私の魚が走り出そうとするので

50音企画

私の魚が走り出そうとするので

 

 休日、瀞霊廷の繁華街を歩くと夫婦や恋人同士の仲睦まじい姿を多く見る。連れ立って食材や日用品や食材を買う者、呉服屋で反物を選ぶ者など賑わっている様子に紛れ、浮竹は手元の紙切れに書かれた食材を無事全て手にして帰路を辿っていた。
 今頃千世は部屋の掃除を済ませていることだろう。買い集めたのは夕飯の具材で、千世が今日は鍋にしたいと言だし紙切れにつらつらと書き出したものだ。帰宅時間の関係で千世が買い出しを行う事が多く、休日くらいはと今日は浮竹が名乗り出た。八百屋や肉屋の主人に珍しがられたが、まあそうだろう。此処最近はほぼ彼女に任せてしまっていた。
 互いに休日だというのに、この公になれば面倒になる関係性から二人して街へ繰り出すことは出来ない。本当ならば、この今浮竹の眼の前を歩く恋人同士のように仲睦まじく買い出しをするのが理想ではあるが難しい。
 この休日の光景が羨ましく無いと言えば嘘になる。可能であれば、一度くらいは互いに死覇装でなく普段着で街を歩き、目についた店を覗いてみたいものだ。買いもしない調度品を見て部屋の何処に置いたら良いとか、ちり紙がもうそろそろ切れるから買い足そうとか、そういう何とも無い会話を道すがらしてみたいと、思ったことがない訳ではない。
 千世は、どう思っているのだろうか。同じ年頃の男女がこうして休日、街で仲睦ましげに過ごす様子を目にした時彼女は羨ましいと思うのだろうか。年頃から随分過ぎた浮竹でさえそう思うのだから、彼女にも少なからずそういう感情が無い訳が無いだろうと勝手な決めつけを行う。
 賑やかだった繁華街を抜け、静かな住宅街へ入り暫く彼女が待つ屋敷へと帰る。玄関で乱れていた履物は綺麗に整えられ、心なしか廊下の板張りに艶が見えた。物音がする台所へと顔を出せば、彼女が何やら鍋を持ち上げている後ろ姿を見つけた。
 足音に気付いた千世がおかえりなさいと振り返った姿へ、手にしていた食材の入った袋を置き近づく。鍋を置いた千世は隣へ立った浮竹を不思議そうに見上げた。

千世は、休日何処か出かけたい所は無いのか」
「出かけたい所…どうしたんですか、急に」
「いや、何だ。今日街が混んでいたから、ふと思ってな」

 千世は悩んだように目線を空へ泳がせる。表立って言えない関係性から、恋人となってから今の今まで彼女に窮屈な思いをさせている事には違いない。彼女が望むことそのままを叶える事は出来ないにしても、多少近い事を偶にはしてやりたいものだ。

「特に無いです」
「無い?」
「はい、特には…」
「例えば、ほらいつも行列が出来ている鰻屋があったろう。あとは、最近現世品を仕入れてる雑貨屋も出来た。それからあの花屋と、それから…」

 そう指折り挙げながら、結局どの店も浮竹が今日街で通りすがりに千世が喜びそうだとふと思った店ばかりだ。千世に尋ねるふりをして、浮竹自身の望みを言わせようとしているだけだった。途中で無意識中の意識に気付いた浮竹は、尻すぼみに口を閉じる。

「隊長と出かけるのは、きっと楽しいと思うのですが…」

 千世は目線を逸しながら、少し口ごもった。

「私だけに見せて下さる姿を、その…他の人には見せたくないので」

 そう目を伏せぼそぼそと呟く彼女に、不覚にもぐらりと視界が揺らぐ。まさかそんな言葉が返ってくるとは欠片も思っていなかった浮竹は、紅い顔をした彼女を前に何の気の利いた事も返せずただ口をぱくぱくと言葉を空振った。