十一番隊舎にて

2021年6月26日
おはなし

 

十一番隊舎にて

 誰が言い出したかは知らないが、十三番隊との合同訓練が今朝から行われている。対象となるのは未だ席官に満たない一般隊士、その中でも希望者となっており、集まったのは結局二隊合わせて二十余名程度だった。
 この屋外訓練場は数年前に出来たものだ。しかし出来たという表現が正しいかは分からない。というのも元々この敷地には十一番隊の稽古場が建っていたのだが、偶々寝起きで虫の居所が悪かった更木によって修復不能なほどに破壊されたのだった。斑目と一番隊へ頭を下げに向かったが、再建は予算の都合で拒否をされ、考えあぐねた結果屋外訓練場として体裁を整えた。
 屋外の方が力に加減をしないで暴れることが出来るからと隊士には概ね好評で、しかしそれによって更木が得意げであるのは多少不本意ではある。
 今朝から行われているこの訓練は至って単純なもので、技術開発局が訓練用に開発した疑似虚を各隊三名の六名一班で討伐を目標とする。初めて顔を合わせたばかりの急拵えの班でどの程度対応出来るかが要となる。
 しかし疑似と言っても、実際に現世や流魂街に現れた生体を謎の技術で模したものだと言うから見た目は勿論、実力もまるで実物と遜色ない。敷地を半分に分け二班同時に行っているが、午後を回ろうとする今未だに一体の討伐にも至っていない状況だ。
 一般隊士の未だ危なっかしい戦闘を眺めていると自然と腰の斬魄刀へと手が伸びるが、その度に深い溜め息を吐き出して誤魔化していた。

「それにしても、この訓練退屈過ぎない」
「まあ、そうだな」
「一角は多少楽しんでるように見えるんだけど」
「楽しかねえよ。あっちの副隊長が熱心にやってんだから、こっちもやるしかねえだろ」

 まあ仰る通りだと綾瀬川は頷く。実戦第一の十一番隊にとって、自身が動けない訓練ほど退屈なものはない。今から参加して来いとでも言われれば喜んで飛び込むが、ただ離れた場所から眺めて指導するだけならば今すぐにでも任務招集された方が良い。
 恐らく斑目も似た感情を抱いているのだろうが、案外辛抱強く地面へ転がる隊士へ怒声を浴びせている。綾瀬川も気まぐれに指導なるものをしてはいたものの、しかし柄ではないような気がしてここ一時間ほどは生あくびと溜め息を続けていた。

「でも大体何で僕達二人な訳。監督なら一角だけでも良かったんじゃないの」
「あっちが副隊長寄越してんだからしょうがねえだろ」
「副隊長ねえ…」

 そう呟きながら、少し離れた場所で訓練の様子を眺める日南田へ目線を向ける。
 この春に副隊長へ上がったばかりだというのは、風の噂で聞いていた。彼女について綾瀬川が知るのは檜佐木の同期である事くらいで、会話をしたのは今朝の挨拶が初めてだったように思う。
 十一番隊のむさ苦しい男所帯に驚いたのか、緊張をした面持ちで深く頭を下げる様子は副隊長という響きからは少し乖離したような存在に思えた。とはいえ、見た目らしからぬ副隊長を持つのは自隊も同じであり、昇格に至ったなりの理由は勿論有るのだろう。

「一角はあの子と話したことあったの」
「檜佐木の紹介で何回か。あと、この訓練の打ち合わせした」

 そうさらりと言う斑目の横顔を見ながら、なんだ、と一言返す。初めましては自分だけだったのか。綾瀬川はおもむろに立ち上がると、真っ直ぐ彼女の方へと向かう。彼女の名前を呼びかければ、どうもとどこか恐る恐るといった様子で僅か頭を下げた。

「随分熱心だよね、朝から。飽きないの?」
「身体は鈍りますが、仕事ですから」
「仕事なら結構色々割り切れる方なんだ」
「どうでしょうか…でも、与えられた仕事であればそれなりに」

 そう答える表情を見ながら、案外冷静なものだと思った。訓練中自隊の隊士達によく声掛けをし、中断時には立ち回りを指導する熱心な様子を朝から眺めていた。後輩や若手の指導育成に重きを置くのは十三番隊の隊風か知らないが、随分手間の掛かる事を好んでいるように思う。
 恐らく歳もほど近い彼女は一見大人しそうな佇まいで、与えられた仕事ならば喜んでとでも笑って答えるかと思っていたが、しかしそうでもないらしい。だが決して嫌いという訳では無いようで、というよりも与えられた仕事に対して好き嫌いの感情を恐らく含んでいないのだろう。
 それは副隊長として至ってまともではあるが、同時にどこかつまらないとも思う。与えられた仕事に感情を持ち込まず粛々とこなす事が、果たして死神としての命を全うする中で最適であるのかと聞かれれば綾瀬川は首をかしげる。
 それとも何かしら彼女が死神として生きる他の理由でもあるのか、まさか他人へ弱点を見せないよう余計な感情を顕にしていないだけなのか、そのさっぱりとした表情からは分からない。特別興味があるという訳で無いが、歳も近い彼女のどこか達観したようにも見える視線がやけに釈然としなかった。

