このままでこのままなら

おはなし

 

 この世界の多くの者にとって、誕生日というのは実に曖昧なものだろう。瀞霊廷で生まれた者であればまだしも、流魂街へと流れ着いた多くの魂達はそれを持たない。適当に選んだ何とも無い日を自らの唯一の日と決めつけ、毎年一年無事生き延びた事をささやかに祝う。
 千世は流魂街の出自と聞いていたが、霊術院への入学前の事についてはあまり聞いたことがなかった。特に尋ねるような切欠も無く、彼女自身も浮竹の出自などについて訪ねてくることはない。お互いに特に知らなくてよい事なのだと認識しているのか、いやその意識すらもしていないのかも知れない。
 何にせよ互いの出自などはこの関係においてさしたる問題ではないという事だ。さて、と浮竹は筆を置くと壁の時計を見た。終業の鐘が鳴って暫く経っていたと思っていたものの、まだ飯屋が賑わうような時間帯だ。
 今日は朝から座した状態が続いていたせいか、身体がぐったりと重く夕飯をわざわざ外へ食べに行くような気にはならない。隊の台所に行けば、この時間であればまだ握り飯くらいであれば残っているだろう。昼飯を取った時間が遅かったこともあり、握り飯が二つほど腹に入ればきっと満足だ。
 立ち上がり大きく伸びをすると、身体の節々からぱきぱきと空気が細かく割れる音がする。身体が伸び切ってから部屋を出ると、すれ違う隊士がわざわざ立ち止まりその頭を垂れた。これから台所で物色をする身だというのにそう頭を下げられると申し訳なく、軽く笑って見送る。
 既に片付けも終わった台所に入り、うろうろと見回す。だいたい残った白米は握り飯にされ、乾かぬよう布が掛けられ置いてあるものだ。自主稽古終わりで腹の減った者が物色をするから、翌朝にはいつも無くなっている。
 いつもと同じ場所に同じように握り飯の残りはそっと布が掛けられ置いてある。布を持ち上げ覗いてみればまだ大皿の半分ほどは残っており、近くの小皿へ二つほど移動させた。味は食べてからのお楽しみだが、だいたいは梅干しか昆布と相場が決まっている。ついでに茶でも入れようかとやかんを探していた時、ふと壁に貼られた七曜表が目に入った。

「近いな」

 一人で思わず呟く。そろそろ千世の誕生日が近い。先月辺りから意識はしていたが、気づけばあっという間に時が過ぎていた。彼女の誕生日を知ったのは確か数年前の何とも無い日だったかと思い出す。まだ彼女が副官になる前、何ということのない書類を執務室まで届けに来た時だった筈だ。
 その後半休を取るという千世に理由を尋ねれば、隊で懇意の後輩が誕生日間近だというからその祝いの品を選びに行くのだという。その話の流れで、彼女の誕生日を聞いたのだった。恐らくその頃から気にして居たからか、それ以来彼女が口にした何とも無いたった一日の日付をよく覚えていた。
 かと言って、今まで特別祝ったことはなかった。誕生日だからと彼女が休みをわざわざ取るような事は浮竹の知る限り無く、その当日に隊舎で会話をした事は何度もあった。しかし何とも無い会話の中で一度だけ聞いた誕生日をまさか覚えているのを気味悪がられはしないかと思い、どうも自ら言い出す事は出来なかった。
 だが今年は違う。恋人となり初めて迎える彼女の誕生日をさてどう祝ったものかと思う。あまり派手なものは好まないだろうし自分の歳を考えても厳しい。祝いの品というものも考え始めたらキリがなく、色々と思い浮かべてはいたもののあまりしっくりとは来なかった。
 できれば彼女の希望のものを渡してやりたいが、気の利いた尋ね方も分からなければ聞くのは無粋かという気もする。
 七曜表を眺めながら、いつの間にかこうも迫っていたものかと多少焦りの気持ちが生まれてくるものだ。やかんを探していた事など忘れ、行儀悪いと知りながらも皿の上からひとつ握り飯を手に取り口に運んだ。

