略された部分こそ

50音企画

略された部分こそ

 

 千世はひどく後悔をしていた。あのまま流しておくべきだったのに、浅はかにも興味を持ってしまった。
 昨晩、書斎で筆を走らせる浮竹の横で読書をしていた千世はふと本棚の隅に並ぶ荘厳な背表紙を見つけた。気になり手を伸ばしたが彼によってそれは阻まれ、せめて何かと聞けば学生時代の写真が収められているのだという。
 それならば見せて欲しいと食い下がったが、自分はほぼ載っていないからと、あまりに真剣に断られた為その場では諦めた。しかし恋人の昔の姿など、百人に聞けば九割九分が見たいと答えるに決まっている。今日が偶然にも休日だった千世は、彼の出勤後いそいそとこの書斎へ入り見事写真集を手にした。
 中身は確かに学生時代の日常生活を切り取ったような写真ばかりが収められている。千世も霊術院卒業の際には受け取ったものだ。相当に古いもので、恐らく当時ほどの色の鮮明さは失われているもののしっかりと人の判別は出来た。
 その中に、今よりもずっと若く髪も短い浮竹らしき姿や、京楽の姿を見つけた。ほぼ載っていないなど全くの嘘だ。人の中心で笑う姿をいくつも見つけた。学生時代彼は一体どんな生活をしていたのか、一生知ることのない事だと思っていたが写真を見るとその断片に触れたような気になる。
 そうして眺める中に、一枚彼と共に写る女性の姿を見つけた。まるで隠し撮ったような、二人で笑い合うものだったがその纏う雰囲気に胸の奥がぎゅうと絞られるような感覚だった。ああきっと好い仲だったのだろうと、その一枚だけで分かる。これを彼は隠したかったのだろう。自分がほぼ載っていないからと嘘を吐いてまでだ。
 暫く写真を見つめたまま手足に血の通わないような時間を過ごしていたが、そっと閉じ結局今日は一日あの写真集を開いた後悔に苛まれながら過ごすことになった。気づけばもう日が暮れ、間もなく彼が帰る頃だろう。昼も食べていなければ晩の用意もしていない。ただ畳の上でぐったりと本を片手に過ごすだけの無為な一日を過ごしてしまった。
 そうぐったりとしている中帰った浮竹は、千世の姿を見てどうしたと一言呟く。のそりと起き上がった千世は、正座をすると浮竹を見上げる。

「隊長は学生時代に、その…恋人はいらっしゃったんですか」

 聞こうか聞かまいか一日悩んでいたが、この後悔と重い感情を解決するには彼に尋ねる他無かった。暫く間を置いた浮竹は、千世の前にすとんと腰を下ろす。

「…千世、見たのか」
「すみません…」

 どこか悲しげにも聞こえる声に、千世は目線を下げた。特に否定もしない様子に、また手足が冷たくなってゆく。まさか想像をしていなかった訳ではない。彼のような人物であれば、放っておいても自然と寄ってくる。その中で好い仲の相手が出来る事など不思議ではない。

「ああ、いえ…勿論隊長が色々ご経験されてらっしゃるのは分かってましたし、怒ってるとか悲しんでいるとかではなくてですね、少し気になっただけで、そう深い意味は無くて…」

 空回りするような言葉を口から垂れ流し終えると、ぎこちなく笑う。過去の事に嫉妬をされても困るだろう。行き場のない気持ちで当たられても面倒くさい女だと思われるに違いない。一体それを彼に聞いてどんな言葉が返ってくる事を望んでいるというのだろう。
 見てしまった後悔と、尋ねてしまった後悔と、何を求めているか分からない不安な感情が見事に入り混じり、腹の底の重苦しい感覚が徐々に強くなる。手足は相変わらず血が通っていないように動かず、じっと正座をしたまま俯いた。
 暫く、それは千世にとっては数時間のようにも思える無言の後、膝の上でぎゅっと握っていた拳の上に彼の掌が優しく重なった。その掌の暖かさに握った拳を緩めると、するりと彼の指が絡み握られる。
 あっと口を開けて思わず彼を見上げれば、いつもと変わらず優しく笑う姿だった。年齢よりも若いと感じていたが、あの学生時代の写真に比べればやはり歳を重ねている事がわかる。

「確かに色々な出会いはあったが、それらが無ければ千世との出会いも無かったかも知れない」

 指先を絡ませたまま、一つ一つの言葉を大切に彼は落としてゆく。心底優しい人だと何度思ったか知れない。今まで出会った相手誰一人比べること無く、心を掬い上げるような優しい言葉のように千世は思う。
 全てが今の彼に繋がるものならば、それを否定することなど出来る訳がない。彼と今こうして共に過ごせるのも、手を握り体温を感じ合えるのも全て今まで歩んできた道程が在るからだと今更気づく。徐々に手足へ戻る体温に、千世はぴくりと指を動かし彼に倣って絡ませた。

「今日は一緒に風呂でも入ろうか」
「ど、どうしてそうなるんですか」
「昔の京楽の話でも、ゆっくり聞かせてやろうかと思ってな」

 そう言って浮竹は可笑しそうに目を細める。細かく寄った目尻の皺が、いやに愛しく思えて仕方がなかった。

(元カノが出てきてもやもやする/頂いたおだいばこより)