手折れないもの-後日談2

おはなし

 

「え、知らないの?」
「いや…知らん」
「相変わらず疎いねえ。瀞霊廷で知らないの浮竹だけじゃないの」

 京楽の言葉に浮竹は腕組み唸る。
 隊首会後、帰路を辿りながら聞き慣れない言葉を耳にした事が始まりだった。何やらそれは一ヶ月前に女性から受け取った菓子を男性が返す現世の行事のようで、ホワイトデーと言うらしい。もう準備をしたのかと尋ねられ、意味が分からず京楽へ聞き返せば呆れたように首を横に振られた。
 思い返せば確かに一ヶ月程前やたらと菓子を受け取る日があった。その多くは西洋の菓子で、やけに手の掛かった手作りであったり瀞霊廷での有名店や現世の品も混じっていた。それがどうやらバレンタインデーと呼ばれる現世で流行りの行事のようで、聞けば毎年二月十四日には女性が甘い菓子を男性へ渡し想いを伝えるのだという。
 いつの間にそんな行事が尸魂界へ伝来していたのか全くもって知らなかった。京楽によれば数年前から流行の兆しを見せていたようで、今年は爆発的に流行ったらしい。確かに思い出してみれば去年も菓子をやけに貰う冬の一日があった気もするが、定かではない。

「じゃあどうするのお返し。貰った子の事覚えてる?」
「大体は覚えてるが…参ったな」

 いっそ去年のように知らなかったという体裁を取り、そっとやり過ごす事も一つの手だろう。しかしその行事の意味合いを教えられてしまったからには、流石に心苦しい。隊首会をようやく終えて晴れ晴れとした気分だったというのに、まさか直後に悩みの種を植え付けられるとは思わなかった。
 女性が菓子を渡すに当たって全てが全て好意を伝える意味ばかりではなく、感謝の意味合いを込めることも多いのだという。だから特別悩む必要は無いと、深刻に眉根を寄せる浮竹に京楽は笑った。
 勿論どのような意味合いを持って渡したかなど本人のみぞ知る所で、ひとりひとりを慮る事には限界があるだろう。京楽の情報によれば現世では受け取った同等以上の菓子や雑貨を返す事が多いというからそれに倣うのも手だ。 
 しかし、と浮竹はふと過ぎった姿をそっと頭の隅へと追いやろうと目を瞬く。

「昨日だったかな。惣右介君が雑貨店で何か買い込んでたよ」
「その、ホワイトデーの為に?」
「だろうねえ。モテる隊長さんは大変だ、ボクも含めて」

 そう笑う京楽自身は何を返すのかと聞けば、内緒と一言返された。同じものを真似されたのでつまらないからだというが、返礼品で個性を出すつもりがない浮竹にとってはどうでも良い事のように思えた。

「でも、千世ちゃんにはしっかりお返し選ばないとねえ」

 その名前が耳に入ると、思わず手にしていた封筒を取り落とした。誤魔化すように咳払いをすると、石畳の上へと落ちた封筒を拾い上げる。
 動揺をしたのは確かだった。というのも、そのバレンタインデーとやらに該当する当日、彼女から手製のおはぎを受け取っていた。彼女はお裾分けだと言っていたが、適当な言い訳を宛てがった可能性が高い。
 そう気付いてからというものの、途端に言いようのない感情が渦巻きどうにも落ち着かない。あの手製の菓子が果たしてその行事の趣旨に則った意味合いであったのか、それとも彼女の言う通りたまたま作りすぎた余りであったのかは分からない。
 ただ、やけにしっかりとした桐の箱に味違いで四つが入っていた事がやけに印象に残っており、口に含みながらお裾分けにしては随分と小綺麗だと思っていたものだった。
 彼女もあまり流行りに敏感というようには見えない。仲の良い松本あたりが吹き込んだのか、はたまた隊内での噂話を耳にしたのか。