「あれ、隊長?」

 背後から聞き慣れた声を掛けら、慌てて一口飲み込みながら振り返る。丁度思い浮かべている最中に張本人が現れるというのは、実に心臓に悪いものだ。多少上がった脈を整えるように、咳払いを一つした。

「物色中ですか」
「物色とは人聞きが悪いな」

 とは言ったものの、実際明かりも満足でない中握り飯を持ってうろうろとしていた。千世は笑うと、手に持っている急須を流しで空け軽く流す。

「どうしたんですか、七曜表の前で」
「ああ、なに…近いと思ってな」

 千世は首をかしげると、隊首会ですかと頓珍漢な事を言う。確かに隊首会は近かったが、そうではない。もう少し自分の誕生日に興味のある子であれば一度で正解に辿り着けそうなものだが、彼女に期待するべきでは無かった。
 言おうか言わまいかと一瞬悩んだものの、此処で隊首会だと誤魔化す意味もない。多少は自覚させてやろうかと口を開く。

「誕生日だろう、もうすぐ」

 浮竹の言葉に千世は少し考えてから、私のですか、と驚いたように目を見開いた。当日に急に祝って驚かせようという気は無い。人によっては不意打ちのような事を好むようだが、千世の性格を見るにそういう驚きは求めていないように思う。
 それに何より、そういう女性に対して気の利いたことがあまり得意でない浮竹からすれば下手な企画は嫌な思い出になりかねない。

「ご存知だったんですか」
「恋人の誕生日くらいは覚えてる」
「それは、嬉しいですが…言ったことありましたっけ」

 考えたように目線を上げた千世へ簡単に数年前の話をしてやれば、ああ、と思い出したのか思い出していないのか曖昧な様子で頷いた。聞いたほうが覚えていても、答えた側が大して覚えていないというのは良くあるものだ。
 千世は流し台の下の戸棚を開けると、慣れたようにやかんを取り出し蛇口から水を注いだ。その姿を眺めながら、ふと初めて会ったときの姿を思い出し、重ねて見る。あの頃に比べ、随分大人びたものだと思う。
 学院を卒業して間もない姿というのは、皆幼く見えるものだ。それは若いという事ももちろんあるが、まだ死地を経験したことのない希望溢れる純真無垢とも言える心から来るものだろう。彼女も例に漏れずそうだった。それがこの隊で歳を重ね、様々な経験を経ていつの間にか一回りも二回りも成長をしている。
 それを思うと自分の手柄でもないというのにどこか誇らしく、この先もその成長を見守りたいと思う。それは、恐らく親のような感情に近いのだろう。何度かその感情を自覚しては、妙な後ろめたさを感じていた。

「休みは取らないのか」
「いえ、特にその予定は無いですよ」
「なんだ折角の誕生日なんだから、一日くらい気にせず休めば良い」

 千世はどこか考えたように軽く首をかしげた。薄々感じては居たが、余程誕生日に執着が無いように見える。勿論それは個人の価値観でどうこう口出しをしようとも思わないが、彼女くらいの年齢ではその様子は珍しい。浮竹くらいの歳になれば途中から数えるのも飽きて来るというものだが、まだ彼女は若い。

「昔から、あまり自分の誕生日というものにピンと来ないんです」

 蛇口を締めた彼女は、やかんの中に溜まった水をじっと見下ろしながら言う。浮竹は手に持っていた皿を、近くの棚の上へと置いた。
 自覚が無さそうに見えていたのは、間違っていなかったという事か。

「学院へ入学試験の提出書類に誕生日の記載が必要で、実はその時適当に決めたものだったんです」
「そうだったか」
「だから、どうも祝われるという事がしっくり来ないもので…ああ、でも人の誕生日は別ですよ」

