正しい空の仰ぎ方

おはなし

 

 休日ではあったが、日が落ちた頃隊舎裏の訓練場へと訪れていた。この所、始業前や終業後に多少の時間を見つけてこうして訓練場へ来ては斬魄刀との対話を試みている。
 長く実戦に出て居ない為機嫌を損ねてしまっている事は薄々感じていたものの、あまり時間を割く事もせず放置に近い状態となっていた。現世では変わらず破面との交戦は続いており、先日もルキアから伝令神機で軽く状況を聞いている。
 決戦は冬と聞き、はじめは随分先の話だと思っていたものだが秋を迎えた当たりからやけに時間の進みを早く感じる。尸魂界は藍染の一連の件からようやく立ち直りつつあり、まるで日常が戻ったと錯覚するような日々に平和ぼけをしかけていた。
 秋も深まり、出勤時には襟巻きを巻くようになり冬の足音がその耳へ確実に聞こえてくる。机に向かい、紙上の文字を追い朱肉で手指を汚すような日々に追われるほどに死神としての本来在るべき姿を忘れかけていた。
 風がびゅうと吹き、千世はその凍えるような寒さに思わず目を開く。暫く話し合いを続けていたが、相も変わらずなかなか気難しく、思ったような対応を得られなかった。暗く広い訓練場の中心で、あと三日はかかるかと千世はぼそり呟く。こうも長い間放置を続けていれば、機嫌を戻すのも一苦労になるというのは当たり前のことだ。
 鞘にその刀身を収めながら、ひとつ溜息を吐いた。実戦を決して避けているわけではない。副隊長業務があまりに煩雑である事をよく知った清音や小椿が気を利かせて、討伐任務や遠征の一切に当たらないよう調整をしてくれているだけだ。
 遠征は難しいとしても、日帰りの討伐任務程度であればさして影響はない。そう何度か言っているものの、大丈夫だからと笑って答えられ、結局それ以上千世も言及していない。甘えていると言えば、そうなるのだろう。無理にだって討伐任務を受ける事は出来るというのにそうしないのは、ただの怠慢だと斬魄刀にも叱られたばかりだった。仰る通りですと頭を下げることしか出来ない。
 次回の討伐任務には清音に言って無理にでもねじ込んで貰うべきだろうか。半日ぐらい書類を溜め込んだ所でどうにでもなる。その場しのぎで浅はかだとまた斬魄刀には説教されそうなものだが、案外単純だからある程度は満足してくれるに違いない。
 さむ、と吹いた風に自分の腕をさすった時、照らしていた月の光が遮られ雲でも流れたかと見上げる。しかしそれは雲ではなく、訓練場を囲む崖の上に立つひとつの人影だった。風で揺れる長髪に千世は自然と口元を緩め、崖上へと飛び上がりその側へと駆け寄る。

「訓練場の使用記録の確認をしていたら、名前を見つけた」

 浮竹は手に持っていた襟巻きを千世へと手渡す。寒いだろう、とその柔らかな毛糸素材の襟巻きはほんのり彼の体温が残り温かい。礼を伝えながら首元へふわりと巻くと、雨乾堂と同じ香りが鼻をくすぐった。

「隊長は寒く無いですか」
「俺にはほら、これがある」

 そう言って羽織を掴みひらひらと見せる。防寒になるほどの生地には見えないが、裏地もある分一枚羽織るだけでも違うのだろう。このまま二人で隊舎まで帰るかと思ったが、何を思ったのか草むらの上へすとんと浮竹は腰を下ろす。
 千世も釣られてその横へ腰を下ろし、誰も居ない訓練場を二人で見下ろした。

「最近、随分熱心なようだな」
「はい、斬魄刀の機嫌がすこぶる悪くて…」
「まあ、実戦から多少離れればそんなものだろう。俺も偶に斬魄刀とは遊んでやるようにしてるよ」
「遊んで…?」

