願う星より掴む星

おはなし

 

 夜遅い時間、千世は六番隊舎まで来ていた。泥棒のような真似をするのは気が引けたが、こうするしか方法は無かったから仕方がない。
 ルキアが一時的に囚われているのは六番隊の隊舎牢で、その場所へは特殊な鍵を持たなければ正規で入ることは出来ない。つまり、千世は彼女と会うことが出来ないという事だった。
 彼女が重禍違反者として囚われたのが一昨日の事で、その一報が瀞霊廷中に広まるまでそう時間はかからなかった。人間への死神能力の譲渡という罪状は思っても居なかったものであり、聞かされた時はひどく動揺をしたものだ。
 一体どのような経緯が彼女をその状況に貶めたのか全く想像が及ぶ余地なく、勿論直ぐに面会を希望した。しかしそれは当然許可されることは無く、変わらず千世には瀞霊廷外への外出禁止継続となる旨が沙汰されただけだった。
 浮竹は一度拘束された彼女と面会したようだったが、その様子はひどく落ち着いていたと言う。
 隊舎牢の東側、鉄格子を千世は確認して手をかける。しかし外れない。ひとつ隣に移動し、同じように少し力を入れると、それはガコンと音を立てて外れた。僅かな隙間はきっと成人男性では入り込めない程のものだろう。
 鉄格子を手にしたままその隙間へ身体を滑り込ませ、最後にそれを嵌める。しんと静まり返ったそこで、足音を立てないよう静かに牢の中を確認しながら進んだ。

「朽木さん」

 千世は牢の中でじっと椅子へ腰を掛けていた彼女に小さく声をかける。背中を向けたままだったが、うとうととしていたのかびくっと跳ねるように背筋を伸ばし、恐る恐るといったように振り返った。
 薄暗い中、驚いたように目を瞠る彼女に千世はぎこちなく笑って小さく手をふる。

日南田殿、何故此方に」
「侵入経路をある情報筋から聞いて…」
「危険です、見回りだってそのうち…」
「ああ、うん。それまでには帰るから…」

 この隊舎牢で一つ外れやすい鉄柵が有るという話を京楽から聞いたのだ。聞いたと言うよりも、彼の独り言を聞いたと言えば正しいのかも知れない。
 それは昨日の事で、隊首会が行われた直後だった。あいにくにも浮竹はルキアが拘束された翌日から体調を崩していたため、隊首会の内容を京楽から聞くよう申し付かっていた。
 隊首会の内容は六番隊による捕縛の報告と彼女の罪状と処遇に関するものだった。現在は中央四十六室にて現在審議中であるという状況説明で終わり、至って短時間のものであったという。
 京楽から隊舎牢の話を耳にしたのはその時だった。老朽化で改修されたばかりだったが、予算の都合で東側の一部が来期に回されたのだというのだ。そこからならば誰かが入り込めるかも知れないな、と京楽は独り言のように呟き去って行った。
 面会の不許可を知っていたのかは知らないが、一見いつもと変わらない様子ではあった。勿論忍び込んでいたことが知られれば只で済まない事は分かっていたが、居ても立っても居られず時を見計らって隊舎を出た。

「朽木さんならこの隙間、通れないかな…通れそうなんだけど」
「いえ無理です…」

 千世が格子を指差すが、ルキアは力なく笑って首を横に降った。数カ月ぶりにようやく会えたその姿は少しばかり痩せたように見える。
 一体現世で何があったのかを聞きたい気は山々だったが、彼女の無事の姿を見ればそれはどうでも良くなった。

