手折れないもの-4

おはなし

 

 まだ痺れるような風が吹く中、雪を踏み締め進んでいた。昨日の夜まで降っていた雪は幸いにも今朝には止み、空は青い晴れ間が覗いている。
 太陽の光が新雪に反射して眩しい。木々に積もった雪は日光の温かさで時折ぼたぼたと落ち、度々その音に千世は身体をびくりとさせていた。まだ積もってから誰も通った跡のない道を進むのは中々骨が折れる。足首ほどまで積もる白銀に二人分の足跡を作りながら、かれこれ数時間進んでいた。
 陽は暖かく木々の隙間を縫って差し込むが、新雪の凍えるような冷気は身体を冷やしてゆく。この状況を予想してこれでもかと死覇装の下に着込み、厚手の羽織に腕を通しているもののこの寒さはどうにもならない。
 時折吹く風に肩をすくめ、巻いた襟巻きの中に顔を埋めた。

「参ったな、昨日こうも雪が降るとは」
「予報では晴れでしたからね」
「当てにしている時程、当てにならないな」

 浮竹は眉を曲げて苦く笑う。予定であれば間もなく目的地への到着時刻だったが、浮竹はまだ少し掛かるなと遠い目をして言った。
 休憩地点である宿場町を過ぎて一時間ほど経つ。瞬歩で一息に進んでしまえば遅れも取り戻せるのだろうが、この足を地に着け向かいたい思いが強かった。特にそれを浮竹に伝えた覚えはなかったのだが、彼も黙ってその足で進む。
 前を歩く彼の背を見ながら、ふと雪を踏み締めながら同じようにその背を追いかけた事を思い出す。あの時はルキアと共に朝突然呼び出され、雪のしんしんと降る中、行き先も告げずにひたすら進む浮竹の後ろをルキアと二人で不思議に思いながら付いて歩いたものだ。

「以前も、こういう事がありましたね」
「そうだったか」
「はい、雪の日に朽木さんと隊長と逆骨にある神社へ向かった時です」

 千世にとってあまり神社というものは馴染みがなく、居るかも分からない神に対して手を合わせて祈るなど何十年ぶりの事だった。浮竹は思い出したのか、ふっと笑う。今はあの日のように雪が降っていないだけ、まだましだろう。雪の舞う曇天の下を俯きながら進んだあの凍えるような寒さを思い出し、思わず身震いをした。
 今年は寒い割には雪の降らない冬だと思っていたのだが、昨日の朝から突然降り出した。はらはらと舞う久しぶりの様子に初めは久しぶりだと喜んだものだが、まさかここまで積もられるとは困る。
 立春の今日、こうして出かける事は少し前に浮竹と決めていたことだった。朝、隊舎の中庭にごっそりと積もった雪を二人で眺めていれば彼から予定をずらそうかと提案をされたが、別日にする事はあまり気乗りしなかった。浮竹が構わないのならば今日が良いと伝えれば、そうだなと微笑んだ。

「昨日、節分だっただろう」
「はい。隊舎にも豆が散らばってましたね…隊長も撒かれたんですか?」
「勿論。千世は自宅で豆撒きしなかったのか」
「撒かれたと言いますか…草鹿副隊長が寮に現れて、お陰で部屋の中豆だらけです」

 昨晩、寮でひと暴れを終えた草鹿が帰った後に掃除をしたのだが、いくつかまだ畳の上に転がった豆を踏んで朝悶絶した事を思い出す。駆け回る草鹿の様子を頭に浮かべたのか、笑う浮竹に笑い事じゃないですよ、と返す。
 廊下を駆け回り無邪気に豆を撒くならまだしも、各部屋の襖を問答無用で開け放ち部屋の中にも大量の豆を撒くから彼女を捕まえようと皆躍起になっていた。だが誰一人触れる事すら出来ず、次は男子寮に行くと宣言する彼女の前で冬だというのに皆汗を流してぐったりしていたものだ。
 しかし節分を終え暦上では昨日冬が終わり今日は春の初めだというのに、この白銀の景色を見るとまだあの暖かな風の心地よい春までは遠いと思えてしまう。
 吐く息は白く口から漏れたが、凍える風で直ぐに消し去られる。風が吹くと露出している肌が割れるほど痛く、折角の会話を楽しむ気も失せるというものだ。そうして時折浮竹と会話を交わすことと、無言で雪を踏みしめることを繰り返していた。
 多少開けた道へ出ると、浮竹はその歩幅を狭める。背を追いかけていた千世は横並びとなりざくざくと足跡を並べて作ってゆく。
 思えば二人で何処かへ出かけるのは初めてだっただろうか。今まで顔を合わせる度に緊張で心拍が跳ね上がっていたものだが、こうして数時間も二人きりで過ごせば多少は慣れたのかその横顔に時折視線を向けても以前程の緊張はない。
 しかし無言の中突然言葉をかけられれば、やはり飽きずにびくりと背筋を思わず伸ばす。ほら、と指差す石の道標は雪から少しばかり頭をのぞかせていた。もう間もなくだという彼の言葉にはい、と上ずった声で返した。
 今日のことを思うと昨晩はあまり良く眠れなかった。それは恐らくまだ引け目を感じているからなのだろう。どうかしたかとその様子に気付いたのか浮竹に横から声を掛けられ、びくりと千世は彼を見上げた。

