花色ひと重ね

おはなし

 

 休日、千世は京楽の屋敷へと招待されていた。知り合いの呉服屋が店を畳むにあたって反物や仕立て上がりの品をかなりの数譲り受けたようで、そのうちの一点を貰ってくれないかという事だった。
 彼の屋敷の場所だけは知っていたものの、訪れるのは初めてとなる。上級貴族ともなれば屋敷はそれなりの敷地を持ち、門戸の様子を千世は思わず口を開けて眺めていた。暫くその立派な門の前で立ち尽くしていれば、間もなく着流し姿の京楽が現れ気楽に手を振る。

「悪いね、休みの日に」
「とんでもない。わざわざお呼び頂いてありがとうございます」
「あ、もしかしてそれ。手土産?」

 指を差されて千世は手に持っていた袋を差し出す。途中立ち寄った酒店で購入した多少値の張る日本酒だ。店を閉じた呉服店は上級貴族の御用達と噂を聞いている。普通に過ごしていれば決して手に入れる機会のないような価格帯である事は間違いない。まさか手ぶらで来れるはずがなく、滅多に手を付けないような酒瓶を手にとった。
 中身を早速取り出すとどうやら気に入った銘柄だったのか、上機嫌でその頬を緩める。その背に付いて歩きながら、隊舎に引けを取らないような長い廊下を進んだ。一体どれだけの部屋数があるのか、そのうちのどれだけを使用しているのかは分からないが、まあ間取りを覚えるまでに難儀しそうだと下らないことを考えていた。
 やがて襖が開き放しになっていた部屋へと案内をされ、千世は途端その光景に目を丸くする。まるで一隊が収まりそうな程の大広間にほぼ一面、色とりどりの着物が並べられていた。数が数だけに多くは桐箱に入れられたまま、ものによっては生地が重ねられ畳の上へ並べられている。特に柄の見事なものは衣桁に掛け飾られており、わあ、と思わずため息を漏らした。
 見事な光景に千世は部屋をぐるりと見回していれば、彼は笑って中心へと手招く。

「好きなの選んでよ。気になるなら試着しても良いから」
「本当に良いんですか?」

 こうも見事な品が並べられていると多少たじろいでしまうというものだ。二百までとはいかないものの、それに近い数が並ぶ様子は壮観だった。どうぞ、と紳士的な様子で京楽は促す。千世はうろうろと歩き回りながら、時折腰を屈めて早速柄を吟味を始めた。
 鮮やかな色合から控えめなものまで、眺めるだけで胸が躍るようだった。最後に新しい着物を仕立てたのは果たして何時だったか、もはや記憶も曖昧だ。確か席官へ上がった時に、何かの為にと色留袖を一着誂えた事があったがあれが最後だったように思う。
 外出着や街着は仕立て上がりのものを数着持っているが、しかしあまり着る機会もなく箪笥の肥やしとなっていた。
 ふと気づくと京楽は縁側に腰を下ろし、早速千世の手土産を猪口へと注いでいる。

千世ちゃんの普段着、あんまり見たこと無いね」
「殆ど死覇装で過ごしているので…今日もですが」
「偶には、おめかしして二人でどっか出掛けてくればいいのに」

 京楽の言葉に、千世は少し残念そうに笑う。中々難しい話だ。隊長と副隊長が二人揃って瀞霊廷を離れる事は中々難しい。出来ることならば一度くらいは遠くへ出掛けて見たいものだが、暫くは叶わないことだろう。
 自然と視線を遠い場所へ向けていた千世は、はっとして再び足元へと戻す。好みの色合いだけではなく、普段あまり手につけないような色味にも珍しく惹かれる。空の抜けるような青色の生地に千世はふと腰をかがめ手を伸ばしかけたが、流石に派手すぎるかとその手を引っ込めた。
 しかし、ふと目に入ったその隣の一つに、思わずしゃがみ込みじっとその生地を眺めた。丁度良く決まったかい、と声を掛けられ千世は反射的に頷いた。

