青枯れ未遂

おはなし

 

 最近、浮竹の後ろに付いて回る女性が居る。何やら各隊長の雑務を担う役職を試験的に導入しているのだという。藍染の一件から隊長の負担が増えた事に対しての対応のようだ。
 隊長付きとなるのは各隊の十席と決められ、実施期間は約二週間ほどのようだ。偶然十三番隊の十席が女性だったというだけで、浮竹が自ら選んだとかそういう訳ではない。
 勿論それは分かっているのだが、二人の姿が目に入ると否応なしに胸がざわつく。完全な私情だと分かっているから厄介で、ある程度まで自身の感情を押さえる迄に二日は掛かった。
 昼時たまたま隊士から聞いた話によればどうやら朝の始業から夕方の終業時刻まで厠以外は一時も離れないのだという。あまり知ればまた精神が乱れるからと千世はそれから敢えてその話を誰からも耳に入れないようにしていたのだが、先程から執務室に居座る清音から強制的に聞かされている。

「いいなあ、あたしも浮竹隊長の身の回りのお世話したい」
「そうかな…」
「そうだよ!隊長と朝から晩まで一緒なんだよ、そんなに光栄な事無いよ」

 お小姓制度なんて陰では呼ばれているが、清音が言う事は大体の隊士が思う事と同じだろう。十三番隊は特に隊長である浮竹を思う気持ちの強い隊士が多い。
 皆に慕われ敬愛される彼の傍で甲斐甲斐しく面倒を見れる立場がまさか羨ましくない訳がない。

「なんか最近千世さん苛々してない?」
「…そ…そうかな」
「あたしの気の所為ならいいんだけど」

 まずい、と千世は内心焦る。私情を表に出すのはあまり褒められたものではない。隊長付きの彼女だって単に業務として彼について回っているだけだというのに、それに対して苛立つのはあまりに器量が矮小だ。
 今までも幾度となく嫉妬を感じてきては居たが、特に今回はその感情が濃かった。清音の言う通り彼女は朝出勤してから夕方の終業の鐘がなるまで片時も傍を離れないと、それは実際に浮竹も言っていた事だ。彼の業務の何を手伝っているのかは知らないが、知った所でまたさらに気が落ち込むだけだろう。
 断じて、決して彼女が嫌いだというわけではない。あの広いとは言えない執務室でほぼ一日二人きりで過ごす空間を想像すると胃の奥が重くなるだけだ。隊首会の行き帰り、昼食まで共にしていると聞いて心臓に冷水が垂らされたような感覚だ。つまりそれを嫉妬というのだが、それを理解していながらも頭の隅でまだ多少認めたくない思いがある。
 いつもであれば浮竹は千世の執務室を気まぐれに訪れていたものだが、それも近頃は無い。書類を届けに来るのものも彼女、書類を届けに向かっても彼女が真っ先に執務室から顔を出し受け取る。そうして一日親鳥を追うひよこのように付いて回っているのだから、まさか彼と他愛ない話をする隙すらも無い。
 この何日かで言えば、よっぽど恋人である千世との時間よりもきっと彼女と過ごす時間のほうが長い。特にここ三日は霊術院での授業の兼ね合いもあり終業後は真っ直ぐ寮へと帰っていたから、浮竹とはすれ違った時の挨拶程度だ。

「私今日はもう帰ります」
「あれ、半休だったっけ?」
「いや、今決めた…少し気分転換で」
「偶には良いかもね。じゃあ、あたしも戻ろうかな」

 清音が部屋を出た後、千世も手荷物を纏めて立ち上がる。
 少し顔が見たいと思った時には、彼の隊首執務室や雨乾堂に軽く顔を出せばすぐにあの声音が迎えてくれた。しかし今は顔を出した所でひよこが部屋を守護しているから、親鳥と私的なやり取りをまさか出来る訳がない。
 また薄っすらと湧いた黒い感情に、慌てて千世は頭を振る。まだ午後は回ったばかりだった。急ぎの仕事は今手元には無いから、午後席を外した所で特に問題はない。何か急なことがあればどうせ地獄蝶が飛んでくる事だろう。
 半休を宣言したものの、かといって特に予定は決めていなかった。時計を眺めたまま立ち尽くしていたが、そうだと千世は突然思い立ち折角纏めていた手荷物を地面に放る。そのままの足で、昼どきを過ぎがらんとした隊の台所へと向かった。瀞霊廷から僅かに離れるが、気分転換には最適な場所を以前教えてもらった事を思い出したのだった。

