得体の知れない幸福

50音企画

得体の知れない幸福

 

 特に理由もなく一人になりたいと、誰しも時折思うものだろう。まだ布団を敷く前の座敷で、座布団を枕にしながら本を読んでいた千世はつい先程の浮竹との会話を思い出す。
 休みの前日ということもあり、残業が長引いた浮竹が帰宅したのは千世が帰宅した二時間ほど後だった。夕食と風呂を済まし、いつもであればそこから布団を敷くまでの間互いの時間を過ごす所なのだが、やけに今日は浮竹が傍から離れない。
 最近購入した本を丁度読みかけていた千世は、就寝までの時間を使い最後まで楽しもうと思っていた。いつもは浮竹自身も何やら書斎に向かうか隅の文机に向かうかをするというのに、今日はやけに千世の傍で何やら話し掛けてくる。それがまたどうという事のない話題で、別に今でなくても良いようなものだからつい、後でも良いですかと言ってしまったのだった。
 何と冷たい言葉を放ってしまったのだろうかと、今更反省をしている。しかしその時はどうにも一人で黙々と本を読み進めたい気分だったのだ。明日は互いに休みだし夜は長い。就寝前に並べた布団の上でぼそぼそと会話を楽しめば良いのではないかと千世は思い、ついそう言葉にしてしまった。
 そうだな、と少し悲しげに笑った浮竹はそのまますごすごと恐らく書斎へと姿を消し、本への意識が強かった千世はようやく手元の物語を読み進めることが出来る嬉しさで満たされていた。
 だが暫く経ち、ふと先程の会話を思い返した時あまりに自身のそっけない態度がふと感覚的に蘇り胸に靄が立ち込めるようだった。読み進めていた本もどこか味気がなくなり、栞を挟みぱたんと閉じる。
 そのまま少しぼうっとしていたが、おもむろに立ち上がり彼の書斎へと向かった。廊下へわずかに漏れる灯りを頼りに、彼の居る部屋の襖をそっと開く。乾いた音に気付いた浮竹は、振り返る。

「…先程は、すみません」
「いや。俺も少ししつこかったかと反省していた所だよ」
「違います、私が勝手な気分で…すみません」

 謝るなよ、と笑う浮竹の傍に千世は近づき腰を下ろす。ふわりと香る彼の髪から漂う石鹸の香りに千世は口元を緩めた。

「今日はこれから、隊長とお話をする時間にしました」
「何だ、本はもう良いのか。随分熱心に読んでいただろう」
「良いんです、本なんていつでも読めるので」

 改めてそう言われるのが多少照れくさかったのか、少し眉を曲げて微笑む。かと言って、特に話したい内容があるわけではないのだと浮竹は言うが、もうその時点から他愛のない会話とは始まっている。
 このまま眠ることも忘れて、夜明け頃まで目的のない会話を続けるのも偶には悪くないだろう。