欲と二人で水入らず

50音企画

欲と二人で水入らず

 

「浮竹、それはちょっとマズいんじゃない」

 偶然隊舎近くで出会った京楽と軽く会話を交わしていれば、突如何かに気付いたように口をやらしく歪める。急に咎められるような言葉を向けられたから、浮竹は訳も分からず眉を曲げた。
 一体何がと聞いてみれば、京楽は首のあたりを指差す。はあ、と一瞬はぽかんとしていたものの、突然昨晩の事が蘇りさっと血の気が引いた。京楽が目敏く気付いたのは、恐らく鎖骨のすぐ上辺りに付けられた痕の事だろう。浮竹は、咄嗟に指先で隠すように触れる。

「随分しっかり付けられてるじゃないの」
「…いや、これは…」
「気付かなかったの?」
「あの程度じゃ痕にならんと思ったんだよ」
「あの程度ねえ……」

 確かに今浮竹が指で触れるその場所へ、昨晩やけに熱心に何度も口付けられた事を思い出す。だがそれは多少こそばゆい程度の感覚で、まさか痕になるほどとは微塵も思わなかった。単に甘えているだけかと特に注視していなかったが、まさかこれが狙いだったとは思うまい。今まで痕をつける事などする事はあってもされる事は一度としてなかった。
 しかし困った。今日はもう一日の半分が過ぎている。今日に限って稽古場で指南を行い、待機所に顔を出し日頃あまり会話を交わすことのない隊士と交流を持っていた。いくら京楽が目敏い方とはいえ、まずいと評されるというのは控えめに言っても目立つのだろう。元々色素は薄い方であるため、多少の引っかき傷程度でも目立ちやすいのは昔からだ。
 生憎鏡が手元になく、痕を今すぐ確認出来ないことがもどかしい。だが、確認した所で女性のように白粉を塗る訳にも行かないし、かと言って大げさに包帯を巻けばその方がよっぽど目立つだろう。さてどうしたものかと、一つ浮竹はため息を吐いた。

「…目立つか」
「まあ、うまい場所に付けられてるよ。丁度死覇装で隠れない」

 参った、と頭を抱えたくなる。だが彼女を責める気にならないのは、浮竹も過去何度か同じ事をやらかしているからだろう。首元や胸元に紅い印を残し、翌朝叱られた事は多くはないが一度ではない。
 肌を重ねる中で、その姿を他の誰にも見せてやるまいと湧き出す独占欲は目立つ場所へ印を付ける事により案外簡単に昇華される。結局彼女につけた所で白粉で誤魔化されるからあまり意味はないのだが、赤らんだ肌にくっきりと浮かぶその痕を見下ろすと言い得ぬ充足感に支配される。
 それを知るからこそ、千世を責める気にならない。実に心当たりのある感情だった。

「珍しいんじゃないの、千世ちゃんがそんな印付けてくるなんて」
「…そうだな、まあ…珍しい」
「でも良いんじゃない、そのままにしてあげれば。今更隠した所でもうとっくに噂になってるでしょ」

 京楽の言葉に、まあ確かにその通りかも知れないと浮竹は唸る。午前中は散々隊舎を練り歩き、今思えばそれはある意味千世によってつけられた痕を見せびらかす行脚だった。今更隠した所で、焦って隠したのだと逆に噂になりかねない。それならば堂々としていた方が逆に虫刺されかも知れないと、勝手に収束してくれる可能性もある。
 浮竹は痕をなぞっていた指先を下ろす。京楽は改めてその紅い印をまじまじと見つめながら一言、目立つねえと笑った。とは言え、今日これから隊舎へ戻った後は雨乾堂で机仕事のつもりであったから、来訪者がない限り新たにこの痕の目撃者を増やすという事は恐らくほぼ無いだろう。
 京楽に指摘され初めは咄嗟に焦ったものの、思えば確かに彼女の剥き出しの独占欲というものに当てられた事は珍しい。何が切欠であったかはまるで分からないが、何時も物分りの良い風に見える千世が身体へ痕を残すほど生々しい感情を向けた事実に胸がぐらりと揺らぐのを感じた。
 紅くついた印を見下ろして、彼女は何を思ったのだろう。印に気付かぬまま朝屋敷を出る姿を見送る彼女は内心罪悪感を覚えながらも、相反する充足感で満ちていたに違いない。それはどちらかと言えば間違いなく悪意寄りの行為であるというのに、だが決して叱る気にならないのは他ならぬ浮竹自身がその印を存外悪くないと感じているからだ。
 その無邪気な悪意によって付けられた紅い印は、初めて覚える感情を奥底から引きずり出し、それを残してやがて二日後何事も無かったかのように消えていった。

(キスマークを付けられる/頂いたおだいばこより)