「…どうして、その…知ってるんだ、受け取ったことを」
「いやいや、その顔見れば分かるって」
「か、顔…?」

 そう指摘され、今更遅いと分かりながらも口元へ力を込める。まさか口元を緩ませていた訳ではないが、気難しい顔をしていた自覚はあった。
 返礼品と考えた時、ひとりひとりに対して選ぶような時間は流石に取れない。となれば、皆に対して等しく同じものを返す事が最も間違いのない選択だろう。
 どのような意味合いが籠もっていたか本人のみぞ知ると言った所で、日頃世話になっている相手に渡す習慣も現世では有るようだから、京楽の言う通りあまり深く考えるときりが無い。

「折角貰ったなら、あの子にはちゃんと返してあげたら」
「いや…そう言われてもな」
「良い切欠じゃないの。妙齢の女性なんて放っておいても待っててくれないよ」
「…何度も言ってるが、そういうのじゃない」

 だから彼女だけを特別に扱う事は出来ない。と、そう考えている時点で彼女だけを切り離して考えている事には違いない。

「差はつけるつもりは無い。皆に押し並べて同じものを返す事にするよ」
「ああそう…でもまあ、浮竹らしい」

 贔屓はしないと、それはせめてもの抵抗なのだろう。彼女が副隊長へと上がった今、時折波立つような思いをまさか表立たせる筈がない。彼女は昇格するだけの才があり、成るべくして成った。個人の感情が入り込んだとでも思われれば彼女の立場がない。
 妙な感情を抱いてしまったものだと、何度目かの後悔をする。浮竹はひとつのため息を春風へと乗せた。

 当日、何事もなく返礼品を渡し終えた浮竹は一人自室で深く息を吐く。業務の合間合間に隊士の姿を見つけては渡す行為をようやく終えた。
 返礼品は直前まで全く良い品が見当たらず、万事休すと言った所で小椿の手助けが入り助かった。慣れない事をするものではないとは思うが、受け取った以上は礼を尽くしたい。
 どのような思いであっても嬉しい事には変わりなかったが、来年には皆この行事を忘れていてはくれないものかと多少は思う。しかしこういうものは年を追うごとに定着してゆくのだろう。年末のクリスマスもそうだった。行事とはそういうものだ。
 ひとつ伸びをした浮竹は、ふと机上に置かれた書類に目を遣った。
 つい先程、この部屋を出るまでは無かったものだ。中を見ると、丁寧な毛筆で先日現世の駐在任務で起きた負傷に関する報告が記されている。昨日の昼間に千世に頼んだものだった。
 該当の隊士は重症ではあったものの現在は四番隊の治療を受け快方に向かっている。帰還した直後に浮竹も見舞いへ向かったが、顔を出した時には既に意識もあり、予後も順調だと聞いている。
 通常任務での負傷であれば特段報告書は必要無いが、出撃要請の予定にはなかった大型個体の襲撃であった為、状況報告の提出を求められていた。
 急がなくて良いと千世には伝えていたのだが、思っていたよりも随分と早かった。他にも抱えている仕事がある中、救護棟で入院中の隊士本人に確認を取りつつ仕上げてくれたのだろう。ぱらぱらと捲りながら、彼女の疲れの見える表情を思い出す。
 大方の引き継ぎを終えてからというものの、彼女の働きは実に精力的だった。あまり無理はしないよう時折声を掛けているものの、夜遅くまで彼女の執務室には明かりが灯っている。平気だと言うからあまり強く言及はしていないものの、見え見えの嘘だった。
 ふと思い立ち、書類を手にして浮竹は立ち上がる。部屋を出ると、そのまま真っ直ぐに彼女の執務室へと向かった。
 襖の前で声をかけると、中から彼女の柔らかい声が返る。少し隙間を開けて顔を覗かせれば、丁度小休憩の時間だったのか長椅子に腰を掛け湯呑を手にしている所だった。