「この訓練、浮竹隊長が言い出した事なんです」
「へえ、浮竹隊長が」
「隊首会の最中に思いついたそうで、その場で更木隊長に約束を取り付けたとか」

 この合同訓練の話を斑目から聞かされたのは昨日、あさげの席だった。数日前に更木から経緯の何の説明もなく全任されていたようで、どうせ暇だろうと綾瀬川の参加は半ば強制的だった。
 隊長の更木がまさか合同訓練を言い出す訳が無いと分かっていたから、山本総隊長の気まぐれか、若しくは技術開発局に疑似虚の人柱にでもされたかと斑目とは今朝方話していた。
 更木ならば面倒だと跳ね除けそうなものだが、良く了承したものだ。若しくは、意外にも押し切られたか。他隊との合同訓練なんてものは、綾瀬川が知る限りここ数十年は聞いたことがない。しかし呼びかけを受けていないというよりも、あまり誘いが掛からないという方が正しいのかも知れない。

「浮竹隊長も全く物好きだね、隊風なんて全く違うのに」
「だからかも知れませんね」

 疑似虚に吹き飛ばされる隊士を眺めながらそう呟く彼女に、綾瀬川は小さくため息を吐いて同じように視線を遣った。他人の危なっかしい戦闘を眺めるだけが苦痛でないのはやはり才能だろう。たった数分でも甘い踏み込みや及び腰に苛立つというのに。
 彼女の言う通り、正反対の性質を持つ隊での合同訓練に浮竹は興味を持ったのだろう。目の前で繰り広げられる拙い戦闘を眺めながら、その異なった隊風を改めて感じる。力で押し切ろうと猛進する十一番隊士に比べ、十三番隊士は相手の出方を窺う時間が長い。はじめはぎくしゃくと互いに苛立つ様子が見て取れるが、時間が経つにつれ徐々に協力を図ろうとするのだから面白い。
 面白いが、しかし退屈でない理由にはならない。

「キミ、男居るでしょ」

 日南田は勢い良く顔を向けると、しばらく目をぱちぱちと瞬いた。退屈しのぎに思い立って尋ねてみたが、想像よりも素直な反応が可笑しくくすくすと笑う。それが不愉快だったのか、はたまた誤魔化しついでか彼女は眉をひそめた。
 突然の言葉に動揺をしているのか、図星を突かれて動揺をしているのかは分からないがあながち間違って居ないように思う。暫く彼女は口をぽかんと開けたまま返す言葉を考えていたようだが、はっとしたように口を閉じ一つ咳払いをした。

「…なんですか急に」
「良いよ隠さないで。そういうの分かっちゃうんだよね、僕」

 特に否定も肯定もしない所を見ると綾瀬川の勘は誤っていないのだろう。理由は無く会話の印象だけだったが確信はあった。勘が良いのは確かで、昔から男女関係には不思議と鼻が利く。
 恋仲の居る者と言うのは、不思議とにおうものだった。勿論実際に何かが香ってくる訳ではない。無意識の余裕や命惜しさ、妙な隙や違和感がにおいのように鼻をつく。彼女も例に漏れず、におった。
 日南田は気まずそうに再び顔を正面へと向け、綾瀬川がその話題に興味を失う事を待っているようだが、まさかようやく見つけた退屈しのぎをそう易易と手放すわけがない。
 棒立ちになっている日南田に一歩近付き真横へ立つと、彼女はさも迷惑そうになんですかと小さく漏らす。嫌な予感に顔をしかめる瞬間というのは背をゾクゾクとさせるもので、つい先程までやけにしれっとした表情をしていた彼女が内心焦る様子は心地良い。

「彼氏って年上じゃない?案外男の前だと甘える方でしょ」
「……はい?」
「キミみたいな何事も卒のない女って、行き場のない不満を男の愛情で満たそうとするから」
「い、いい加減にしてください、そんな事はないです」

 明らかに動揺した様子に、図星なんだと笑えばわざとらしく顔をしかめて口を噤んだ。それ以上の墓穴を掘らない為にも言葉を返すことは止めたのだろう。
 しかし想像以上の反応の良さが気持ちよく、けらけらと笑っていれば様子を見ていたのか斑目からとうとう怒号が飛んだ。
 初対面で不躾過ぎた自覚が辛うじてあった綾瀬川は、一言去り際にごめんねと呟く。何か言いたげに彼女の口は僅かに開いたが、いえ、と一言ぐったりとしたように答えただけだった。

「何誂って遊んでんだよ、仕事しろ」
「やだな一角が仕事しろなんて。柄じゃないな」
「そうじゃねえよ、あれ見ろ」

 斑目に促された先に視線を向ければ、日南田の横へ丁度降り立った白い隊長羽織の姿にああと頷く。他隊とはいえ、隊長が現れたのでは身の入らない様子を見られるのは流石に良いものではない。
 浮竹がこの訓練の言い出しっぺである事は先程日南田から聞いており、さて思惑通りかと様子を見に来たのだろう。
 会話の内容は綾瀬川らの居る場所からは聞こえず、日南田が表情をほころばせる様子だけが見える。先程まで険しくしかめていたというのに、そういとも容易く破顔されれば自然と視線が彼女の横顔へと向いた。
 緩く吹く風が二人の髪を穏やかに揺らしていた。会話を終えた二人の視線は真っ直ぐと訓練場へ向き、砂埃を上げて引き摺られる隊士を眉を曲げ見つめている。

「僕の勘って結構当たると思わない」
「あ?何言ってんだ急に」

 斑目の不審そうな目つきに笑顔で返せば、気味悪そうに顔を歪める。この体の鈍る訓練指導が退屈である事は変わりないが、存外気分は悪くない。再びふわりと吹いた風が揺らし乱れた髪を、綾瀬川は手櫛で軽く梳かした。

 

(2021.4.24)