えっ聞いてなかったの?

2021年6月26日
50音企画

えっ聞いてなかったの?

 

「隊長は、私のどこが一番好きですか」

 突然の問いに、浮竹は飲み込みかけていた茶で思わず咽る。
 休日の昼下がり、ぽかぽかと暖かな陽気に思わず微睡みそうな時間を縁側で過ごしていた。庭に干された布団をぼんやりと眺めていたが、突然背後から投げかけられた質問に目が覚めるような気分だ。
 座敷で寝転がりながら本を読む千世を振り返ってじっと見る。

「どうした急に」
「…いえ、ただ…ふと思っただけです」

 千世から突然そうはっきりと聞かれるとは、この状況で思いもしなかった。しかも一番、を聞いてくるとは。浮竹にも千世にも言えることだが、互いにどう思っているかなど多く語るような性分ではない。敢えて言葉にしなくとも信頼は伝わるもので、互いの中でその状況に納得しているから良いのだと思っている。
 だが、以前一度だけ明確な言葉を求められたことがあった。好きという言葉を彼女に伝え、そして彼女から同じように伝えられたのも思えばその時が初めてだったように思う。わざとその言葉を避けていた訳ではなく、そう敢えて言葉に出すという意識が無かった。しかし偶にはそう敢えて言葉にする、という事も大切なのだろうと彼女の真っ赤に染まった頬を見て思ったものだ。

「無理に、探さないで良いですからね」

 黙り込んで居る事に痺れを切らしたのか、千世が咄嗟にそう言う。恐らく本当に、ふと思っただけなのだろう。特に深い意味など無く口をついて出たような問いだったのかも知れない。千世はまた手元の本へと目線を戻したが、だが恐らくその内容は欠片も頭に入っていないのだろう。ずっと同じ頁を眺め、全く進む気配がない。
 時折小さく漏れるため息は、先程の言葉をきっと後悔しているものなのだろう。頭の中で色々と考えを巡らせ、余計な事を考え勝手に募らせている様子が手に取るように分かる。彼女の思考が今恐らく恋人の事で埋まっている事を想像すると、その難しそうな表情が愛しく思えて仕方がない。
 全く進まない頁の端を指先でぺらぺらと手持ち無沙汰に遊び、澄ました様子を気取っている姿からは構って欲しそうな匂いがまるで消せていない。何処が好きなのかと知りたいから聞いて、聞いたことを後悔して無理に探さないで良いと言い、さらに結局その言葉を後悔している。
 天の邪鬼と言うべきか、遠慮深いと言うべきか。考えすぎるあまり、意図せぬ方向に物事が進んでゆくのをじっと眺めている様子というのは、何ともいじらしいものだ。

「そういう所かもしれないな」
「…そういう所…?」

 浮竹の言葉に、千世は眉を曲げる。よく意味が分からない、というような様子に浮竹はただ微笑んだ表情を向ければ、少し不満そうに口を曲げてまた手元の本へと視線を戻してしまった。相変わらず全く進まないその本を凝視したまま、ぐるぐると頭の中では考えを巡らせているのだろう。
 彼女を愛しいと思う瞬間は数あれど、やはり彼女の意識全てが自らへ向く瞬間に勝るものはない。それが浮竹が彼女へ向ける感情の中で一番であるかどうかは審議の余地があるが、しかし少なくとも好きな部分であるという事には違いない。

「…今、何か言いましたか?」
「いや、何も」

 しれっとそう澄ました顔で浮竹は答えながら、口に残る甘い言葉の余韻をそっと飲み込んだ。