書店にて

おはなし

 

書店にて

 五番隊舎付近の古書店には良く訪れていた。今はもう絶版となった書籍や、はたまたどのような経緯であるかは分からないが現世から渡ってきた日に焼け薄茶けた古書まで揃っている。
 店主は意識があるのか無いのか分からないような老人で、過去護廷十三隊に所属していた死神だという。一説には山本総隊長の同期だという噂があるが、誰一人として彼と言葉を交わしたことが無いから定かではない。
 その日非番であって吉良は、少しの所用を済ませた後に自然と古書店へと向かっていた。これと言ってほしい品が有る訳ではないが、時折訪れると前回は見たことのない書籍が増えている。あの店主がいつどのように品を仕入れ陳列しているのか、瀞霊廷の七不思議に数えられそうなものだ。
 店を覗くと、古書の独特のにおいが鼻をつく。決して良い香りとは言えないが嫌いではなかった。所狭しと本棚の立ち並ぶ狭苦しい店の中は、大抵がらんとしている。今日もまた客は自分だけかと歩を進めると、突然棚の影から現れた姿にうわっと情けない声を思わず上げた。

「ごめんなさい、驚かせて」
「い、いえ…この店で人を見たのが初めてだったので」

 人影は十三番隊の日南田千世であった。真央霊術院での先輩にあたるが、特別親しいという訳ではない。彼女と同期である檜佐木とは会話も交わすことが多かった為、彼伝いに日南田の話を聞く事の方が多かった。
 彼女が先日副隊長に上がったと知ったのも檜佐木からだった。入れ替わりの少なくない副隊長の就任というのは隊長就任に比べ実に地味だ。派手に就任を祝われるわけでも知らされるわけでも無いから、隊首会に帯同する姿を見て初めて知る事や風の噂で聞くことの方が多い。
 吉良は棚に伸ばしかけていた手を引っ込め、彼女が手に持つ古びた書籍にふと目を遣った。見ただけで黴のかおりが鼻をかすめるような色あせた表紙の文字はもはや視認できない。だが大切そうに手に持っている所を見ると、中身については恐らく無事なのだろう。

「吉良君はよく此処に来るの?」
「よく、ではありませんが…気が向いたときに」
「そうなんだ、珍しい。私の周りに誰も此処入った事ある人が居なくて」
「同じですよ。市丸隊長なんて、この本屋を知らないらしいですから」

 先月辺りだったか、仕上げた書類を珍しく隊首室に居た市丸へと届けた際の事だ。前日吉良が休みだった事を話に持ち出し、何をしていたのかと尋ねられた。日頃からあまり他人の個人的な事に興味があるように見えなかったから、珍しいものだと思ったが恐らく気まぐれだろう。
 丁度その休日にもこの古書店に訪れていたからそう彼に伝えれば、そんな本屋あったかなあと流暢な京都弁で返されそこで話は終わった。吉良よりも在籍が長いの彼が知らない筈がないと、まさか長い間自分は狐に化かされてでもしただろうかと不安に思ったものだ。
 その翌日、たまたま五番隊舎の雛森に所用があった際にわざわざ通り道でないこの古書店の前を通った。なんだやっぱり有るじゃないかと、自分の幻覚でなかった事に多少の安心を覚えたものだ。
 そして今日出会った日南田により古書店の存在は確固たるものとなった。いや、まさか何度も訪れている店が幻覚だったなどとは端から思っていない。だが市丸のあの捉えどころのない表情で曖昧な言葉を返されると揺らぐ。
 そうぼうっとしていれば、どうしたのと声を掛けられ暈けていた焦点を再び彼女へと合わせた。

「そういえば日南田さん、副隊長就任おめでとうございます。少し経ちますが」
「ああ、うん。ありがとう」

 日南田は何とも言えないような表情で頷く。学院時代、吉良は彼女の存在を知らなかった。彼女の代で目立つのは檜佐木ばかりで、勿論他にも優秀な生徒は多かっただろうが、しかし彼と比べれば「その他」というような印象だった。だから彼女を知ったのは護廷十三隊入隊後、十三番隊で上位席官へ上がった頃だ。
 合同訓練で偶然同じ班に編成され、日南田から挨拶をされた。何処かで見覚えのある顔のような気もしたが、あまり特徴のない様子だったから気のせいだろうという事にしていた。彼女が檜佐木と同期であると知ったのは、昼休憩の雑談の際だった。
 それからもう数十年が経つ。

「それ、何の本ですか」
「ああ…これは薬草の本で、古いんだけど卯ノ花隊長にお勧めされたから」
「薬草、そういえば詳しいんでしたね。今でも勉強されてるんですか」
「勉強というか、浮竹隊長に体力をつけて貰いたくて」
「ああ、成程…」

 それを聞き、吉良は納得したように頷いた。四番隊所属だった頃、度々隊舎では浮竹の姿を見かけていた。月に一度の検診を受けている他、薬を受け取りに来る事や倒れて運び込まれる事もあったか。
 副隊長として彼の下に付く以上、彼の健康への執着は強くなるのだろう。ぱらぱらと中身を開く彼女の手元を見ると、詳細に図解されている。
 話を聞けばこの後にでも四番隊の裏山へ足を運び、早速調合に取り掛かる予定だという。休日にも関わらず熱心なことだと顔を上げれば、そう語りながらやけに嬉しそうに微笑む表情が目に入った。