「こちらに、しようかと…」
「あれ、それ男物じゃない。良いの?」

 はい、と千世は頷く。あまり衣服に関心のない千世でも一目で分かるほど、この部屋に並べられた着物は質の良いものばかりだ。素手で触るのが憚られるほど美しい正絹の生地は、鮮やかな藍色で上品に染め上げられている。色味の変化も柄もないものだが、身につけた姿は誰よりも目を引くのだろうと思った。
 つい先程まではたしかに自分の物を選んでいた筈だったが、その藍色が目に入ってからは自分のものなどどうでも良くなってしまった。きっと似合うと、そればかりが頭に浮かぶ。

「浮竹なら、こっちの藍鼠も似合いそうなもんだけど」

 誰を思い浮かべて男物の着物を選んだかなど、京楽からすれば聞かずとも分かるだろう。とは言えはっきりとその名を挙げられると縮こまりたくなる。
 彼がそう言って近づき指差した生地は、千世が選んだ藍色よりもだいぶ彩度の低いものだ。青鈍色のような暗い緑色をよく好んで着ているから、その藍鼠もきっと京楽の言う通り似合うことだろう。千世はじっとその生地を見つめながら一つ唸る。やはり京楽ほどの長年の付き合いともなれば、彼に似合う色は感覚的に分かるものなのだろうか。

「夏っぽいけど、この白緑の縞とか」
「ああ、確かに……すみません、もう少し考えても良いですか」

 藍鼠とは真逆の爽やかな白緑地に細い白の縞が入った薄手のものだ。確かに色味を見ても夏らしく、彼の白い髪とは良く馴染むのだろう。折角あの藍色で決めていたというのに、あれもこれもと言われては悩むに決まっている。
 再び並べられた桐箱の回りをぐるぐると歩き回りながら、眉を曲げる。恐る恐る手にとって色味を比べたり、肌触りなどを確かめるもののどれも甲乙つけがたい。一人唸りながら腕を組み、とうとうじっと黙り込んだ。

「惑わせちゃったかい」
「ああいえ、つい迷ってしまって…」
「んー…でも千世ちゃんが選んだ藍色、やっぱり一番良いんじゃない」
「や、やっぱり!そうですよね、似合いますよね」

 京楽の言葉に千世は色めき立つ。他のものと迷ってはみたものの、結局自分が初めに選んだもので心は元々決まっていたのだろう。藍色のそれを丁寧に手に取りながら、千世は納得するように一つ頷く。

「よっぽど好きなんだねえ」

 京楽の言葉に千世ははっと固まる。ついはしゃいだことが急に気まずく、反省するように身体を萎めた。すみません、と思わず呟けば彼は声を上げて笑う。可笑しくもない事だと言うのにどうして笑われたのか良く分からず、ますます千世は口を曲げた。
 ごめんごめん、と京楽は手をひらひらさせる。

「いや、誂ってるわけじゃなくてさ。千世ちゃんも浮竹も、どっか似てるよ」
「…い、いえそんな…とんでもない」
「好き合う者っていうのは、どこか似てるけどどこも似てないもんだ」
「…それって、つまりどっちなんでしょうか」
「どっちもって事」

 彼の言葉に千世はあまりピンとこないまま、少し火照った頬を冷ますように手でぱたぱたと顔を扇ぐ。京楽が廊下の方にひとつ声をかけると、恐らくこの屋敷の者と思われる翁が現れ、千世の手元から着物を取り上げる。空いた場所で慣れたように畳まれ、綺麗に桐の箱へと収まった。
 多少重みのありそうな箱の様子を眺めていると、どうやらあとで隊舎まで届けてくれるのだと言う。何から何まで申し訳ないと深く頭を下げれば、彼はいつもの通り何ということもない様子で笑った。

 翌日、執務室へ入ると部屋の中央に桐箱が置かれていた。昨日のものかと気づき、千世は胸が跳ねるようだった。手荷物を置き、箱を僅かに開くと確かに千世が選んだ藍色の生地がちらと見える。まだ朝も早く隊舎には人も少ない。だが流石にこの桐の箱を持って移動するのは憚られるし、生地だけを持ってというのも汚してしまいそうでこわい。それならば一先ず話だけでもと、逸る気持ちをを抑えながら再び廊下へと戻った。
 雨乾堂へと赴いた千世は、その部屋の前でいつもの通りに彼を呼ぶ。少し眠そうな声が返ってきたところをみると、恐らく昨晩は此処で過ごしていたのだろう。部屋を覗くとまだ布団を敷いたままの上で伸びをしている浮竹の姿があった。

