軒並みご注意ください

2021年6月26日
50音企画

軒並みご注意下さい

 

 行き交う人間の足取りがおぼつかないような時間帯、居酒屋の前で一人地面にへたり込む女性の顔を浮竹は覗き込む。平気か、と一つ声を掛けるが赤い頬をした彼女はうつらうつらとしながらこくりと頼りなく頷いた。
 金曜日とは言え特に予定のなかった浮竹は仕事に区切りが着くと真っ直ぐ帰宅をする筈だったのだが、部内の社員数人からオフィスを出る直前に飲み会へと誘われた。上司が居ればしたい話もできないだろうとはじめは断ったのだが、あまりに熱心に誘われたものだから結局乗ってしまった。
 楽しい時間というものは過ぎるのが早いもので、気づけばもう終電近くとなっていた。さっさと会計を済ませ店を出るとその場で解散し部下の背中を見送った後、さて自分も帰ろうかと気づけば彼女が一人足元に残っていた。

「…日南田、帰れるか」
「……はい」
「最寄りは何処だったかな」

 そう聞いてやると、ここから二度ほど電車を乗り継いだ先にある駅を呟く。タクシーで帰らせるには多少悩む距離だ。
 しかし参った。置いていかれたという訳ではあるまい。確かに会の途中からぐったりと机に突っ伏している様子を見ていた。大丈夫かとその時に声を掛けたが、あの時点ではまだ意識ははっきりとしていた筈だ。それから特に酒を過剰に呑み進めたようにも見えなかったが、もともと体調でも良くなかっただろうか。
 どうしたものか、と彼女の前でしゃがみ込みながら悩む。家まで送り届けるというのも、もう終電も近いか終わっている為無理だろう。タクシーに乗せてしまうのが一番良いのだろうが、先程の会計で多少多めに持った為きっと手持ちが足りない。ATMで下ろして来るにも、彼女を此処に置いて行く訳にはいかない。

「すみません、部長…今何時ですか」
「今は…もう十二時回ったところだな。終電は」
「ええと…終わってます…」

 ぐったり答えた日南田に、そうだろうなと浮竹は笑う。
 彼女がこうして酔った姿を見るのは二度目になる。どういう訳か彼女からは時折食事に誘われる事があり、特に断る理由も無いから付き合っていた。確か二ヶ月ほど前の事だったと思うが、ワインで悪酔いをしたようで今とまるで同じような状況を迎えていた。幸いにもあの時は時間も早く落ち着くまで駅ビルのベンチで休ませ改札まで見送る事が出来た。しかし今はそういう訳に行かない。
 一先ず駅前まで向かうかと、彼女の腕を掴み立ち上がる。ぐ、と引っ張れば日南田はふらふらと立ち上がり足元がおぼつかないまま浮竹の身体へ倒れかかるようにしがみついた。途端、ぎくりとする。慌てて彼女が転ばないようにその背へ手を回した為、あたかも町中で抱きしめ合う空気の読めない男女のようだ。

「す、すみません…足に力が、入らなくて」
「ああ、いや…気にしないで良い」

 彼女の肩を支えるようにしながら、そのまま半ば引き摺るように駅まで向かう。しかし多少高めのヒールを履く彼女の足元はひどく辛そうで、ようやく途中で見つけた小さな公園に連れ込みベンチへと座らせた。案の定靴擦れがひどく、しかし生憎絆創膏は持っていない。
 すみません、と呟く彼女の横に腰を掛け一つ息を吐いた。呆れている訳でも、面倒に思っている訳でもない。ただ焦っている。八方塞がりのように思えるこの状況で、唯一の抜け道が先程から頭にちらついて仕方がない。休めれば良いのだ、明日の朝の始発の時間帯まで。そう頭の隅で囁く声が鬱陶しい。
 繁華街の中の非常に小さな公園は薄暗く、中央にある時計台を照らす街灯の青白い光が僅かに二人を照らす。どれだけ腰掛けていたかは分からないが、突然こてんと寄りかかった彼女にまたぎくりとする。腕に手のひらを乗せ、縋るようにその身体を寄せられる。彼女の体温が伝わり、それに伴うように心拍が緩やかに上がり始める。

「…日南田
「…部長、よければ」

 彼女の囁くような言葉に、思わず息を止める。息を止めているというのに、どうして心拍はさらに上がってゆく。いい歳をした男が、耳を染めて何を待っている。

「朝まで一緒に、いてくれませんか」

 止めていた息を、ようやく細く吐き出す。腕を掴む彼女の手の甲にそっと体温を重ねれば、それは安心したように緩んだ。

「という夢を見たんです、隊長」
「またか…」