路地裏にて

おはなし

 

路地裏にて

 十三番隊舎の裏に時折訪れていた。人通りが少ない早朝が狙い目で、このところは三日に一度は顔を出している。この場所を見つけたのはつい一ヶ月ほど前で、それまでは四番隊舎裏に足繁く通っていた。しかし偶々任務から引き上げた帰路で、偶然通りかかった十三番隊舎裏のこの穴場を知った。
 というのも早朝この時間になると、どこからともなく野良猫が集まり出すからだった。四番隊舎裏が多くて五匹程度であった事に比べてこの場所には十近く、日によっては十以上の猫が集い出す。どういう訳かは分からないがやけに人懐こく、近づくと足元にすり寄るから実に満足だった。
 今朝も朝の鍛錬を終えた後、息抜きにとこの場所へと訪れた。もう既に彼らの集会は始まっており、少しばかり離れた場所ではじめは見守っていたのだが、そのうちの一匹が近づいてまるで参加を促すようにひとつ鳴いて歩き出すからその輪にほど近い場所でしゃがみ込む。
 何よりも至福の時間だった。誰よりも敬愛する師はほぼ現世に身を置く為容易に会うことは叶わない。時折隙を見て現世へと向かってもあまり長居出来ない上、会話を交わすどころか顔すら合わせる事も難しい。
 その焦燥感に似た感情を、この場所に訪れることで誤魔化していた。自分でも時折虚しいと思う事が無いとは言い切れないが、しかし猫の集会に顔を出すことを止める事が出来なかった。
 傍に寄ったサバトラ柄の猫の背を撫でる。自然と零れた溜息を風に流した時、ふとこの場所へと近づく気配を感じた。しかし振り向いた時にはもう遅く、思わず息を止める。

「砕蜂隊長じゃないですか」

 ぎく、という擬音がまるでぴったりな程背筋が伸びて身体が固まった。珍しい、とでも言うような表情の日南田は図々しくもこの路地裏にずんずんと進み砕蜂の横へと同じようにしゃがみ込む。

「貴様、何故この時間に…」
「今日は早めの出勤だったので…砕蜂隊長こそどうしてこの時間に…しかもこんな所で」

 関係ない、と一言叩きつければ怯むかと思えば、そうですかと特に興味もない様子で頷いた。日南田と初めて会話を交わしたのは、彼女が五席に上がった頃女性死神協会の会合での事だったと記憶している。
 偶然隣の椅子に腰を掛けた日南田から挨拶を受けた。あまり関わりのない十三番隊の、しかも五席の名など記憶に留めるまでもないかとその場では適当に返したが、その次の会合からやけに声を掛けてくるようになった。
 はじめは馴れ馴れしい女だと思った。いや、今でもそれは思っている。だが不思議なもので馴れ馴れしい割には一定の距離を保ち、不愉快な部分までは決して踏み込もうとはしてこない。だから馴れ馴れしいという表現が的確であるかは分からないが、それ以外に適当な言葉が思い浮かばない。
 彼女に対してはそれ以上でもそれ以下でもない認識だったが、ある時彼女が五席から突然副隊長への昇進をしていた事を知った。大前田に話を聞けば、何やら長期遠征で功績を挙げたのだという。人畜無害に見えて意外なものだと、ほんの僅かではあるが感心をしたものだった。
 しかし、嫌な姿を見られた。普段ならばもう五秒は早く気配に気づけただろうが、猫に囲まれ完全に油断をしていた。未だに猫の背に手を乗せ固まっていた砕蜂は、ようやくその手をゆっくりと引っ込める。

「十三番隊で面倒を見てる猫たちなんですよ。池の鯉や金魚に興味があるようで、よく隊舎に入り込むんです」
「…そうか、まあ特に興味はないが」
「そうなんですか?…でも此処で朝集会してたとは知らなかったです。見つけ出すなんてすごいですね」
「偶々通りかかっただけだ、偶々!」

 池というのは、恐らく十三番隊の隊舎内にあるあの広い池の事を言っているのだろう。一度訪れたことがあるが、その池の中程に浮竹の隊首室があったはずだった。随分と湿度の高い場所に隊首室をわざわざ構えたものだと思う。それも彼の持病の影響だろうか。
 しかしここの猫たちが随分人懐こい理由が分かった。日頃から十三番隊に出入りをしてよく可愛がられているのだろう。羨ましいものだ。二番隊でも常々野良猫を見かけた際は丁重にもてなすよう全隊士に伝えているがどういう訳か寄り付かない。
 だからこうしてわざわざ人気の無い場所や時間帯を狙い、四番隊舎や十三番隊舎まで訪れている。特にこの十三番隊舎裏は大通りに面しているわけでもなく、人目につかない良い場所だと思っていたのだが、こうして現場を見られた以上次から来にくい。
 目の前で腹を出して寝転ぶ猫の柔らかな身体を、日南田は両の手で存分に撫でる。本当ならば自分がその立場であったというのに恨めしかった。彼女がそのふんわりとした毛に手を埋め、温い柔らかさを楽しむ様子を指をくわえて見ているだけだ。
 撫でないんですか、と聞かれ素直に撫でたいと答える事が出来る性分ならば、今頃尸魂界には居ないだろう。

