いっとう深いところから

2021年6月26日
50音企画

いっとう深いところから

 

 朝、目が覚めると横に敷かれていた筈の布団は綺麗に畳まれ、枕の上にはこれまた丁寧に畳まれた寝間着が重ねられている。浮竹は起き抜けに厠へ向かう途中台所や彼女が居そうな部屋の襖を開けてみたものの姿がない。
 今日千世は確か休みだった筈だ。大抵浮竹が不在の休みの日は昼頃に寮の自室へ帰り、用事を済ませて夜になればまたこの屋敷へ戻って来るような事が多いと聞いている。きっと今日もそうなのだろうと思っていたのだが。予定があるのならばいつも事前に伝えて来る筈だ。何か急に思い立った事でもあったのだろうか。
 結局行方のわからぬまま何時も通り隊舎へと出勤した浮竹は、念の為と副隊長の執務室を覗く。だがやはり、人の気配はなく薄ら寒い空気が通り抜けるだけだった。
 互いの予定について厳しく管理している訳ではない。ただ、明日は何をするどこに行くというのはどことなく自発的に伝え合うことが多かった。というのも、この所千世が屋敷で過ごすことが増えたからだろう。自然と夕飯を共にする事も増え、食事の準備の兼ね合いも有るから互いの予定を伝え合うのは必要になる。
 独りであればわざわざ屋敷に帰るのも面倒だと雨乾堂で寝泊まりする事も多かったが、それも今は大分頻度が落ちた。彼女を傍に置いて過ごす事が最近は殊に増え、その反動が今は訪れているとしか思えない落ち着きの無さだ。

「清音、千世を見なかったか」
「いえ、見てませんよ。今日は確か休みだったと思いますが…」
「ああ…そうか、ありがとう」

 念の為廊下ですれ違った清音に尋ねてみたものの、やはり隊舎には居ないらしい。となれば寮かとも思うが、早朝から何も言わずに姿を消した事に疑問が残る。まさか言えないような用事でもあったのだろうかと、僅かに考えたが直ぐに思考の外へと追いやった。もしかすれば、今頃には用を済ませ屋敷へ戻っているかも知れない。
 同じ瀞霊廷の中に居ることには違いないというのに、彼女の行方が気になってそわそわと落ち着かない気分に浮竹は我ながら呆れたくなるというものだ。彼女の一挙一投足を監視しているつもりは毛頭なかったのだが、今この落ち着きの無さを見ると潜在的にそうであったのかと思えてしまう。
 今頃千世は帰っているだろうかと、書類に目を通す間気付けば考えていた。流石にここまで頻繁に考えていれば気にしすぎの自覚は有り、何度か頬をぱちぱちと叩いて集中を促したもののしかし結局ぼんやりと彼女の行方を考えている。
 どうにか今日中に終わらせるべき業務は定時までに始末がついたものの、多少進めておきたかった書類の確認は明日へと回すことにした。この状況のまま残った所で大した成果は得られまい。手早く紙類を纏めると、行灯の灯りを消し早足で隊舎を後にした。
 そうそそくさと帰宅したが、しかし屋敷に気配はない。暗い部屋の灯りを灯しながら、いよいよ松本あたりに聞き込みを行うべきかと思っていたその時、ふと背後に感じた気配に勢いよく振り返った。

千世、何処に行ってた」
「今日は霊術院で卯ノ花隊長の特別講義があったのでその手伝いに…」

 戻りました、と呑気に言う千世に思わず責めるように言えば、突然の事に戸惑うような様子で千世は答える。そういう事だったかと今日一日の疑念や不安がばらばらと落ちてゆくような感覚に、はあと一つため息を吐く。

「それならそうと言ってくれれば良かっただろう」
「い、言いましたよ!昨日の夜、明日は早朝から一日卯ノ花隊長のお手伝いだって」
「………そうだったか…?」
「でも少し眠たげなご様子だったので…もしかして覚えて無いですか?」

 さっぱり記憶がない。昨日は風呂上がりに布団に潜り込みその後の記憶がぱったり無い。恐らく千世が言うのはその頃の話だろうが、夢うつつで彼女の言葉に相槌を打っていたのだろう。

「すみません…手紙でも残して行けば良かったですね」
「いや、俺も何というか…心配をし過ぎた」
「心配なんて、そんな行方不明になった訳でもないのに」

 そう笑う千世に、内心図星を指されれたような気になり苦笑いで返した。一瞬でもその行方を知らなくなっただけでこうも動揺するとは情けない。内心散々焦り、挙句の果てに聞き込みまで行おうかと考えるとは今思えばどうかしている。ようやく今日一日の気疲れを荷降ろしながら、彼女の腕を引き抱き寄せた。
 胸元に顔を埋めた彼女は脈絡の無い行動に驚いたように暫く固まっていたが、その背を撫でるうちに力が緩みそっとその体温を預けるような重みを受ける。それがやけに心地よく、自分が思っているよりもずっと根深い思いに気づくには十分な重みだった。