「何かありましたか」
「いや、報告書の礼をね」
「ああ、ご覧頂けたんですね。早めに出来上がったので、隊長のお部屋に届けに上がったのですがご不在だったので」

 少し席を詰めた彼女の隣へと腰を下ろす。低めの机の上には、今朝方渡した返礼の品が置かれていた。包み紙が剥がれている所を見ると、既に中身は確認をしたのだろう。

「隊長、ありがとうございました。わざわざ」

 浮竹の視線に気付いたのか、箱を手にした千世はそう頭を下げる。礼を言われるようなものでもないから、何と言って良いか分からず笑って返した。
 彼女が開いた箱の中には、飴細工と色鮮やかな手毬飴が透明な瓶に詰められている。見た目にも楽しく良い品だと、浮竹も気に入っていた。小椿には後々改めて礼をしなければならない。

「俺が悩んでいたら、見かねた仙太郎が見つけてきてくれてね」
「そうだったんですか。小椿さん、見た目によらず中々可愛らしいものを選ばれますね」

 金魚の飴細工を箱から取り出した千世は、光に透かすように高くあげて目を細め眺める。その横顔を眺めながら、後悔に似た感情が湧いたのは気の所為ではない。京楽の言う通り、何か別途用意すべきだったかと考えかけたが思考の外へと追いやった。
 贔屓は性に合わない。隊を束ねる者として一人の者に対して特別な感情を抱くなど以ての外であると十分に理解をしている。そう理解していながら、その虹彩の濁りのない輝きを見ると今まで当たり前であった事が崩れかける。

「飴細工って、このまま食べて良いものなんでしょうか」
「勿論そのまま食べられるよ。俺も子供の頃よく夏の縁日で買って貰っていたな」
「隊長が子供の頃…なんだか想像がつかないです」

 千世はそう言って笑うと、金魚の飴細工を結局透明の包装から出す事無く再び箱へと仕舞った。食べないのかと思わず聞けば、勿体ないからと少しはにかんだように答える。
 返礼品は皆同じものであることは彼女も知っている筈だ。箱の中にまた収まった金魚の様子を見下ろす彼女の口元は満足そうに緩んでいた。
 そうだ、と浮竹は立ち上がりながら彼女を呼ぶ。つられたように立ち上がった彼女は、はいとひとつ澄んだ声で答え浮竹を見上げた。

「今日の…終業後の予定は」
「特にありませんが、…どうかされましたか」
「いや…なに、偶には夕飯でもどうかと思ってな…ああほら、報告書の礼として」

 慌てたように首を振る千世は視線を逸し、仕事ですから、と一言答え俯いた。唐突すぎたかと早速後悔が滲むが、此処で引き下がるようでは折角勢いで声に出した意味がない。

「昇進から大体一ヶ月経つだろう、面談も兼ねてだよ」
「面談…は、…はい、それであれば」

 ようやく頷いた彼女を見下ろしながら、内心ほっと息を吐いた。俯き気味の彼女の表情は良く確認できず、終業後に迎えに来る事を伝えて彼女の執務室を出た。最後まで深く頭を下げていた彼女は、一体どのような表情を隠していたのか分からない。
 一人自室へと戻った浮竹は、座椅子へと腰を下ろし湯呑の冷めた茶を喉へと流し込んだ。湯呑の底に溜まった少しざらついた喉越しを感じながら、今しがた取り付けたばかりの約束を思い出し空を見上げる。

「差をつけるつもりは無い、か」

 随分と格好をつけた事を良く言えたものだと、京楽へと吐いた自身の言葉を繰り返した。
 結局の所、はじめから彼女を特別に扱いたくて仕方がなかったのだろう。書類の礼やら、面談やらと苦しい言い訳を並べて彼女を誘い出すとは我ながら愚かしい事だ。
 人とはどうしてこうも得体の知れない感情を前にすると浅ましく愚かしい行動に出るのだろうか。そう呆れながらも、しかし先程までの後悔はいつの間にやら影を潜めていた。
 机上に積み上げられた紙の山から一束を掴むと、中身に軽く目を通す。縁側から差し込む光は手元を明るく照らし、そっと目を細めた。

2021/03/14