 息を切らしながら丸太階段を上る。このところは流魂街への出撃任務や現世任務に参加することが全く無く、瀞霊廷から出たのは久方ぶりだ。屋内の机仕事ばかりで身体が鈍っているのか、この数十段の階段程度で息を切らすとは情けない。
 流魂街への外出だった為に帯刀しているものの、この平穏さを見れば恐らく出番はないだろう。この所また斬魄刀の機嫌が悪いから構ってやらないととは思っているのだが、なかなか機会がないものだ。
 ようやく頂上が見え、千世は胸を躍らせながら最後の数段を駆け上がる。此処へ来たのは夏が始まる少し前のあの日以来だ。以前来た時は一面白藤の花で満たされていた藤棚だが、この季節ともなれば勿論花は無く葉だけで覆われている。満開の時は藤が垂れて随分天井が低く感じたものだが、今見ればそうでもない。
 落ち葉は退けられ、雑草も見えない相変わらず小綺麗に整備されている所を見ると、近所の流魂街の住人が変わらず手入れをしてくれているのだろう。
 木製の長椅子に腰を下ろし、身体へ巻いていた風呂敷包みを膝へと載せた。流魂街への通行申請に多少時間を取られ、かなりずれ込んでしまったから先程から腹が鳴って仕方がなかった。台所で簡単に握った握り飯と、夕飯用のきゅうりの漬物を少し拝借した簡単な弁当だ。
 もそもそと口に含みながら、丘の斜面とその下に流魂街を見下ろす景色を眺める。柔い風が辺りの木の葉を揺らし、その擦れる音が心地よい。ふと一つ落ち葉が目の前を素通りし、葉だけになった藤を見上げた。よく見れば、葉の緑に混じってサヤが垂れている。あの時の花が無事に種子となって実ったということだろう。
 まだ白藤が満開だった頃に浮竹に連れられ此処へは訪れた。怪我で療養をしていた後の事だったから、きっと気分転換にとでも思ってわざわざ連れ出してくれたのだろう。
 あの時彼へ思いを伝えたのは、恐らく衝動のようなものに近かった。燻っていた思いをそれ以上に募らせることが恐ろしく、それならばいっそ切り捨てられたほうがましだと思った。
 単に上司と部下という関係で、それ以上でもそれ以下でも無かった。そのぬるま湯のような関係を壊す可能性を考える事も無く臆せず伝えた後先考えない勢いというのは、今思えば恐ろしい。
 しかしどういう訳かそれは運良く彼に受け止められ今に至る。彼が千世に与える眼差しや思いは、他の同僚に向けるものと大差なかった筈だ。ただ少しだけ彼に近い場所に居たというだけだと千世は思っていた。もし副隊長への昇格が千世でない他の誰かであったならば、彼と共に白藤を眺めることも無かったのだろうかと時折思う。
 あの時の震えるような緊張を今でも思い出しながら、まだ青い葉を見上げていた。
 ぼんやりとしたままやがて握り飯を食べ終え、漬物を口に含む。古株の隊士が漬けているようで、浮竹も言っていたが塩気も丁度良く絶品だった。屋外で食事を取るというのはあの日ぶりのように思う。食堂で海老天の乗ったぬるいうどんを食べるよりも、適当に握った塩味の握り飯を青空の下で頬張る方がよっぽど美味いというのは不思議なものだ。
 涼しい風を頬に感じながら暫く揺れる葉を視線を定めず見上げていた。空色の背景に、青々とした葉がよく映える。これから温度も下がり秋が深まるにつれてこの葉は色褪せ、やがて初夏には枝垂れる一面の花を纏うのだろう。出来ることならばまた彼と眺めたい。気づけばまた脳裏に浮かぶ姿に千世は息を吐く。
 風呂敷を畳みながら口元を緩ませておけば、何か徐々に近づく気配を感じた。迫る足音に耳を澄ませながら、僅かに身構える。

「やっと見つけた」

 階段から突然現れたその姿を見て、千世は目を丸くする。足音の時点で多少予感はしていたものの、いざその姿が現れれば口を半開きのまま何を言えば良いか分からなかった。よっ、と片手を上げた彼は秋風のような爽やかな笑みを浮かべている。

「隊長……お一人ですか?」
「この通り」

 確かにその後ろには誰も付いていない。真っ先に一人であることを確認してしまったあたり、相当彼女の存在を気にしていたのだろうと今更千世は明確に自覚をした。浮竹は藤棚を見上げながら、当たり前のように千世の横へと腰を下ろす。
 まさか来るとは思っても居なかった。まだ業務時間内だというのになぜ一人でこんな場所まで訪れたというのだろうか。見つけた、と言うからには恐らく千世を探していたのだろう。探されるような謂れもないというのに。