「昨日はこちらで?」
「ああ、少し読みたい本があってな。横になって読んでいたら、寝てしまった」

 視線の移動した先に千世も目を遣ると、確かに本が数冊畳の上へ積み上がっている。いつもならばもうとっくに起床している時間だというのに、どうりで眠そうな訳だった。まだ寝癖の残った髪を手ぐしで適当に整えながら、ああそうだ、と彼は掠れた声を上げる。

千世に渡したい物がある」

 そう言いながら、浮竹は立ち上がり部屋の端に置いてある桐箱へと近づいた。おいで、と呼ばれ千世も近づくと、その桐箱の焼印が目に入り思わず息を止める。

「機会があって、京楽に反物を譲って貰ったんだ」

 箱を開けて現れた藤色の生地を浮竹は手に取ると畳みを開き、千世の身体へ合わせるように近づける。その色と顔を見比べ、思ったとおりだと笑う様子に、ぽかんと口を開いたままその表情をじっと見つめた。
 京楽が千世を招いて浮竹に声を掛けていない訳は無かった。何時のことかは分からないが、浮竹も京楽の屋敷へ赴いて同じようにあの数々の目を引く着物のうちからひとつを選んでいたのだろう。今更ながら、浮竹と似ている、と京楽が笑った理由が分かったようで千世は頬が染まってゆくのを感じる。
 ぽかんとしていればどうした、と驚いたような表情をする浮竹にふっと笑う。

「私も京楽隊長の屋敷にお呼びいただいていたんです」
「ああ、そうだったのか。あいつ何も言わなかったな…」
「私も浮竹隊長が呼ばれてらっしゃること、知らなかったですよ」

 千世は彼の手から藤色の生地を受け取り、身体へ合わせた。その淡い藤色はどこか懐かしい思いにさせられる。うっすらと白い縦の模様が所々に入っているが、決して地の色を邪魔していない。
 彼がどのような思いを馳せながら京楽の前でこの色を選んだのだろうかと想像すると、胸がぎゅうと掴まれるような感覚だった。

千世は何を選んだんだ。迷ったろう、あれだけ数があれば」
「私は鮮やかな藍色のものを、隊長に似合うと思って」
「俺に?」

 千世が頷くと浮竹は目を丸くして、暫くしてから気抜けしたように笑った。

「何だ、つまり二人して互いの物を選んでたという事か」
「そうみたいですね、お互いに」

 そうか、と浮竹は小さく呟く。その自然と口元の緩む様子に、千世も釣られた。
 似ていると言った京楽の言葉を千世はまた思い出す。性分の話ではないというのは分かる。きっと千世のために反物を選んだ浮竹と同じように、浮竹を思い選んだ千世を眺めながらふと衝いて出た言葉だったのだろう。

「次の休み、店の者を呼んで誂えてもらおう」
「い、一緒にですか?」
「ああ。生地は貰い物なんだ、それくらいは俺にやらせてくれ」

 そう強く言う浮竹に、千世は押され気味となりこくこくと頷く。呼ぶというのは、恐らく彼の屋敷へという事なのだろう。その様子からするに、信頼に足る相手を何やら知っているのだろう。そんな大げさなとも思ったが、彼に選んだ着物も何れにしろ仕立て直しが必要だ。一度に見てもらえるというのなら、人目も付かないし丁度よいのかもしれない。
 しかし、反物から誂えるなど何年ぶりのことだろうか。休日も何もかも死覇装での生活に慣れてしまっていた状況で、自分を着飾る事なんてすっかり忘れてしまっていた。久方ぶりの感覚に今から既に胸が躍るような思いだ。
 手元の藤色を眺めながら、それはやはりため息が出るほど美しい。彼の手で似合うだろうと選ばれたその色は、目に見えない自分へと向けられた思いのように感じてしまう。図々しいかとも思うが、しかしその優しく細める目元は間違いなく自分だけへと向けられたものだと知っていた。
 秋の冷え込む朝だと言うのに、吐く息は自然と熱を帯びるようだった。

 

花色ひと重ね
2020/11/01
(台詞リクエスト「よっぽど好きなんだね」)