うしろぐらいのでしょう

50音企画

うしろぐらいのでしょう

 今日は彼女の帰りが遅かった。久方ぶりに同期との飲み会があるのだと嬉しそうに報告をされたのは三日ほど前になる。学院時代の同期というものは唯一無二であり、そうして複数人で集まれることなど早々ない。楽しんできなさいと送り出したのは言うまでもない。
 しかし、彼女が言っていた帰宅の予定時刻から四時間が経過しようとしていた。もう時計の針は一番高い所を指して暫くとなる。先に眠ってしまったとしても恐らく彼女は文句の一つも言わないだろうが、そういう気にもなれず、むしろ時間を追うごとに目が冴えて来ているようにすら思う。
 店の名前は聞いていた。何時から、何時まで、何処の店で。そこまで聞くつもりは無かったのだが、まるで何も疚しいことは無い集まりなのだと彼女は証明するかのように出かける直前、宣言して出ていった。
 別にそこまで言わずともよいのにと、思っていた。だが今はそわそわと、いやむかむかとその店までの道のりを頭の中に思い浮かべていた。しかし向かった所でどうすると言うのだ。偶然を装って向かうにも時間が時間だろう。
 いやしかし、同期での集まりなど滅多に無いことで場も盛り上がるに違いない。多少時間が伸びようと不思議なことではないが、だが流石に四時間も遅れているとなると無性に腹の奥が落ち着かない。
 彼女を信用していないという訳ではない。恐らく嫉妬に近いものだが、しかしその対象が曖昧だ。ならばこの感情が一体何かと問われればそれは答えに詰まる。
 時折この不可解な感情を覚えることは今までにもあった。嫉妬とも怒りとも似つかないこのむかむかとするような感情だ。
 それはまるで思い通りにならないと喚く子供のようなそれに近いのかも知れない。この歳になって、思い通りに彼女が動かず苛立つなど恥ずかしいこと極まりないが、だが言い得て妙かとどこか納得をする。
 恐らくどこか奥底で、彼女を所有物のように思っている節があるのだろう。一人の女性に対して実に不適切な表現だとは思うが、しかしそうでなければこの感情には説明がつかない。いつも手と目の届く範囲に彼女を置いているから、この感情が隠れているのだろう。だから今は彼女が思い通りにならず動揺している。
 手元の本の文字列を目で追うだけの無駄な行為を続けながら、その浅ましい感情との和解を試みるがしかし一向にその気配はない。むしろ増しているのではないかと思うほどに苛立った。
 参加者全員の名前でも聞いておくべきだったか。いやせめて男女だけでも聞いておくべきだった。今日はあまり呑まないと言っていたものの、しかし勧められれば分からない。あの子は酔うととにかく酷い。考えを巡らせるほどに感情が押し寄せ、ため息を吐いた。
 この感情は恋とか愛とかとは全く区分が違う。恐らく執着に近く、いつの間に此処まで育っていたものか見事なものだ。そう遣る瀬無い感情に関心をしていれば、ぎし、と廊下の軋む音に身体が反応する。間もなくゆっくりと開いた襖から現れた気配へ、視線を向けた。

「…戻りました」

 遅い、とにかく遅すぎる。彼女の顔を見れば落ち着くかと思われた感情は、どういう訳か噴出するようだった。近づけば煙草と酒の匂いが入り混じり、他の者のにおいで満たされるこの寝室が途端に不快だ。
 きょとんとする彼女が今日ばかりは腹立たしかったが、ぽつぽつと言葉を交わすうちに恐らくその違和感の正体に気づいたのか彼女の頬が緩む瞬間、またさざ波立つ。続く言葉をとうとう塞ぐように噛み付いた唇を交わらせれば、うっとり瞑った目にようやく胸がすいた。
 しかし満たされるまではまだ遠い。その表情がやがて縋るように歪むまで、今日ばかりは多少の手荒を許して欲しい。

 

(仄暗い側面/頂いたおだいばこより)
主人公側:なじる強さで抱いてくれ