みなさんは会えましたか

50音企画

みなさんは会えましたか

 

 困った。朝目を覚ますと身体が軽く、起き上がればやけに視線が低かった。寝間着もやけにだぼついて歩けば引き摺るほどで、その瞬間ようやく自身の体の異変に気付いた。
 手のひらをまじまじと見つめれば見慣れたものよりも一回り二回り、いや半分ほどの大きさで皺は少なくまるで幼子のようなつるりと白い色をしている。焦りながらも足元を確認すると脛に生えていた無駄な毛もすっかり消え失せ、まるで生まれたてのようなきめ細やかな肌だ。
 何だこれは、と思わず漏らした声も普段ずっと高く、慌てて喉元に触れれば無骨な出っ張りがまるで無い。どういう事だと急いで洗面所へ向かったが鏡まで身長が足りず自身の姿の確認が取れない。どうにか洗面台によじ登り、鏡にようやく映った姿を見て気を失うかと思うほどの衝撃を受けた。
 薄々気付いては居たが、子供の姿になっている。人間で言う恐らく五歳児くらいだろうか。髪は短髪なものの、白髪は変わらなかった。この原因を思い返すが、千世の執務室にあったういろうに違いない。女性死神協会で涅ネムから貰ったものだと言っていたのだが、小腹も減っていた為特に警戒もせず口に入れてしまった。
 結局夜まで何もないから忘れていたが、まさか翌日の朝に効果が出るとは思わない。驚いた、と一人感心しながらぺたぺたと顔や髪に触れる。しかし技術開発局の開発力に感心していてもこの状況をどうにも出来る訳ではない。一先ず寝室へと戻り、桐箪笥の一番深い部分を漁る。何の為に所持をしていたかは忘れたが、確か子供用の浴衣を一着仕舞い込んでいたはずだ。
 あった、と引きずり出した浴衣をとりあえずは身につけ、考え込みながら布団を畳む。身長も力も足らず、日常の何ということのない動作だというのに苦労するものだ。幸いなことにも今日は休日だったのだが、困ったことに千世も休日で恐らく間もなく彼女が訪れる。庭の草むしりをするという話だったのだが、さてどうしたものか。
 一人部屋の中心で正座をしたまま思案していたが、思案した所で元に戻るはずがない。浮竹の予感通り、間もなく玄関の方向からは物音がして千世が名前を呼びながらこの部屋へと近づくのを最早待つ事しか出来ない。正直に話すべきか、いやそれとも誤魔化すべきか。

「隊ちょ…う………」

 何だこれは、とでも言うような様子で襖を開きかけた千世はじっと子供姿の浮竹を見つめる。暫く無言で見つめ合ったまま、どうも、と浮竹は小さく頭を下げた。
 ようやく状況が飲み込めたのか、千世は恐る恐る部屋へと入ると浮竹の前へと同じように正座する。この時点で子供になった姿の浮竹だと気付いてくれればよいのだが、彼女の勘の良さに期待をするしか無い。

「お名前を教えてくれる?」
「な、名前…」
「あと…ここに君と同じ白い、ながーい髪のおじさん居なかったかな…」
「おじさん……」

 状況に動揺をしすぎてうまく言葉が出ない。彼女は恐らく子供になった浮竹とは露ほども思っていないのだろう。しかし得体の知れない子供が部屋にぽつんと居て、千世こそきっと動揺をしているに違いない。しかもどことなく恋人に雰囲気の似た子供であれば尚更だ。
 まさか隠し子とでも思われはしないだろうか。彼女の顔へと目線を上げれば、ただ不安そうな表情でまじまじと見つめられている。浮竹としてはただ気まずい。いっそ素直に言ってしまった方が良いのだろうが、どうもそういう雰囲気でもない。

「十四郎は僕の叔父です」

 じりじりとした空気に耐えきれずにそう言えば、千世はそうなんだとようやくその顔を明るくさせた。浮竹の白髪が後天的であることなどすっかり忘れているのか、通りで似ているはずだとようやく笑う。
 一度も甥の話などしたことがないというのにも関わらず素直に信じるのは、目の前の子供が他でもない浮竹自身であるからだろう。疑いようもない程、この容姿は血縁を感じさせるに違いない。それを確かめるように彼女の純粋な瞳を向けられ、妙な罪悪感がじわりと広がるが甥と言ってしまった手前致し方ない。

「十四郎叔父さんどこ行ったか知ってる?」
「それは、ええと…何か、買い物に出かけるとか…」
「買い物か、それならすぐ戻るかな」

 あまりかしこまっていない様子の千世を見るのは珍しい。いくら恋人とは言え長い間上司であった浮竹に対しては中々慣れた口調にはなれず未だに敬語だ。それは別に無理に直す必要は無いし構わないのだが、こうしていざ自分へ向けられると不思議な心情で正直な所、中々良いものだと思う。
 だがこの状況はやはり異様だ。浮竹は彼女の事を隅々まで知っているというのに、彼女にとっては初めて出会った子供でしかない。しかしこの効果が永続的な訳ではないだろう。恐らく明日には、いやあと数時間後には元通りの身体へと戻っているかも知れない。
 彼女は正座していた足を伸ばし、ふうと息を吐く。

「十四郎叔父さん、優しい?」
「は、はい…多分」
「多分なの?強いし、優しいし、本当に素敵な叔父さんだと思うよ」
「そうでしょうか…」
「そうだよ!私、いつもこんなに素敵な人の傍に居て良いのかなと思う時があるくらい」

 そう空中を見ながら呟いた千世は、嬉しそうに口元を緩め浮竹を見た。いつもの身体であれば、きっと迷わずその手を引いてやりたい所だがそうも行かない。何と答えれば良いか、どのような表情をすればよいのか分からず口をぎゅっと閉じていれば、千世は眉を曲げ、急にごめんねと笑う。

「きっと叔父は、あなたの傍に居る事を幸せに感じていると思います」

 聞き慣れない高い声でそう伝えると、本心の言葉だというのに自分のものように思えない。目の前の彼女は暫くぽかんとしていたが、そうかなと少し照れたように破顔した。

「ちょっと私、外探して来ようかな」

 頬がまだ僅かに赤い千世は、勢いよく立ち上がるとそう言い廊下の方へと向かう。待っててね、と笑顔で手を振る彼女に自然と笑って手を振り返せば、その背が見えなくなった後に急に小っ恥ずかしくなり耳まで赤く染まった。
 それから間もなく、無事に薬の効果が切れたのか身体は元通りのものとなり、帰ってきた千世はもうあの子供の姿を見ることはなかった。幻の甥はもう帰らせたと千世に伝えれば、ひどく残念そうな様子でがっくりとする。それにしても、と、あの歳にしては異様に大人びた子だったと不思議そうにぽつり漏らした感想に、浮竹は無言で目を逸らした。

(子供になった浮竹さん/頂いたおだいばこより)