「お二人の墓を参るのは初めてなもので、少し緊張を」
「瀞霊廷から離れた場所に建ててしまったからな。だが、良い場所だよ。夏は特に」

 恐らくこの辺りは夏でも涼しいのだろう。背の高い木には青々とした葉が揺れ、足元には草が生い茂りきっと長閑な場所だ。開けた場所に出ると、ぽつんと墓標が目に入った。あ、と小さく声を漏らす。
 海燕の墓を参りたいと言い出したのは二週ほど前だった。浮竹へそれを伝えた時、初めは目を丸くさせていたが勿論と直ぐに頷いた。
 当時彼の亡骸は流魂街に住まう家族の元へと渡ったが、その後に隊として彼とその妻都の墓を建てた事を知っていた。しかし浮竹の言う通り瀞霊廷からは少し離れた場所だった為、多くの隊士は命日には慰霊堂で献花するのみで今まで参ったことは無かった。
 墓標には彼と妻の名前が有る。積もった雪を掻き出し、手で払うとようやく中台が現れ道中ずっと手にぶら下げていた袋から花束を取り出し供える。長い道中で多少形がいびつになってしまっているものの、まだ瑞々しい花弁を風に揺らしていた。

「ありがとうございました、付いて来てくださって」
「いや、俺も来たいと思っていたんだ。だから千世から言われて驚いた」

 墓前で手を合わせ終えた後、歩き疲れた身体のまま直ぐに帰路を辿る気にはなれず未だまっさらな雪の上へその腰を落とした。何とも居心地の良い座椅子にふわりと包まれるような柔らかさのあと、じわじわと冷たさが伝うがしかし暫く起き上がる気にはなれない。
 じっと見下す浮竹に、隊長も如何ですかと試しに声を掛けてみれば少し迷ったような素振りの後に千世の横へすっぽりと収まった。身体があまり頑丈ではない浮竹が冷えで体調を崩しはしないかと少し不安が過ぎったが、そう長くいる予定もない。

「海燕には何と報告したんだ?」
「副隊長へ昇進することになりましたと、素直に」
「そうか、確かに素直だ」

 違いないと笑う浮竹に千世は多少気まずく目線を下げた。
 結果として、千世は昇進を承諾した。刻限となっていた四日の夜、浮竹の居る雨乾堂へと顔を出し承諾を伝えると彼は少し驚いたような顔をしてから、間をおいて分かったと一言返すだけだった。
 半ば諦めていたという様子に見えた。思えば散々後ろ向きな事ばかりを言っていたから、まさか承諾するとは思わなかったのだろう。如何に受けない理由を見つけるかと千世も躍起になっていたように思う。浮竹から寄せられる期待や希望に似た思いに正当な理由で断りを入れたかった。
 しかし今、前任の海燕へと報告を済ませるほど前を向く事が出来ているのは、紛れもなく浮竹の朴直な思いによるものだろう。
 目の先に静かに鎮座する墓標の元で供えた花が風で揺れると、屈託のない笑顔で笑う彼と、その横で慎ましく微笑む都の姿を思い出す。目の奥がツンとするような感覚に、千世は顔を軽く叩いた。粉雪が肌に触れて解ける。
 千世、と呟くような声が聞こえふっと隣を見る。

「ありがとう、受けてくれて」
「い、いえ。礼を言うのは私の方です。私のような若輩者を、推薦して頂いて」
「そう謙遜するな。俺が選んだんだ、自信を持って隣に立って欲しいと思うよ」
「…ありがとうございます」

 消え入るような声で千世は答える。恥ずかしいような誇らしいような、そして申し訳ないような妙な感情だった。浮竹はその目を細め、口元は緩く弧を描く。またいたずらに心拍が跳ね、千世は慌てて目線をまた真っ直ぐと海燕の方へと戻した。
 今月の半ばには任命式が行われ、副官証を受け取ることとなる。海燕がその最期まで腕に通していたものを身につける事は未だ重責のように感じていた。しかし歩を進め始めてしまったからには、受け止め前を向かなくてはならない。
 そうぼんやりとしていれば、ふと目に入ったものにあっと思わず声を上げ立ち上がる。体についた雪が舞い、どうした、と浮竹の驚いたような声が耳に入った。

「これ、やっぱり」

 雪の上を腿上げをしながら駆け、墓標の裏の木から張り出した細い枝を千世は指差す。見てください、と興奮したように千世が呼びかければ雪を払いながら近づいた浮竹も感心したように声を漏らした。

「桜か。こんな雪の中、よく咲いたもんだ」
「寒桜では無さそうですね、先端の此処だけが咲いてるんですから」

 周りの蕾はまだ固く閉じており、妙なことに一つだけが緩み薄桃色の花弁を見せている。不思議な事もあるものだと、千世はその花弁の上に乗った雪をふっと息で吹きながらまじまじと見つめた。

「早咲きなんでしょうか。もしかしたら、遅咲きだったり…」
「去年の咲き残りという事か、…流石にどうだろう」
「どちらにしても、良いものが見れました。逞しさが桜らしくなくて」

 そうかいと浮竹は笑う。気が緩むと一瞬で満開となったかと思えば、春風に乗ってさっと散ってゆく桜の儚さと、雪を乗せながら踏ん張るように咲く姿があまりに正反対だ。この痺れる寒さの中、やがて待ち構える春を感じ頬が緩む。
 果たしてこの先に何が起こるのかなど想像もつかないが、しかし今はただ進むしか無いのだろう。耐え忍んだ冬の後には必ず春が訪れる。固く締まった蕾が綻ぶ花のように、人も同じであれば嬉しいと思う。
 行こうか、と浮竹の声に千世は振り返る。いつの間にか随分離れていた浮竹の背を慌てて追いかけると、その隣へと並んだ。見上げる横顔は、いつもと変わらず前を真っ直ぐと向いていた。

 

手折れないもの
2021/02/04