「お好きなんですね」
「え?!だ、誰を!?」
「いえ、薬草の事ですが」

 そう答えれば、そういうことねと急に慌てたような素振りで誤魔化し笑う日南田を吉良はじっと見つめる。

「そういえば、一つお聞きしたいことがあるのですが」
「は…はい」
「檜佐木さんとはお付き合いをされているんですか?」

 吉良の言葉にしばらくぽかんとしていたが、してないですと一言日南田は返した。その目を丸くしている様子を見ると、恐らく嘘を吐いているわけではないのだろう。
 まさか根拠が無いままに聞いたわけではなかったのだが、見誤ったか。彼女と二人きりになる事など滅多に無く、良い機会だと思い切って聞いてみたのだが。だが根拠と言っても大した事のないもので、この所何度か二人で会話をする場面を瀞霊廷内で見かけたからだった。
 それにもともと檜佐木から日南田の話題を聞くことも少なくなかった事から、自然と二人はそういう仲かもしくはそれに近い仲かと思っていた。
 そう軽く彼女に話せば、そういうことかと可笑しそうに笑う。

「檜佐木君も私も、お互いの好みじゃないと思うよ」
「そうなんですか。それなら、日南田さんはどのような男性がお好きなんですか」
「え!?…ええと……」

 一体本屋で何の立ち話をしているのだと思いながら、悩み始めた日南田に興味をそそられる。少し棚の影から顔をのぞかせて何時も通りに微動だにしない店主を確認するが、相変わらずその落ち窪んだ目元は空いているのか閉じているのか分からず特にこの会話を気にしている様子はない。
 再び日南田へと視線を戻すが、腕を組みううんと唸っている。そこまで悩む理由がよく分からなかったが、吉良はふと口を開いた。

「もしかして、他にお付き合いされてる方が居るとか」
「…え!?いや…ええっと…違いますが、何でその…そう思われたんですか?」
日南田さんってそんな分かりやすい性格されてましたっけ?今適当に言ってみただけだったんですが」
「………」

 気まずそうに口をつぐむ彼女に、吉良はすみませんと一言小さく呟いた。からかいたかった訳ではないのだが、それに似た空気を感じる。

「それで、どのような男性が好みなんですか」
「まだ続いてるの、それ!?」
「悩んでいらっしゃったからには答えて頂きたいと思いまして」

 また動揺したような様子に、更に興味を引かれた。普段から落ち着いているように見える彼女がここまで愚直に揺れる様子というのは、果たしてこの後どのような回答をされるのかと勝手に期待が高まる。

「優しい人かな…」
「何ですかその抽象的な答えは…」
「具体的とは言われてないから」

 もう終わりとでも言うように、彼女はわざとらしく辺りの棚に目線を遣る。吉良もこれ以上探るつもりは無いから、それではと軽く頭を下げた。相変わらず多少動揺を残した様子の日南田は、ぎこちなく笑って同じように軽く頭を下げる。
 結局本の購入をしないまま出てきてしまったが、今日は特に目についたものは無かった。店内で散々会話を交わして居座った挙げ句冷やかしのようになってしまった事が徐々に罪悪感となった。
 自宅までの道のりで路地に入り込むと、ふと何処からか名前を呼ばれ足を止めた。辺りを見回すがとくに人影はなく、こっち、と声を掛けられた塀の上を見れば市丸が腰を掛けている。

「非番やったよねえイヅル。こないな所でどないしたの」
「近くの古書店に足を運んでいました」
「へえ、でも何も買うてないんや」
「ああそれが…日南田さんと少し話し込んでしまいまして、流れで何も買わず出てきてしまいました」

 まだ勤務時間中だというのに何をしているのかと尋ねたいのは吉良の方だったがぐっと飲み込む。市丸は日南田、という名前に引っかかったのか少し考えたように空を見上げる。

日南田…あぁあの新米副隊長サンの事」
「はい、十三番隊の」

 珍しくピンと来たのか、市丸はぽんと手を叩く。

「あの子、隊長サンとよお一緒におるよねえ。この前も白道門から二人で出てくの見たよ」
「白道門…ですか?」
「そうそう。二人して普段着姿やったけど、一体何処行ったんやろねえ。わざわざ外出申請出して。まあ、どうでもええけど」

 そう言って市丸は塀の上からぴょんと飛び降りる。怠そうに伸びをする姿を見てとうとうお仕事は、と一言聞いてみればあからさまに無視をされ小さくため息を吐いた。

「さぁて、仕事戻ろ」

 わざとらしくそう呟き去ってゆく市丸の背中を見送りながら、市丸が見たという浮竹と日南田の話を思い返す。隊長と副隊長が連れ立って任務へ向かうのはそう珍しくない話だが、市丸が敢えてその話を持ち出したのは二人が普段着姿だったからだろう。
 ぽつぽつと歩き出しながら、ふと彼女の好みの男性が「優しい人」だとあまりにありふれた答えをした事を思い出す。浮竹の寛容さは護廷十三隊随一と言っても過言ではないが、まさか。僅かに考え掛けたが、いやまさかあり得ないと笑う。
 隊内恋愛は多いが、しかし万が一にも隊長と副隊長が交際する事は有り得ないだろう。それに、浮竹と日南田には父子に近い年の差がある。一瞬でも何を考えているのかと、その突拍子もない想像に我ながら呆れた。
 だが、困ったのは有り得ないと理解しながらも、二人の並んだ姿というものは案外似合いなものに思えてしまったからだった。

 

(2021.3.20)