をち返れ、君

50音企画

をち返れ、君

 

「か、課長代理!?」
「ああ、そうなんだ。海燕がほら、育休に入るだろう」
「育休!?知らないです!」

 そうだったか?と浮竹は笑う。出勤後早々に呼び出され、何かと思えば来月の頭から課長代理として海燕の業務を引き継いでもらいたいとの事だった。確かに最近やたらと彼が日常業務をレクチャーしてくるとは思っていたがまさか育休を取るなんて話は寝耳に水で、突然の人事に千世は唖然とする。

「悪いがもうこれは決定でな、まあ内示という訳だ」
「内示……」

 つまりもう拒否権は無いということなのだろう。もう、と遣瀬のない気持ちを吐き出す事が出来ず拳をぎゅっと握り掌に爪が食い込んだ。

「でも、小椿さんや清音さんも居るじゃないですか」
「あいつらは現場に居ないと息が止まるタイプだろう」
「だからと言って私…まだ主任ですよ、急に課長代理なんて言われても…」
「まあ、不安はあると思うが」

 そんな滅茶苦茶な人事があって良いものか。先輩二人を急に飛び越えて課長代理など、聞いたことがない。だいたい課長代理という意味も正直分かっていない。課長の代理であるという事は勿論字面で分かるが、それならば育休の明けた海燕が戻ってきた場合どうなるというのだろう。
 色々と気になる点はあったが、ひとまず心配であるのは自分自身に海燕の役割が務まるかという事だ。彼は人望も厚ければ仕事も早く的確で、部長の浮竹を除いたこの部内の誰よりも信頼を集めている。その代理となる事を考えるとただ気が重い。

「心配か」
「はい、とても。…志波課長の代理が私にはとても務まるとは」

 小さく千世は吐き出す。不安にまみれた顔をしていたのだろう、浮竹は少し千世の顔を覗き込むように腰をかがめる。直ぐ近くで澄んだ瞳と視線が合い、千世は思わず息を止めた。

「務まると思って俺も海燕も日南田を推した」
「それはとても、光栄なことですが…」
「大丈夫、何かあれば俺がサポートする」

 そう言い浮竹は笑うと、千世の肩へそっと手を置く。きっとその行動に他意は無く、ただ励ます為のものだという事は分かっている。だというのに、その優しく細める目と、緩く弧を描く口元と、その纏う柔らかな空気があたかも自分だけに向けられているものと勘違いしてしまう。
 彼は単なる上司だ、好きになってはいけないと何度も言い聞かせているというのに、その固い決意を何度も彼の視線で解かれそうになる。しっかりと交わるその視線に、千世は上がる心拍をそっと抑えつけながらゆっくりと瞬きをした。

「…という夢を見たんです、隊長」
「何だその夢は…」