付け入る隙がほらそこに

50音企画

付け入る隙がほらそこに

 

蛇として生きるの続き

日南田副隊長」

 そう背中に呼びかけると、日南田はまさにぎくりといったような様子で振り返り身体を固まらせる。どうして呼びかけたのだと、そう言いたげに強ばる表情というものは、初めは多少の不快感を覚えたものの慣れてしまえばどうという事はない。
 彼女の感情がどうであれ、藍染自身には何の影響もないことだった。日南田は手に持った書類を恐らく自然と握りしめ、一歩下がりこわごわと頭を下げる。

「浮竹隊長が一緒ではないんだね」
「…はい、体調を崩されていて」
「そうか…それは心配だ」

 白々しい台詞を吐けば、彼女は僅かに不安そうな表情を見せて頷いた。
 日南田が浮竹へ普通でない感情を向けている事に気付いたのは、彼女が副隊長となった頃の話だ。上官へ向けるにしては温度の高い視線と、表情の緩め方、纏う独特の空気というものはいやに鼻につく。瀞霊廷を二人連れ立って歩く様子を見かける度、その独特の空気は濃度を増しているように見えた。
 藍染にとって他隊の副隊長が誰に熱視線を向けようと関係のない事だというのに、やけに癪に思えるのはあれだけの興味を向ける相手が居る反面、一切の興味を向けないどころか妙な警戒を続ける相手が居るという点だろう。
 その警戒するような視線に何の根拠があるのかは知らないが、今も彼女は硬い表情を向け直ぐにでもこの場を離れたいような様子でそわそわとする。

「今度の金曜日の夜、勉強会を開くんだが日南田君もどうかな」
「ああ、いえ…すみません、その夜は予定がありますので」
「そうか…いつも日南田君は予定があるようだから、それなら君の予定に合わせよう」

 何時ならいい、と聞けば彼女は弱ったように身体をしゅんとさせた。いくら苦手な相手とは言え職位が上の者から迫られればこうして途端に硬い表情を解き狼狽える。そうして逃げ道を塞ぎ続ければ、恐らく彼女はやがて折れて首を縦に振る事だろう。

「冗談だよ、誂って悪かったね」

 そう言えば日南田はいえ、と軽く首を横に振り頭を下げた。待っていましたとばかりに話の切れ目を見つけた彼女は、最後にもう一度だけその頭を軽く下げそのままくるりと背を向け足早に去ってゆく。
 恐らくあの強張った表情が、自発的に目の前で緩むということは永劫無いのだろう。あの白髪の男がいとも容易くやって退けるそれを、自身が決して手に入れる事ができないと思うと言い得ぬ不快感が滲む。それは嫉妬や執着なんて小汚い感情ではなく、単に癪だというだけだ。
 やはりあのまま押し切り約束を取り付けてみれば良かったか。だが、あの狼狽えた表情だけでも今日は多少面白いものが見れた。口元をほんの僅かだけ歪め、彼女と真逆の方向へと歩を進めた。