 千世はそう言って少し眉を曲げるようにして笑った。それなりの付き合いとはなるが初めて聞く話で、彼女があまり誕生日に執着がない理由とようやく繋がる。
 かといって、別に自分自身も誕生日に特別執着しているという事は無い。ただ自身の中での区切りにはなるものだ。それは正月や入隊式に似たようなもので、一つの地点と認識している。歳を取るというのは非常に曖昧なものだろう。徐々に変化はしていくが、それを明確に自覚することは難しい。

「それなら、今年からは俺と過ごす日だと思えばいい」
「隊長と過ごす日ですか」
「そうだよ。嫌かい」

 浮竹がそう言うと、千世は条件反射のように首を横に振る。一瞬自分の発した言葉を思い出すと少し図々しすぎたかと多少頭の隅では思うが、まあ良い。千世が本人の誕生日をどう思おうが、その一日が彼女にとって唯一の日であることは変わりなく、その日をまた無事迎えたことを目出度いと思うのは自由だろう。
 その日を共に祝うことが出来るのならば自分にとってそう光栄な事は無い。彼女のそれまでの一年を労い、その先の一年の幸福を願う事をその傍でしてやりたいと思う。恋人としてきっとそれは、ごく当たり前の思いに違いない。

「でも、誕生日に二人で休むというのは、少しその…私の誕生日を知ってる人から見たら、怪しいかなと…」
「気にするのはそこか」

 彼女らしいことだ。呆れたように言うと、千世は少し照れくさそうに視線を逸らす。千世と親しくしている清音や他の後輩であれば誕生日は知っているのだろうが、まさかたった一日浮竹と休みが被った程度で怪しむならば相当勘の良いことだ。
 浮竹の提案は彼女にとって多少気に入ったものだったのか、今までの浮かない顔が僅かに緩んだように見える。決まりだな、と横顔に言うとその口元がきゅっと上がった。
 まだ皿に乗っていた握り飯を、手に取り一口頬張る。空気に触れて少し表面が乾いているものの、塩気が丁度良く中の昆布もしっかり染みている。千世がやかんの蓋を閉め火にかける様子を眺めていれば、あの、と控えめな声が聞こえ眉を上げた。

「…それは、また来年もという事ですか?」
「誕生日なんだから当たり前だろう」
「そうしたら、再来年もですか」
「再来年も、その先もだよ」

 浮竹の言葉に、千世ははっとしたようにその顔を向けた。何か妙な事を言ったかと思い返すが、いやそんな事は無い筈だ。廊下から漏れるあかりが差し込む薄暗いこの場所で、やかんを熱する炎だけがやけに明るく千世の顔をゆらゆらと照らした。
 まだ口に残っていた白米を嚥下しながら、彼女から向けられる真っ直ぐな視線を同じように返す。

「もしかして、私を口説かれてますか?」

 何を言い出すかと思えば、まさか考えても居なかった言葉に面食らった。そう言われてみれば、確かにそう受け取られても仕方ないような口ぶりだっただろうか。
 まだ今年の彼女の誕生日すら迎えていないというのに、当たり前のように来年やその先があると思っている。有事とあらばこの命さえと、その覚悟でこの護廷隊の一隊を束ねる者である筈が、彼女を前にするとあたかも正当な権利のように普遍的な未来を望んでしまう。
 この組織に居る限り普遍など無いと数百年も前から分かっているというのに、やはり感情とは愚かなものだ。

「そう…かもしれないな」

 特に否定するような要素は無く、そう答えれば千世は照れたような、しかし満足そうな笑みを浮かべた。手にとるように分かる彼女の感情が、今日は特にころころと色を変えてゆく。

「少し楽しみになりました」

 その言葉に、少しか、と笑った。

 

このままでこのままなら
2020/11/22
(台詞リクエスト「私を口説かれてるんですか?」誕生日の話)