 先程訓練場の使用記録を見ていたというから、ここ最近の千世の使用頻度も知っているのだろう。短時間ではあるものの、ほぼ毎日此処へ訪れては斬魄刀の前で唸っている。彼ほどともなれば、斬魄刀の対話は遊びにでも近いものなのだろうか。
 浮竹の斬魄刀について、それが尸魂界でたった二振存在する二刀一対のひとつであることという事くらいしか千世は知らない。恐らく他の隊の者に聞いても同じような答えをするだろう。隊長ともなれば任務へ出る事がまず珍しく、向かったとしても始解にまで至らないことが殆どだ。
 鬼道や縛道で大抵の相手は圧倒し、能力を使わずとも剣技で始末がつく。隊長ともなる者は、やはり生まれ持ったものなのだろうと思う。

「隊長は勿論卍解を会得されてるんですよね」
「まあ、一応はな」
「一応なんてご謙遜です。…暫くこの子と話し合ってますが、私には無理そうです」
「話し合い?一体どんな性格なんだ、君の斬魄刀は」

 浮竹が驚いたように言う言葉に、千世は苦笑いで答える。話し合いで卍解を会得しようなど無理だとは分かっているが、斬魄刀の性格を思うとどうしてもそこから始めなくてはならない。
 副隊長ともなれば、卍解の会得というのは一つの目標となる。こればかりは斬魄刀の相性や性質、そして勿論才能の兼ね合いとなるから努力だけではどうにもならないものだ。自分はあまり向いてないと、千世は薄々感じている。努力でどうにかこの場所へ辿り着いたが、この先に関しては才覚が大きく影響する。

「そういえば私、隊長の始解も実際に見たこと無いです」
「そうだったか?有事でなければ、あまり見せるものでも無いからな」

 確かにそうだろう。相手が格上でなければその始解を拝むことは叶わない。いつかその後姿くらいでも眺めることができればと多少は思うが、しかし彼の始解を見る事になるような状況を望みたいわけではない。ましてや卍解など、それこそ世界が崩壊でもしない限り目にする事なんて無いだろう。
 斬魄刀の話というのは、個人的な印象が強く友人同士であっても互いに話すことは少ない。こうして何か切欠が無い限り、あまり自ら進んで触れたことは無かった。だからこうして刀を手に話す事が新鮮で、彼が一体何を語ってくれるのか楽しみでもある。
 浮竹が渡してくれた毛糸の襟巻きは抜群の耐寒で、時折吹く冷たい風から首元をしっかりと守りきってくれていた。それに何より、顔を埋める度彼の香りがいっぱいに広がり安堵する。何に対しての安堵であるかは分からないが、だだっ広い訓練場にいるというのに包み込まれるような心地だった。

「最近妙に考えている様子は、卍解の事か」
「…ええ、はい。でも、難しいかなと、見切りをつけようと思っていたところです」

 諦めは肝心だ。手に入らぬものを追い掛け続けるというのは精神や感情そして体力も消耗するものだ。そうか、と浮竹は腕を組んだまま真っ直ぐ前を見つめる。彼だって気づいているはずだろう。千世が今副隊長として立っているのは血の滲むような努力と執着の賜物だ。何れ限界が来る。
 そこに多少の才覚はあったとしても、際立ったものではない。多少他よりも霊力が高く、多少要領も良かった。運の良さもきっと持ち合わせていたのだろう。しかし天才には叶わない。日番谷のように目にも留まらぬ早さで隊長まで上り詰める者だって実際に居る。
 彼らは別格であって別世界の話だと分かっては居たが、今斬魄刀と対話をしながらまざまざとその差を思い知らされた。

「まあ、あくまで俺の場合だが…理詰めは効かないな。死神同士とは違ってその全てが精神の繋がりだろう。だから互いにありのままを受け入れなければならない、忖度も温情も無い平らかな場所でね」
「温情もですか?」
「そうだな。相手を思い遣るのは大切だが、それは時に真実を隠す事になる。自分の身体の一部とも言える斬魄刀相手に、過度な温情は毒だよ」

