「いい人ね」で終わりがち

50音企画

「いい人ね」で終わりがち

 

日南田、お前彼氏出来たのか」

 檜佐木の言葉に、日南田は飲みかけていた茶で咽る。少し遅れた休憩中だったのか茶屋でみたらし団子を口にする日南田を見かけ、丁度月末締めの書類提出が終わっていた檜佐木も一息つこうかとその横へ腰掛けずんだ餅を注文していた。
 日南田の噂を聞いたのは少し前の事だ。誰から聞いたという訳でなく、隊士同士の雑談を耳にした。どこぞの誰の色恋沙汰なんてものは、真偽がどうであれ誰か一人の耳に入りでもすれば面白半分に勝手に広がる。日南田の噂も、根も葉もないものが面白半分に広まったものだろうと始めは思っていた。
 だが時折瀞霊廷内ですれ違う事や短い時間でも会話を交わす際、噂はあながち間違ってはいないのだろうと思うようになっていた。特に何処がという事はなく、ただ単に雰囲気という実に曖昧な事実だ。学生時代からの付き合いとは言え、護廷隊で別々に過ごした時間のほうが今は長いから細かい変化に気づく事は難しい。
 ただ、昔と比べて今の彼女は大きく変わったという事は分かる。何が切欠かは知らないが学生時代急激に生活態度が変わった事が一回、護廷隊へ配属されてからは更に徐々に変わっていった。その変化というのは、恐らく成長と言い換える事が出来るのだろう。
 だから今の彼女に恋人が居るというのは、別に不思議なことではない。そう、別に不思議なことではないのだが。

「何で隠すんだよ、別にいいだろ」
「隠しているというか、何というか…」

 あまりはっきりとしない態度で日南田は首をかしげる。恋愛が禁止なわけでもあるまいし、隠すような事も無いだろう。本当に噂だったというのだろうかとも思うが、事実でないなら慌てて否定するだろう。否定しないという事は、暗に認めていると言える。
 しかし、昔から異性に興味がないような様子だった彼女を手に入れた相手には実に興味がある。日南田が惚れたのか、若しくは相手が惚れたのか分からないがどちらにしろどんな相手だろうか。檜佐木が耳にした噂ではその相手が誰であるかまでは言及されなかった。
 隣で黙々と団子を食べる日南田に尋ねてみようかとその横顔をへ目をやるが、眉間に皺を寄せ難しい表情をしている。先程の様子からしてもあまり根掘り葉掘りされる事は望んでいないようだから、結局開きかけた口を閉じた。
 暫く二人して無言のまま、檜佐木も運ばれてきたずんだ餅を黒文字で切り取り口に含む。控えめな甘さを飲み込んだ後、流すように湯呑の茶を口に含む。

「檜佐木君は昔から、見た目によらず優しいよね」
「何だよそれ、褒めてんのか。…てか、何でだよ」
「いや、何だろう…いつも丁度良い距離で居てくれるからかな」

 わかんないけど、と最後に一言付け加えて日南田は頷いた。何を急に思ったのか知らないが、もしかしたら噂についてあまり言い及ばなかった事をどこか安心したのかも知れない。噂の真偽についても言い渋る程だから、興味津々で食いつかれる事は余程苦手だろう。
 団子を二本、串だけにした日南田はじゃあ、と立ち上がる。途端にふわっと香った甘い匂いは、恐らく彼女の身につけた香水の類だろう。いつの間にそんな気の利いた香りを漂わせる事を知ったというのだろうか。
 結局恋人が居るかどうかはっきりした答えを聞かないままだったが、この香りを胸に吸い込みながらああきっとあの噂は事実なのだろうと檜佐木はその背を見て改めて思う。
 今まではその噂をはっきりとした事実が無いまま受け止めていたが、実際本人からその気配を伺わせられるとまた違った思いが湧き出るものだ。
 少し離れた場所で振り返り軽く手を振る日南田を見送りながら、あの姿を独占する男がこの瀞霊廷の何処かに居るのかとどこか癪な思いが過る。例えるなら、手塩にかけて育てた野菜が知らない男に収穫されてしまったような、そんな程度の苛立たしさだった。