鬼の目にもまつげ

50音企画

鬼の目にもまつげ

 

※血などの表現があります

 十三番隊の隊長はめっぽう身体が弱く、一週間以上姿を見ないという事もざらにある。だから隊の殆どの事は副隊長である志波海燕が取り仕切っており、まだ席官に満たない千世も勿論それに従っていた。
 隊長であるからには十分な実力である事は疑うことのない事実であるが、実際に戦闘に立ち会ったという者は殆ど居ない。元々隊長自ら出向く任務が少ない事、それに彼自身の体調があまり芳しくないという事も要因の一つだろう。
 ある日のこと、千世へ単独での出撃命令が下った。指令書には流魂街西地区外れで発生した複数の虚の討伐任務とあったが、千世のみでも十分遂行可能な階級とある。しかし討伐対象が複数である場合今までは二人以上で向かう事が殆どだった為、一抹の不安を感じながらも指令書を信じ、斬魄刀を腰に下げ現場へと向かった。
 指令書に記された座標は雑木林の中心部であったが、その半径五間程の範囲だけぽっかりと穴が空いたように一切の木々も草花も見当たらない不毛の地のようであった。それがこの度の討伐対象である虚の根城となっている為と気付いたのは、不気味な姿が複数体現れてからの事だ。
 千世の背丈ほどの虚が三体、その背後には三倍ほどはある個体が耳障りな声を上げ睨む。三体の虚は指令書通りの階級である事が分かるが、その背後の個体に関しては知らない。千世の手に負えない霊圧である事は明らかだった。
 聞いていた話と違う、と途端に震える足で必死に地面を踏みしめながら手汗の滲むまま斬魄刀の柄に手を掛ける。ひと目で今朝の指令書が誤りであった事に気付く状況だった。指令書には確かに千世の氏名が記載されていた筈だが、何処かで内容が取り違えたのか、もしくは巨大個体の反応まで感知されていなかったのか。
 咄嗟の出来事というのは、判断を鈍らせる。その場で退却をするのが正しい判断であるはずが、混乱をしていた千世はせめて三体の虚だけでも討伐をしなくてはと距離を取った。一体一体はそう大した実力でない事は、感じ取る霊圧からも分かる。
 幸いにも巨大個体の方は微動だにせず、小間使の三体ばかりが千世を狙うようだった。これ幸いと縛道で他二体を足止め、一体を鬼道で軽く攻撃を入れ斬撃を食らわせる。見た目よりも肉質は柔らかく、頭と仮面を割る事は実に容易であった事に一瞬気を抜いた事が墓穴であった。
 背後で様子を見守っていた巨大個体が突然千世の目前へとその巨体を落とす。砂埃と落ち葉が舞い、揺れる地面に冷や汗が伝う。ようやく事態を冷静に見た千世は、咄嗟に雑木林へと逃げ込んだ。しかしその巨体は木々を易易となぎ倒し、千世の背を追う。すぐ後ろでばきりばきりと幹が折れる、地に倒れる音を聞きながら死が過ぎった。
 今まで何度も死が過る経験はあったが、一人というのはひどく寂しい。まだ席官に上がる事もできず、敬愛する隊長の役に立つ事も出来ずただ迷惑を掛け志半ばで死んでゆくこの後の自分の姿が自然と目に浮かぶ。いっそ死ぬならば、背を向けた姿では情けない。せめて一太刀でも浴びせてやろうと立ち止まり、震える手で柄を握りしめた時だった。
 一迅の風が横を抜け、巨体が縦に半分見事に分断される。恐ろしい形相の仮面は目の前で粉々に砕け散り瞬間、一面が紅く染まる。それが血飛沫であることに気付いたのは、僅か遅れてのことだった。あまりに一瞬の出来事に柄を握りしめたまま千世はただ目を大きく見開いて呆然と立ち尽くす。
 縛道が解けた二体の虚もすぐ後を追って来ては居たが、動揺に息をつく間もなく真っ二つになり地面へぼたりと落ちた。全てが一瞬の事だった。千世が命の危機を幾度感じた相手を、造作もない様子で切り捨てた。あまりに躊躇いのない斬撃と重い一太刀に、まさか鬼の類かと見紛った。
 紅い血に染まる雑木林の中、長い白髪を風に揺らす背を千世は見つめていた。周囲の紅など素知らぬような純白の羽織の背に記された十三の数字が、ふわりと浮いた髪の下に覗く。

日南田の指令書に誤りがあったと十二番隊が慌てて飛んできたんだが、俺の他に手隙が居なくてな」

 浮竹はそう事も無げに血を軽く払い、納刀しながら千世の元へと近づく。平気か、と言葉を掛けられた途端に緊張の糸が途切れたのか身体の力が抜け尻もちをついた。地面へと斬魄刀が音を立てて転がる。未だ震える身体を情けないと思いながらも、意識した所で力は入らない。
 目線を合わせるようにしゃがみこんだ浮竹に千世は咄嗟に顔を逸したい気分だったが、力の入らない身体は言うことを聞かず彼の顔をじっと見返した。

「よく生きていてくれたよ」

 優しく微笑む表情に、千世は強張った表情のまま無言で一つ頷いた。つい先程の姿が目に焼き付いて離れない。今目の前で笑う姿とまるで真逆の恐ろしい、禍々しささえ感じる姿だった。
 長らく彼の役に立ちたいと、いずれその横に立てる死神になりたいと思って来たものだが、あの姿を見た後では身の程知らずの目標を頭の中で思い浮かべることすら烏滸がましいと思う。今ほどの努力では、一生永遠にその背に触れる事など不可能だ。
 紅い背景によく映える白は、千世の脳裏にべったりとこびり付く光景だった。

(浮竹さんの戦闘を含む話/頂いたおだいばこより)