 千世の性格をよく知っているからこその言葉なのだろう。霊術院では斬魄刀の何たるかはつらつらと説明されても、その先にある付き合い方までは教えてくれない。始解にたどり着けない者も多い中、そんな講義は無意味だという事なのだろう。千世自身も斬魄刀の姿をはじめて見たのは護廷隊へと配属され暫く経った頃だった。
 力の解放というものを知り、振り回されながらも試行錯誤を繰り返したものだ。あの当時に比べれば多少はうまく扱えている。しかし彼の言う忖度や温情とやらには心当たりがあった。

「冷たく聞こえるかい」
「…いえ、確かに仰る通りだと思いました。どちらかというと、腐れ縁の友人のような感覚だったんです。私は力を貸してもらっていて、それにはあの子の意思が大切で…」

 つまるところ、気を遣っていたという事だ。浮竹が言うのは、その過度な気遣いが余計なものだという事なのだろう。

「関係は良好に越したことはないよ。今までうまくやっていたんだ、それはそれで決して間違いじゃない」
「…そうなんでしょうか」
「そう。だが、常に対等である必要はない。斬魄刀の主は死神なんだ、時には首輪を付けて引き摺る事があったって良い」

 案外過激な事を言うものだと横顔を見ながら思う。まさか浮竹は彼の斬魄刀に首輪を付けて引きずるような事が過去にあったのだろうか。果たして分からないが、そういう心持ちである事が大事なのだと言うことか。
 そっか、と千世は一人納得するように呟く。今のままの関係ではきっとその先には進めないという事なのだろう。ああ、なんだか恋愛に似ているな、と少し考えたが流石に口に出すのは止めた。いや、でもあながちそれは間違っていないのかも知れない。
 今横に腰を下ろす上官とも、言い合いに近いような事を何度か経験したものだ。相手の気分が良くなるような優しさとは、単なる媚びへつらいでしかない。欲しいものを求める事は簡単だが、どうして求めるのかを知ることは難しい。心の交わりというのは、実に難解だと交わす言葉が増えるほどに思う。
 秋が進むうちに徐々に虫の音は減った。以前であればこの時間になれば、うるさいほどに虫たちの求愛が行われていたが今は指で数えられるほどのように感じる。寒いな、と横でぼそりとした声が聞こえ彼を見た。やはりさすがに羽織一枚では足りないだろう。慌てて首に巻いていた襟巻きを外し、押し付けるように渡す。

「ありがとう。でも、千世が付けていなさい」
「それなら、そろそろ帰りましょうか。もう夜も遅いですし」

 受け取りを断られた襟巻きを抱えながら立ち上がると、千世は冷たい外気に首を竦めた。行かないんですか、とまだ色あせた草むらに腰を下ろしたままの浮竹に声を掛ける。ふと千世を見上げた浮竹は、腕を強く引きそのまま態勢を崩した身体を膝の上で受け止めた。彼の顔を見上げながら、突然の事に目を丸くする。

「どうしたんですか、急に」
「まだ戻るのが惜しい気がしてね」

 そう笑った浮竹に、気の抜けたような声でそうですね、と千世は答えた。ゆっくりと身体を起こし、彼の膝の上へと座る。羽織で包まれるように背後から抱きしめられると交わった体温が心地よく、溜息が漏れた。

「本当に羽織って温かいんですね」
「そうだろう、お陰で中々冬は過ごしやすいんだ」
「あ、そうだ」

 千世は腕に抱えていた襟巻きを、手を伸ばし彼の首へと巻く。彼に抱えられた態勢のままあまりうまく巻けず、ぐしゃぐしゃと適当に巻きつけた様子に浮竹は眉を曲げて笑った。
 誰も居ない、何の面白みもない訓練場を寒い中二人で見下ろしているというのに、不思議と会話は尽きず笑い声が時折控えめに響く。何ということのない時間ほど終わりが近づけば名残惜しくなるというもので、いつもこの時間がずっと続いてしまえばよいのだと思う。
 刀の鞘を握りながら、千世はそっと彼の胸へ背中を預けた。

 

正しい空の仰ぎ方
2020/11/05