「猫、お好きなんですね」
「す…好きではない、好きとかではない。そういう…次元ではない」

 日南田の言葉に砕蜂は思わずしどろもどろとなったが、そう答えた後に彼女が求めていたものではなかった事に気付いた。単に猫という生物への感想を聞いていたのだろうが、無意識に普段から猫と師である四楓院夜一とを重ねていた弊害が出た。
 暫く日南田はぽかんとしていたが、察しの良さとはある種迷惑なもので、間もなく何かに合点したように頷く。彼女の入隊時期を考えると夜一との面識は無い筈だが、双極の一件の後に存在は知る事となったのだろう。浮竹は在職も長く夜一とは良く見知った仲だ、その経由で日南田が知った可能性も有る。
 彼女のどこか生暖かい視線が不愉快で、口を真一文字に結んだまま誤魔化すように寄ってきた猫の頭へと手をのばす。するりと背にかけて撫でてやると、その柔らかな体毛が実に心地よかった。

「…貴様も、多少は分かるのではないか」
「分かるというのは…」

 主語を探す日南田の言葉に返すこと無く、砕蜂は軽く鼻息を吐く。
 彼女に多少近いものを感じる事があったが、特別何が理由という事はない。夜一以外の他人に特別興味がない砕蜂としては、誰がどの者に如何様な感情を向けようが知ったことではない。だが隊首会の終了後、一度見かけた浮竹を待つ日南田の様子は非常に心当たりのあるものだったと覚えている。
 かといって親近感を覚えているわけではない。単に、師を尊び敬う思いを多少なりとも持つならば、思い余った行動に出る事の理解を得られるのではないかと思った。猫に囲まれるという至福の場所で、少し油断したというのもある。

「浮竹隊長の事は尊敬していますが…流石に偶像崇拝のような真似は」
「ぐっ、偶像…!?」
「ああ…いえ、…言葉を誤りました」

 すみません、と軽く頭を下げた日南田にこみ上げた感情をどうにか飲み込む。一瞬頭に血が昇ったのは、多少は図星だったからだろう。

「例えば、浮竹が百年姿を消したらどうする」
「それは…想像をしたことも無いです」
「だろうな。傍に居る時間が長くなる程、普遍の日常と思うものだ」

 何度命の危機に直面をした所で、自らの死を考える事はあれど、圧倒的な実力を持つ隊長を失う事にはあまり想像を及ばせないものだ。
 ごろごろと鳴らす猫の喉元を指で擦りながら、日南田は小さく息を吐く。彼女が何を思ったかは知らないが、その僅かに陰鬱さを纏う溜息を聞くに、多少は想像を及ばせてみたのだろう。

「何だ、黙りおって。浮竹が消えた事を想像でもしたか」
「ああ…はい。だから砕蜂隊長がお辛かったのではないかと、改めて思っていました」
「や…やめろ、同情をされるつもりはない。黙って浮竹のことだけ考えていろ」

 慈悲の目線を向けられた事が居心地悪く、砕蜂は追い払うような動作をする。やはりあまり他人の敷地で長居をするものではない。気が緩んでいたとは言え、多少口が過ぎた。
 集会の時間ももう終りに近いのか、猫たちもまばらに解散をしてゆく。猫が消えるのならばこの場所に用は無い。砕蜂は立ち上がると、猫の毛を落とすように死覇装を軽く叩く。

「此処でのこと、くれぐれも他言するな」
「はい、それは勿論…」

 立ち去る直前、また来て下さい、と背中から聞こえた声に特に返事せず少し離れた建物の屋根の上へと飛び上がる。
 まだ早朝の靄がかった空気の中、遠くの十三番隊舎内の広い池にぽつんと佇む雨乾堂を見遣った。随分と呑気で穏やかな光景だといつも思う。この様子を見る度にあの隊風である事も頷けるし、日南田が副隊長に収まるのは似合いのように思う。
 元居たあの路地裏にはもう彼女の姿はなく、少し離れた場所をひょこひょこと歩く様子が目に入り自然と口元が緩んだ。普段無駄話は好かないが、時々の息抜きとしては存外悪くないように思えた。

 

(2021.3.7)