繁華街にて

おはなし

 

繁華街にて

 昼を過ぎた頃から京楽の姿が隊舎から消えていた。昨日は出勤のはずだったが、何やら十一番隊に用事があるからと適当な理由をつけられ結局隊舎には現れず、今朝欠伸をしながら現れた姿へ待ってましたとばかりに溜まりに溜まっていた書類の束を渡したのだが、もとよりあまり期待はしていない。
 だが月末の提出期限も迫っているから今日中に必ず確認と押印を行うようにとこれでもかと強く念を押していたしていたのだが、やはり思っていた通り午後になって姿が消えた。昼食から帰り、京楽の気配が隊首執務室から消えていた事に気付いた頃にはもう遅く、急いで戸を開ければ半分ほど処理を終えたらしき書類が机の端に積み重ねられていた。
 半分を終えたから許してとでも言う姿が目に浮かび、伊勢は一つ鼻息を鳴らす。手を付けられていたとしても三分の一程度だろうと思っていた為、半分も済んでいた事に多少感心してしまった事が悔しい。
 まだ伊勢が自身の執務室に溜め込んでいる分もあるというのに、このままふらふらと出歩かれては困る。だが大抵この流れでは夕方酒の臭いを漂わせながら帰って来るというのが通例で、その後は勿論良い気分で仕事どころではない。
 だから深酒にならないうちに見つけ出して隊舎へと連れ帰る事が今は最優先業務だった。
 毎月この時期になるとこうして隊舎を抜け出す京楽を追いかけるという事を繰り返しているが、結局提出期限に遅れたということは一度もない。彼もその間に合う微妙な塩梅というのを分かっていて逃げ出しているのだ。だからこそたちが悪い。
 放って置いても渡した書類を提出日には必ず揃えて出してくれるのだろうが、遅くとも三日前には提出を済ませたい伊勢としては当日では遅すぎる。だから毎月この時期になると手のひらが痛くなる程尻を叩き、逃げ出せば必ず見つけ出して首根っこを掴み連れ戻していた。
 大体この時間帯で顔を出す居酒屋は分かっている。伊勢自身居酒屋に訪れることは少ないが、京楽を追跡し続ける過程でその辺りの飲兵衛よりも詳しくなった自負があった。
 繁華街へと足を踏み入れようとしたその道中、ふと白髪の隊長の姿を見かけた。
 京楽と親しい彼ならば居場所を知っている可能性がある。浮竹隊長、と呼びかければ少しやつれたような顔で軽く彼は微笑んだ。

「お加減は如何ですか」
「ああ…知っていたのかい」
「ええ、京楽隊長から先日の隊首会を欠席されたと伺っておりましたので」

 伊勢の言葉に浮竹はそうなんだよと、申し訳無さそうに眉を曲げ頭を掻く。こんな時間にどうしたのかと聞けば、四番隊の卯ノ花の調薬を受け取りに行った帰りなのだという。確かに手元にはかなりみっちりと詰まっていそうな藥袋が握られていた。
 浮竹がこの所また体調が芳しくないという話は、少し前に副隊長の日南田から聞いていた。薬を飲み時々休みながら騙し騙し出勤をしていたようで、それが毎度のことながら心配なのだと眉根を寄せていた。
 一時期ほど頻繁に倒れるという事は減ったようだが、季節の変わり目や気温が冷え込む日にはめっぽう弱いらしい。傍に居る時間が長くなると体調を崩す気配というのは感じるようで、そろそろかも知れないと言っていた矢先の隊首会の欠席だった為京楽から話を聞いた際は思わず感心してしまったものだった。
 その性質は違うものの、隊長不在の状況が少なくない事に伊勢は勝手ながら彼女に親近感を覚えていた。隊長同士が旧知の仲という事もあるが、副隊長不在の空白期間の後就任という境遇に何か近いものを感じていたという事が大きい。
 それは日南田も同じだったのか、というのは分からないが副隊長へと昇進してからは何かと頼られる場面が多かった。伊勢としても歳も感覚も近い彼女と親交を持てることは嬉しく、彼女が業務に慣れた今も関わることは少なくない。

「伊勢君は、相変わらず京楽探しか」
「はい。さすがよくお分かりですね」
「君の纏う雰囲気で分かるよ」
「私が昼食で隊舎を不在にしていた間に忽然と姿が消え…不覚でした」
「そうか…だが申し訳ないことに俺も今日は居場所を知らなくてな」

