ここから先は覚悟の上で

50音企画

ここから先は覚悟の上で

 

 参った、と千世は目を閉じる。浮竹から木桶は何処に在るかと尋ねられたのがつい数十分前の話だ。確か納屋にあった筈だということを思い出し、二人連れ立って納屋へと入った所随分長い間手入れされていない様子だった。月に一度の掃除で隊士達の当番制にしているはずなのだが、目の届かない範囲だと思い怠けられているのだろう。
 ぱっと見て木桶が何処に在るのか分からず、薄暗い中で二人して捜索をしていた所、入口近く木棚が腐りかけて居た為棚上のもの全てが地面へと積み上がってしまったのだ。そこまではまだ良かったのだが、どうやらその衝撃で出入り口の引き戸の立て付けが悪くなってしまったようでいくら力を入れようと開くことが出来なくなってしまった。
 浮竹も何度か試したが、いくら力を籠めようがミシミシと不愉快な音を立てるだけで開く気配がない。どうしたものか、と二人で今は唸っている。

「破壊してしまえば直ぐ出れるぞ」
「それは困ります、修繕費中々下りないんですよ…」
「確かに…そうだな」

 生憎この納屋は隊舎の敷地内とは言え人気の少ない場所だ。何度か大声を出してみたものの、誰かが助けに来るような気配は無い。木桶を探していた事など忘れて近くの古びた竹製の長椅子へと腰を下ろす。

「隊士に天挺空羅でもしましょうか…」
「それはどうも、大げさすぎやしないか」
「そうですよね…」

 悩ましいところだ。この薄暗い中でどうしようかと悩んだ所で、引き戸は開きそうにも無く、この付近に誰かが通りかかった気配を感じて声を上げるくらいしか無いのだろう。
 一番早い解決方法は浮竹の言う通りどこかしらを破道か何かで破壊してしまう事なのだが、最近は少しの修繕費でも中々決裁書を通すのに苦労している。嘘は書けないしまさか不注意で納屋に閉じ込められた為破壊した、などと言えばとんでもない説教を受けそうだ。
 参ったな、と隣へ腰掛けた浮竹が呟くが大して参ったような雰囲気はない。

「本当に参ってますか?」
「参ってるさ。土臭いしな」
「そこですか?」

 千世の言葉に、浮竹は軽く笑う。その呑気な横顔を見れば、それに気づいた浮竹と目線がかち合った。閉じ込められた事ばかりに注意が向いてあまり意識をしていなかったが、案外近い距離に居た。身体がぴたりと触れ、その体温が伝わる。
 暫く無言で見つめ合っていたが、どういう訳か自然と引き合うように唇が重なる。勤務中に一体何をしているのかと思いながらも、この薄暗さも相まって徐々に昂ぶる気が抑えられず彼の薄い唇を甘く噛む。
 続く温い舌の交わりに思考回路の接続が鈍くなり始めた頃、納屋の外で人の声が聞こえ思わず千世ははっと目を開く。離れた唇の端に残る唾液を指で軽く拭いながら千世は立ち上がりかけたのだが、直ぐに腕を捕まれ引き戻された。

「…だって、此処は、納屋ですよ」

 そうだな、と浮竹は笑いながら手を引く。きっと今の熱を帯びた互いにとって些細な事だと分かっているが、僅かに残った勤務中という事実を理由付けて仕舞い込む為口にした。
 何をしているのだと、あたかも理性的に脳内で呟くがしかしそれは転がり始めた鞠と同じで途中止まることは出来ない。自然と速度を落とすまで、満足行くまで転がり続ける。そう理解すれば容易いことで、まあ此処が隊舎でなおかつ納屋である事なぞ重なる熱の心地よさに比べれば取るに足らない事だった。