ルミノール液持ち込み禁止

50音企画

ルミノール液持ち込み禁止

 

※血の表現があります

 うたた寝から眠い目を僅かに開けると、台所から心地の良い音が聞こえてくる。規則正しく、包丁でまな板を叩く音が屋敷に響いていた。まだ下ごしらえの段階なのか、良い香りはして来ない。一つ欠伸をしながら起き上がると、まだ寝起きのふらつく身体を壁に手を付き軽く支えながら部屋を出た。
 台所には前掛けを付けた千世が背を向けて立っており、葱を一本まな板の上に乗っけて細かく刻んでいる。気配に気づいたのか、おはようございますと手元に集中した様子で一言呟いた。
 浮竹は草履を突っ掛け土間へと降りると、その姿へと近づいた。千世の背後に立ち、葱を刻む様子を上から覗き込む。みじん切りを頑張っているようだが、あまり得意でないのか太さがまばらでなかなか面白い。
 なんですか、と不満げに言う千世に浮竹は笑った。集中が途切れると言いたいのだろう。だが真剣に葱を刻み続ける一生懸命な姿から目が離せず、彼女の不満げな様子を無視してそのまま眺め続けた。

「…あっ」

 あ、と浮竹も思わず声を漏らす。葱の上で包丁が滑り、支えていた左手の親指の先をかすった。千世は暫く動きを止めたまま親指の様子を二人で見下ろしていたが、少ししてじわりと紅い血が傷口から浮き出す。
 まだ痛みが訪れていないのか、千世はその指先からぷくりと漏れる血を眺めている。咄嗟に浮竹はその手を取ると、何を思ったか血の滲む親指の先を口へ含んだ。途端に慌てた千世は、包丁をまな板の上へと置き止めてくださいと顔を真赤にする。
 指先から滲み出した血液は生ぬるく、ほんのりと鉄の風味が舌の上で広がる。彼女の集中を乱したのは紛れもなく浮竹であり、予定にない傷を彼女の指先へ作ってしまった。だが、かと言ってまさか贖罪のつもりでその指先を口に含んだ訳ではない。
 白く細い指先からじわりと紅い血液が滲む様子に堪らず、つい自然とそうしてしまった。放っておけば指先を伝い流れ落ちるだろうという状況で、どうして手ぬぐいを渡す事よりも先に指先を舐める考えに至ったのか浮竹自身にも分からない。まだ寝ぼけでもしているのだろうか。

「や、やめてください」

 ぬるりと指に絡む口内の感覚が余程耐えられないのか、千世はまだ顔を真赤に染めたままそう俯いて呟く。異様な光景である事は明らかで離してやりたい気はそれなりに有るのだが、まだほんのりと鉄の味が舌に乗る所を見ると出血は続いているのだろう。それを思うとどうにも離れる気が遠のく。
 しかし、彼女がぐっと手を引く動作にようやく彼女の指先から唇を離した。濡れた指先は余程良く切れているのか端から見ると何の傷も無いように見える。しかし数秒後、すぐにぷっくりと紅い水滴が薄っすらと見える傷口から再び湧き出した。

「ああ、ほら。勿体無い」

 そう言って浮竹はまた千世の指先に口づける。彼女はぽかんとしたまま勿体無い、と浮竹の言葉を小さく反芻した。

「勿体無い、って…どういう意味ですか…?」

 千世が眉をしかめて聞く言葉に、浮竹はさっぱり分からんとでも言いたいように同じように眉を曲げた。特に意識せずに出た言葉だった。だが恐らく言葉の通りの意味なのだろう。彼女から無為に流れ出る血液が勿体無いと思った。
 まだほんのりと感じる鉄の風味を舌で舐め取りながら、ただ顔を赤くして俯く彼女を浮竹は見下ろしていた。