「見事にサヤが実ってるな。中の豆は炒れば食えるらしいが…」
「ああ、それは聞いたことがありますが…確か多少毒があった筈ですよ」
「そうだったか?銀杏に似たような味だと聞いたから興味があったんだが」

 残念だなと彼は笑う。白藤は特に観賞用の植物だから、その種子は食用に向かない。銀杏に似た風味と聞けば多少興味は湧くが、多少なりとも毒性があるものを進んで口に含みたいとは思わないだろう。

「方方探したよ。隊の外出申請を確認してやっと此処が分かった」

 遠くを見ながら浮竹は言う。何か急ぎの用事があったという訳では無いらしい。
 手紙の一通でも合間に送ってくれれば、終業後彼の屋敷で会うことだって出来る。何故わざわざ仕事の合間を縫ってまで居場所を探し当てられたのかが分からず眉根を寄せて彼を見る。

「俺も半休を取ったんだ」
「そうだったんですか…?でも、どうして急に」
「…どうも息が詰まりそうでな。慣れないんだ、あの空間に」

 そういう事かと千世は軽く頷く。すれ違う程度ではあるもののいつもと変わらない様子に見えていたが、彼でも何日も他人と同じ空間で過ごすというのは気を張るものなのだろう。
 一つ軽い溜息を吐き出した浮竹は、それから長い伸びをする。

「清音から千世が半休を取ったと聞いたから、俺も便乗させて貰ったんだよ」
「…ではお小姓さんも?」
「あの子ももれなく半休だが……お小姓さんなんて呼ばれてるのか?参ったな…」

 浮竹は苦笑する。確かに小姓などと言われれば、あまり笑い飛ばせるような気分にはならないだろう。やれやれといった様子で彼は息を一つ吐いた。

「実際、お仕事は楽になってらっしゃるんですか?」
「まだ何とも言えない所だよ。十席は事務仕事とは縁遠いだろう。職務の説明からはじめて…結局研修期間みたいなもんだ」

 千世も五席に上がった頃から事務仕事を時折回されるようになった事を覚えている。それまでは現場仕事が大半で、初めは勝手が分からず清音や小椿には随分迷惑を掛けたものだ。
 隊長付となっている彼女もおおよそ同じ状況だろう。突然の事で彼女自身が最も戸惑っているに違いないというのに、勝手に嫉妬する自分の感情がやはり醜い。
 二人の姿を見るほど、聞くほど知るほどそれは根深くなるから結局距離を置くのがきっと正しい判断だと千世は思っている。支障が出ない程度に、そっと距離を置く。だが現実はそう都合よく進まないものだ。なるべく触れないよう避け続けていた仄暗い感情が胸に広がり、相変わらずの未熟さに溜息が出る。

「厠以外は常に彼女が後ろに付いてる」
「それがお仕事でしょうから」
「それは分かってるんだが…例えば、仙太郎が厠以外片時も千世の傍を離れなかったらどうする」
「それは……そうですね、少し気疲れしそうな気もします」

 想像しただけで鼓膜が痛くなるが、それ以上に気疲れするだろう。だがそれが例え清音であっても、ルキアであっても同じだと思う。いくら親しい間柄であったとしても、片時も離れないというのは息が詰まるものだ。

「部下と言えども長いこと居れば互いに気を遣う。今日は久々の息抜きだよ」
「…二人きりに疲れて、二人きりで息抜きという事ですか?」
「矛盾に聞こえるかい」

 そうですね、と千世は笑った。たった言葉一つで軽くなる安い心に呆れながら、大きく伸びをし久しぶりに背骨の伸びる感覚を堪能をする。一つ息を吐くと、まだ膝の上に残っていた漬物をひとつ、彼がつまみ丁度口に含んだ所だった。
 楽しみに残していた千世は思わずああ、と情けない声を漏らしたが満足そうな彼の口元を見て眉を曲げたまま笑った。

 その後間もなく、隊長付きの話は立ち消えた。千世が陰でほっと胸をなでおろしたのは言うまでもないが、代わりに隊長が担っていた一部の業務を副隊長へ下ろす事となり千世の机上は見るも無残な状況となった。
 書類を遠慮なく重ねながら申し訳無さそうな表情の浮竹を、力の抜けた顔で見る。残業が目に見えて増えるその様子を眺めながら、自然と緩む口元を千世はそのままに大きく伸びをする。矛盾しているのは自分も同じじゃないかと、頭の隅で思ったもののそれはそっと書類の影へと隠した。

 

青枯れ未遂
2020/09/24
(台詞リクエスト「やっと見つけた」)