すさまじいかたまり

50音企画

すさまじいかたまり

 

 千世は不快にばくばくとうるさく鳴る心臓を落ち着けようと静かに深呼吸を繰り返していた。ここは瀞霊廷の飲食店が立ち並ぶ、いわゆる繁華街と呼ばれる一帯だ。今日は休日で、しかし浮竹は出勤だと言うから特に千世は予定もなく寮の自室で過ごしていた。
 昼を過ぎてそろそろ腹が減ってきたと、珍しくこの繁華街へと出てきたのが間違いだった。いや、むしろ正解だったのかも知れない。
 浮竹の姿を見かけたのがおおよそ三分ほど前で、人通りもあるし声をかけようかかけまいか迷っていたのだが、何やら彼の様子がおかしい。そこは個室で食事する事の出来る多少価格帯が高い店で、何やらその店先で誰かを待っているような素振りを見せる。
 怪しいとまでは思わないが、何やら嫌な感情が漂い始めた瞬間、現れたのは女性の死神だった。歳は恐らく千世と浮竹の間くらいだろうか。千世は彼女が一体何者であるのか、何番隊の所属であるのかも分からない。女性は軽く頭を下げ店の暖簾をくぐり先に入り、浮竹がその後ろへと続いた。
 途端に千世の心拍数は上がり、妙な息苦しさを感じる。見間違いであって欲しかったが、手のひらに爪を立てて見れば今目の前で起きた出来事は紛れもない事実だった。どういう事なのか、まさか一人で考えあぐねても答えが出るはず無いのだが固まったままひたすら考えを巡らせ何とか腑に落ちそうな解釈を探す。
 しかし混乱した今の状況でまさかそんな冷静な判断を出来るはずがなかった。一体どれほど考え込んでいたのかはわからないが、恐らくそのまま一時間以上は経っていた筈だ。ふらふらと道の端に寄り、少し離れた場所からひたすら店の暖簾を見つめていた。一体あの店の中で、何が起きているのか想像を巡らせるほどに目眩がする。
 女性と顔を合わせた時のふっと笑んだ表情が脳裏にこびりついて離れず、もう少しばかりの勇気があればあの店へ入りどうにか個室を特定して会話を盗み聞くくらいは出来ただろう。しかし今の千世には待ち伏せをするくらいしか出来ない。
 まさか、浮気とは考えたくない。彼がそんな事をするはずがない、というのは単に千世の希望だ。いつの話か忘れたが、浮気とは多くの種を残したいという男の本能なのだと松本から聞いたことがある。あんたもちゃんと見ときなさいよ、とニヤつかれながら忠告をされたが、浮竹に限ってそんな筈がないとむすっとしたものだ。
 しかし、今目の前で起こった状況にただ千世は呆然としている。女性と二人、白昼堂々親密な様子で食事。更に互いに死覇装、浮竹は隊長羽織に袖を通したいつもどおりの様子で、だ。

「どうした、昼飯か」
「うわっ!えっ!?」

 突然視界の外から現れた浮竹は、不思議そうな顔をして千世を見る。しっかりと出入り口を見守っていたはずなのだが、予想だにしていない展開に千世は思わずひっくり返りそうになった心臓を落ち着けながら彼を見上げた。
 裏口からでも出てきたのだろうか、それとも、あまりに焦点が合わず見過ごしていたか。

「あの店が気になるのか?随分熱心に見ていたが」
「えっ!?いや…そういう訳では…」
「俺も今さっき食ってきた所だが、上品な味付けでなかなか良かったよ」

 あれ、と千世は眉をひそめる。あの個室の店を訪れていた事を、特に隠しても居ない様子だ。千世は辺りを少し見回す。幸いにも昼どきを過ぎ人通りは少なくなっている。道の端に寄って立ち止まって会話をしているというのも多少怪しいだろうと、歩き出し多少人通りの少ない横道へと入った。
 特にいつも通り様子の変わらない浮竹に、千世は逆に落ち着かない。あの女性は一体誰なのか、何の話を二人きりでしていたというのか。聞こうか聞かまいかぐずぐずと悩んでいたが、ようやくその重い口を開く。

「その…どなたとご一緒に…」

 ぼそぼそと呟いた千世を浮竹は暫く見つめていたが、何か勘付いたのかそういう事かと笑った。

「定期面談だよ。ほら、前までは隊首室で受けてただろう」
「定期面談…」
「そう。あれが存外時間を取られるから、いっそ昼食と一緒に済ませてしまおうと思ってな」

 ああ、と千世は情けない声を漏らす。一年に約一度の頻度で隊長面談が行われていると聞いたことがあった。思い返してみれば、確かに面談という名目で一番隊から女性が来ていたような気もする。ただ千世も昨年までは未だ席官で、隊舎に居ることも少なかったからあまり意識をしていない。
 千世はこの一時間足らずでどっと募った疲れを吐き出すように深くため息をつく。勘違いであった事がこれほどまでに嬉しかった事は無い。それと同時に、多少でも彼を疑った事を申し訳なく思った。

「嫉妬してくれたのか」
「…嫉妬、といいますか…」

 小さく囁く浮竹に、千世はどきりと胸を揺らす。嫉妬に近い感情であることは確かだったが、しかしそれは少し違う。まさか彼が思いを裏切るような真似をするはずがないと信じながらも、目の前の事実に頭を揺さぶられるような感覚というのは言葉に出来るものではない。

「…とにかく、紛らわしい事は止めて下さい」
「そ…そう言われてもな…今のは仕事だったんだが…」

 甘い言葉が返って来るとでも浮竹は思っていたのか、千世の言葉に面食らったような表情で苦笑いをした。相手の行動を制限するような真似を今までした事は無かったのだが、そう取り決めを行う恋人同士の気持ちがたった今、少しだけ分かってしまった。

(浮気と勘違いする/頂いたおだいばこより)