そうして休日でも屋敷に籠もり過ごすだけで一体何が楽しいというのだろうか。

「私は楽しいですよ、浮竹隊長がどう思ってるかは知りませんが…」
「何処か出掛けたいとか思わねえのか」
「出掛けられるなら行ってみたいですが、難しいですから…それに、不満がある訳でもないので」

 変わってんな、と日番谷は一言返す。どの価値観で交際を続けるかなど、勿論口を出す気もなければ二人の勝手だ。だが、恐らく世間一般と比べれば恐らく変わっている。平日は隊舎に籠もり休日は屋敷に籠もり、余計に浮竹の肌が白くなりそうなものだ。
 しかしそれで関係が何事もなく続いているのだから、きっと浮竹側も特に不満は無いのだろう。案外、似た者同士だったという事かも知れない。一見そうは見えないが、合う合わないはひとえに性格の問題という訳ではない。思考回路や物の見方、色々と条件はある。
 それがきっとたまたま合致すれば、居心地の良い時間が約束されるのだろう。
 変わってるのかな、と不本意そうに顔をしかめる日南田に日番谷はまた鼻息だけで笑い、顔を天井へ向け目を瞑る。

「あれ、寝ちゃうんですか」
「寝る。だから話しかけんなよ」
「話し相手居なくなっちゃうじゃないですか…あ、お茶淹れて良いですか?」
「勝手にしろ」

 ぎしりと長椅子を軋ませ立ち上がった音が耳に入った。しかし、茶を淹れるまでも無いだろう。じきにこの部屋は今の数倍騒がしくなる。その気配が徐々に近づくのを感じながら、一瞬の静寂に身を委ねた。

 

(2021.07.09)