拭ってやりたかったよ

50音企画

拭ってやりたかったよ

 

 確か、千世が副隊長へと昇進する少し前の事だった。隊首会から隊舎への帰り道、彼女の姿を見つけた。そこは以前十一番隊の道場が存在した跡地で、今は取り壊され更地になっている。数本の太い柱だけが空地に横たわり、それは時間の経過と共に正しく朽ちていた。
 遠目にその姿を見つけた浮竹は一瞬声をかけようかと思ったものの、しかし横たわる柱の上へ腰を掛けながら俯く様子に上げかけた片手をそっと下ろした。多少距離もある上、風がざわざわと辺りの雑草を揺らす音で浮竹の存在には気付いていないらしい。俯いたまま、じっと地面を見つめているようだった。
 あまり人通りの多くないその場所を、きっと彼女はあえて選んだのだろう。彼女に何かがあったという事はその様子から見るに明らかだ。浮竹は結局声を掛けること無く、隊舎へと戻った。
 戻った後に知った事だったが、朝方に出発した討伐任務において千世の連れていた隊士が重症を負ったのだという。欠損も無く命に別状はないようだが、千世の先程のあの落ち込んだ様子の理由であることは明らかだった。
 浮竹が該当隊士の見舞いに向かう頃には意識を取り戻しており、四番隊の治療によって回復へと向かっていた。復帰には未だ多少掛かるようだったが、後遺症も無いだろうという事を担当の治療班からは聞かされた。
 以前にも一度、似たような事があったことを浮竹は再び隊舎への帰路で思い出す。まだそれは海燕が副隊長だった頃で、彼女が五席へと上がったばかりの頃だったか。今回と同じように彼女を班長として編成された討伐班にて重傷者が出た。顛末書には千世の指示判断の遅れが原因であったと彼女自身によって記されていたことを覚えている。
 あの時もひどく落ち込んでいたものだった。今回については怪我を負った隊士自身が自らの不注意であったと申告しており、軽く状況を聞いただけでもそれは間違いない。千世もそれを承知しているだろうがしかし、恐らく以前と似た状況に動揺をしたのだろう。
 彼女を長として編成される班は、負傷者が極端に少ない。敵戦力によっては任務を中断するという事も厭わず、他隊においてそれを良しとするかは難しい所だが十三番隊においてそれを咎める事は無かった。以前重傷者を出した経験から特に彼女は気を遣っていたのだろうが、しかしそれであっても死と隣り合わせであることには変わりない。
 彼女には様々な経験をしてもらわなければならない。それによって彼女が深く悲しむ事も傷つく事もあるだろうが、それを経て得るものが必ず有る筈だった。そう上の空で考えていれば自然とあの更地の方向へと向かっていた事に浮竹はふと気付き、一瞬立ち止まってから隊舎の方角へと踵を返す。
 落ち込む彼女の横に腰を掛けた所で、何を言おうというのだろうか。今の彼女に慰めの言葉を掛けても、それは単なる甘やかしでしか無い。海燕にも一度言われたものだった。日南田に対して過保護すぎやしないかと。

「隊長」
「…千世、どうした…こんな所で」
「隊長こそ、どうされたんですかこんな所で」

 背後から声を掛けられ、浮竹は少し曲げていた背を伸ばして振り返る。少し悩んでから、隊首会の帰りだと伝えれば彼女はなるほどと頷いた。

「私は少し小腹が空いたので、団子を食べてきたところです」
「…そうだったのか…?」

 確かに茶屋はあの更地近くにあるが、恐らくあの場所に居たと知られたくない彼女の嘘だろう。そうして微笑んでいるが、僅かに腫れた瞼と充血した白目を見ればそれは明らかだ。
 以前同じ事があった時はひどく落ち込んだ空気をあからさまに垂れ流していたものだったが、恐らく今の彼女はその負の感情を受け止める方法をいつの間にかに身に着けていたらしい。見た目は入隊時とさほど変わらないというのに、その中身は随分と立派に成長を遂げていた事に今更ながら気付く。
 思わず立ち止まり、一歩先で立ち止まり振り返ったその姿をまじまじと見つめた。

「隊長、どうされたんですか」
「…いや、何でも無い」

 自然と握っていた拳を開けば手のひらが僅かに汗ばんでいたのか、風が通り抜けるとひやり涼しかった。