梔子にくちづけ

2021年6月26日
50音企画

梔子にくちづけ

 

ほとんど善意の続き

 溜まっていた細かい業務が無事に片付き、一人執務室の長椅子で横になりながら煎餅を口に含んでいた。あまり腹も減らなかったから昼食を取らずに励んでいたのだが、いざこうして一段落すると途端に減り始める。
 かといって、この時間にしっかりと食事を取ってしまっては夕飯に差し支える。実に微妙な時間だ。多少の空腹ならば煎餅で満たせるだろうかと思って食べ始めたが、やはり一枚程度では収まらない。迷いながら二枚目に手を伸ばした時、襖を軽く叩く音が聞こえて慌てて身体を起こした。

「どうされたんですか」

 急いで帰ってきたのか、僅かに髪が乱れている。千世の言葉に、何故か少し気まずそうに目線を逸した浮竹の腰をかける場所を千世は空けた。
 隣に腰を下ろした浮竹は、何か顎を擦りながらどこかそわそわと落ち着かない。どうしたんですか、ともう一度千世が聞くがいや、とか別に、とかぼんやりとした答えだ。明らかに様子がおかしいが、あまり聞いても逆にもっと隠されてしまいそうだから結局千世は眉を曲げて黙った。
 二枚目の煎餅を食べながら、千世は浮竹にも勧める。だが腹は一杯だからと断られた。それならば仕方ない、と千世は無言で煎餅を噛み砕く。何の変哲もない煎餅だが、小腹を満たす程度であれば実に丁度よい。
 しかし一体何のために急いで此処へやってきたのか疑問に思いながら無言で居れば、何やらすんすんと隣で香りを嗅ぐような音が聞こえ始めた。それは実に控えめで、千世がふっと横を見ればそれを止める。
 また正面を向きながら煎餅を噛み砕いていれば、横で彼が僅かに身体を寄せまたすんすんと鼻を利かせる音が聞こえた。

「隊長、何ですか」
「ん!?」
「さっきからすんすん…煎餅ならまだいっぱいありますから」
「い、いや…違うんだ」

 慌てた様子の浮竹に、千世は不思議そうな顔をする。

「…千世から、良い香りがすると思ってな」
「良い香り……」

 ああ、と千世は声を上げる。そうだ、すっかり忘れていた。最近良い香りの香水を手に入れ、それが気に入ってつけていたのだ。瀞霊廷でも有名な店のもので、特に人気のクチナシの香りだ。甘すぎない上品な香りが実に気に入っていた。
 付け始めたのは少し前だったが、特に浮竹からの感想はなく多少拗ねたくなるような気もしていたが、だがあまり敏感でない彼だから仕方がないと思っていた。何があったのかは知らないが、突然香りを嗅がれて少し照れたように感想を述べられると自然と頬が染まる。

「甘いのに、爽やかだな。千世によく似合う」
「…好きな香りなので、嬉しいです」

 千世は小さく笑うと、香りを確かめるにしてはやけに近く彼の顔が寄る。あっと一瞬押し負けそうになるのを、胸元に手を添え堪えた。

「でも、どうして急に」

 千世がまるで最後の言葉のようにそう尋ねると、そんな事は良いんだよと、口を塞がれた。