 それならば仕方がない、今日は居酒屋の戸を開けて回るしか無いだろう。自然と小さな溜息が溢れるが、何時も不思議と怒りとまでは至らない。こうして瀞霊廷を探し回る事が、日頃机に向かいきりの良い気分転換になっているのだろうとは思う。
 とはいえ、彼の逃亡を良しとする訳ではない。伊勢の溜息に浮竹は軽く笑う。恐らくこの光景は浮竹にとって余程見慣れたものだろう。

「これから隊舎に戻られますか?」
「ああ、月末までに確認を済ませないといけない書類が溜まっていてね…千世も気を揉んでいるだろうから」
「お加減の良くないお身体に仕事の催促なんて出来ませんからね、特に千世さんは」

 二日酔いで具合の悪い京楽に無理やり書類を握らせた事は数え切れない。まあ二日酔いという自業自得の所業と浮竹の持病とを比べる事ではないが、千世の場合浮竹は例え自業自得の二日酔いであっても尻を叩く様子は想像がつかない。
 浮竹と日南田は、その隊風も含め手本のような関係のように見える。関係性に正解も何も無いのは分かっているが、浮竹が彼女へ向ける眼差しとそれに応える日南田の姿というのは目にするとどこかはっとさせられるものだ。
 どの隊であっても隊長副隊長の信頼関係というものは強く築かれている。それは様々な形をもってしたもので、一概に信頼とはどうであると論ずる事は難しい。だが十三番隊においての二人の繋がりというものは教科書通りのように思えた。
 それは雪解けの水が川となり海へ向かい流れるように淀みなく、実に正しい光景のように見えた。日南田が浮竹へと向ける思いは混じり気のない真水のようで、恐らくそれは長い年月を掛けて透明を増したものなのだろうと思う。
 と、そんな事を勿論日南田や浮竹に零したことは一度もない。伊勢の勝手な感想であって、特に伝える意味というものもない。二人連れ立つ姿を見かける度に、ぼんやりと胸の内で誰に宛てたものでもない感想を抱いていただけだ。

千世さんは今日隊舎にいらっしゃるんですか」
「ああ、居るよ。何か伝言でも?」
「でしたら…先日お借りした本を今日中にお返しに向かいますと、お伝えいただいてもよろしいでしょうか。京楽隊長を連れ戻した後にはなりますので…夕方には」

 そういえば、と伊勢は執務室に置いていた本の事を思い出し浮竹にそう伝える。一月ほど前に借りて早々に読んでいたのだが返す機会を失していた。別に今日で無くても構わないのだが、思い立ったが吉日と言うだろう。隊長を文代わりにするようで申し訳ないと思いながらも、その笑顔に甘えることにした。
 午後二度目の鐘が鳴り、そろそろと頭を下げかけたが浮竹が空咳をし始め軽く覗き込んだ。まだ体調が万全でない事は顔色からも分かる。落ち着いた頃に平気ですかと声をかければ、眉間に皺を寄せたまま何度か頷いた。

「あまりご無理されませんよう」
「悪いね、伊勢君にまで言われるとは」
千世さんがひどく心配されてますから。…いつも思うことですが、彼女、本当に浮竹隊長が大好きですね」

 そう笑って言えば、一瞬浮竹がたじろいだように見え思わず眼鏡の蔓を持ち上げる。好意の言葉は慕われる彼のことだからきっと聞き慣れているだろうと思っていた。現に三席の清音など事あるごとに口を滑らせているというのに。
 彼女から直接的な言葉を聞いた事がある訳ではないが、彼へ寄せる信頼や愛情というものは会話の端々からでも漏れ出ている。目は口ほどにものを言う、というのは間違いない。彼女の思いの端に気付く度、十三番隊で築かれる結びの強さを感じていた。
 日南田だけでなく席官を含め隊長への愛情が過度に深いということは、彼自身だって勿論十分認知している筈だろう。だから何を今更初めて知ったかのような反応を見せたのかと不思議に思い、眼鏡の奥から彼をじっと見つめればさっと顔を逸らされた。

「…どうかされましたか?」
「いや。何でも無いよ」

 浮竹はにこりと笑い、それから一つ咳払いをするとそろそろ行くよと手を軽く上げる。京楽探しを励まされ、伊勢は頭を下げるとそのまま背中を見送った。
 気の所為と言われればそれまでだが、妙に浮竹との間に流れる空気が停滞したように思えた。だが何が理由であるか、全く心当たりもなければ検討もつかないから恐らく考えすぎか気の所為なのだろう。
 さ、と伊勢は軽く襟元を整えると再び歩を進めた。立ち話につい花が咲いてしまったが、今は逃げ出した八番隊隊長の首根っこを掴み隊舎へと連れ帰る事が最優先だ。まずは思い当たる居酒屋のある方角へと身体を向け、歩幅を広げた。

 

(2021.2.28)