やがては君に奪われるだろう

50音企画

やがては君に奪われるだろう

 

「君は、日南田だね」

 目の前のまだ表情に幼さが残る子の名前を呼ぶと、彼女は驚いたように目を見開いた。数週間の座学研修を終えた新入隊士は、一名ずつその顔を見せに隊首室へと訪れる。
 研修の様子は時折そっと覗いているし、研修担当の席官からも一日の報告書を日々受け取り目を通している。報告書の内容と隊士調書の顔写真とを照らし合わせる日々を続けていれば、名前と顔を一致させる事などさほど難しいことではない。こう毎年の行事を百年以上と繰り返していれば、嫌でも慣れるというものだ。
 しかし彼女にとって見ればまだ顔もまともに合わせたことのない隊長が、自分の名前を呼ぶというのは妙だと思うに違いない。自分も果たしてそうだっただろうかと、その驚いた表情を見る度に遠い昔を思い出す。

「こ…こうして無事入隊出来ましたこと、かっ、感謝申し上げます」
「そう固い事を言うな、楽にしなさい」

 そう言った所でまさかその肩に入った力を抜く筈もなく、さらに力の入った様子で顔を真っ赤にした。
 彼女がまだ学院生の頃、体験入隊で一度顔を合わせているのを覚えていた。その時の経験が彼女に響くものがあったのか、卒業後の進路希望には十三番隊のみを記入してくれていたのを知っている。
 それもあってか彼女の名前はよく覚えていて、今年入隊した誰よりも早くその顔と日南田千世という名前は一致していた。固まる彼女にそんな話をしてやれば多少は気も解れるかと思ったのだが、しかしすんでの所で口を閉じる。
 それを話した所で妙だと思われそうなものだ。君のことは覚えていたと、言われた所で他の隊士との差別化のようにも捉えられかねず、途端に不信感を抱かれる可能性があるだろう。余計な話は避けるのが無難に違いない。
 そうやけにごちゃごちゃと頭で考えていれば隊長、と緊張したような声で呼びかけられふと我に返った。

「そろそろ私は、研修の準備へ…」
「ああ、そうか。もう今日からは実戦研修だったか」

 はい、と頷いた彼女の表情は希望に満ちたものだった。ようやく実戦へ出る事が嬉しくて堪らないのだろう。それは彼女に限ったことではないが、まだ何の疑いもなく未来を期待する表情というものは実に見ていて微笑ましい。
 これから彼女が一体何を得て、何を考え成長して行くかは預かり知らないが、その先へ伸びる未来が出来る限り永いものであって欲しいと思う。

「期待しているよ」
「はい、ありがとうございます」

 深く頭を下げて去ってゆくその背中を見送る。隊長職というものは好き好んでなるものではないと度々感じるものだが、しかし毎年この時だけは良いものだと思う。いずれその中から抜きん出たものが現れ、やがては隊を背負ってゆく未来へ思いを馳せるのは悪い気分ではない。
 さて、と身体を文机へと戻し硯へ置いていた筆を握った。浮竹の記憶違いでなければ今年の新入隊士の挨拶は彼女で最後だった筈だ。来年の今頃までに、果たしてどれほどが残ってくれているだろうか。
 それにしても、とあの石のように固まった彼女の様子をふと浮竹は思い出す。緊張に引っ張られ、調子が狂うような事が無ければ良いのだが。気紛れな心配をした浮竹は、一つ咳払いをし再び筆を走らせた。