「申し訳有りません」
「謝らないで」
日南田殿や、浮竹隊長にもご迷惑をお掛けしました」
「…朽木さん、迷惑と感じたことはないよ。多分隊長もそうだと思うんだけど」

 ただ心配だっただけなのだと千世は言う。千世にとっては死神能力の譲渡だとかは今はどうでも良いことで、彼女が無事に此処へ帰って来た事だけが何よりも重要だった。
 無事であればその後の事はあとで考えれば良い。
 以前まだ千世が下位席官だった頃、当時副隊長だった海燕と、そして彼女の三名で討伐任務へと出たことがあった事を思い出す。
 その頃の彼女はいつもどこか怯えたような表情をしていて、千世に対してもまだ壁を作っているような様子が見て取れた。
 指令書には再生能力の有る虚と記されており、既に二名の一般隊士が命を落としていた。大きさは三間ほど、二対の首を持った異様な形態を目の前にして、副隊長が控えているとはいえ命の危険を一瞬は感じたものだった。
 だが既に虚に関する解析は済んでおり、その二対の首を同時に切り落とすことが再生能力の消滅となる事は分かっていた。海燕は何を思ったか、千世とルキアにその討伐を一任をすると言い始めた。流石に不安があった千世は一瞬戸惑ったが、何か意図があってのことなのだろうとその命令を受けた。
 ほぼ同時の切断となれば互いの意思疎通が重要となる。比較的付き合いの長い千世と海燕であれば難のない事には間違いない。だが敢えて千世とルキアにそうさせたのは二人の中の妙な壁を彼もまた感じていたからなのだろう。
 千世の思った通りあまり二人の息は合わず、それは互いに互いを気遣い、ぎくしゃくとしていた。何度か後方で見守る海燕をちらと見たが、全く手を出す気は無いような様子に考えあぐねた。
 席官に上がってそう時間は経っていなかった千世へと与えられた、彼なりの課題なのだろうと千世は彼女の動きを目で追いながら頭を悩ませたものだ。
 しかしそれは案外簡単な事で、彼女に気を遣わせない事であっさりと解決をした。彼女には好きなように動いて貰い、重要であったのはそれを汲んで千世が次の行動へと移す事で彼女の動きを制限しない事だった。
 無事討伐を終えたあの時も、彼女は今と同じように申し訳無さそうに身体を縮ませて頭を下げていた事をよく覚えている。迷惑などと一度として考えたことが無かったというのに。
 彼女と会話を交わすようになったのは、それ以来だったように思う。会話の中で力なく笑う様子を見ながら、言いようのない寂しさを感じる。

「朽木さん、また一緒に稽古しよう」
「…はい」
「本当に思ってる?」
「お、思っております!」

 彼女は頷いて笑う。それがひどく哀しげで、思わず千世の顔は歪んだ。通常であれば極囚として厳しい処分が下されることを知っているのだろう。しかし、少なくともまだ三十日近くの猶予は有る。
 その時遠くで、扉が軋む音が聞こえた。千世は慌てたようにその音のする方へ目をやる。まだ離れては居るが、少しすればこの場所へと及ぶだろう。

「ああそうだ、これ食べて」
「これは…饅頭?」
「そうなの、隊長へのお見舞い品で今隊にいっぱいあってね…食べてね」

 ぽかんとしているルキアの手に無理やり握らせると、そのまま千世は笑顔で手を振り逃げるように廊下を移動する。侵入した鉄格子を静かに外すと、外へと身体を押し出した。

 人目に付かないよう隊舎へようやく戻ると、人気のない隊舎の中何やら執務室だけの灯りが付いている。もしや消し忘れていただろうか。僅かに隙間の空いた襖から覗くと、長椅子の上でなにやらもぞもぞ動いている。

「…隊長…お身体は大丈夫なんですか」
「…いや、正直かなり良くないな」
「何で出てこられたんですか、寝てないと…」

 げほげほと咳き込み、夏だと言うのに彼は毛布で身を包む。まるで千世の帰りを待つように横になっていた浮竹は、かといって千世に何を聞くでもなく具合が悪そうに唸った。

「雨乾堂に帰られた方が良いのではないでしょうか…」
「そうしたいんだが、暫く動けそうにないんだ。少し休ませてくれるか」
「良いですが…氷嚢持ってきましょうか?」
「…頼めるかな」

 待ってて下さい、と千世は執務室を出て台所へと向かった。棚の中にあった氷嚢を取り出し、砕いた氷を流し込む。少し頬に当てると、ひんやりとして心地が良いものだ。
 執務室で相変わらず咳を繰り返す浮竹の額にそれを乗せると、心地よさそうにふう、と息を吐く。

「長引きそうなご様子ですね」
「…そうだな。気でも緩んだか」

 浮竹もまたルキアの一件で気を張っていたのだろうか。確かに先日彼女と面会した後から体調を崩していた。
 傍に寄り、千世は頬に手を添えると案の定随分と熱を持っている。そんな具合の悪い中を押してまで此処へ来たのは、千世が六番隊の隊舎牢と向かっていた事を何処からか耳にしていたからかもしれない。
 落ち込んでいるだろう千世を励まそうとでも思っていたのだろうか。しかし、不思議にも千世の心は形を良く保っていた。彼女のあの哀しげな笑顔に胸は縮まるような感覚だったが、それ以上にまたこの隊舎へあの姿を取り戻す意志が一つ固くなったように思う。
 果たしてその思いが正しいものであるのかはまるで分からない。千世の中でただその意志は漠然と、しかし強く有る。だが何も動けない今は、現実味のないただの願い程度なのかもしれない。

「どうした、何か考えているようだが」
「ああ…いえ、…そうですね。考えてました」
「そうか。考えるのは良い事だよ。答えが出ようが出まいが」
「答えが出なくても良いんですか?」

 彼は笑って頷いた。千世は不思議な顔をしてその表情を見返す。

「答えは必ずしも一つではないからね」
「…そうなんでしょうか」
「立場も考えも異なれば、勿論答えだって違うだろう。考えるほど、多くの道筋と答えを見つけることが出来る筈だよ」

 随分簡単な事のように言うものだと、千世は眉を曲げた。

「では…その沢山の答えの中から、どうしたら正しいものを選べるようになれますか」
「答えに正しい正しくないなんて無いよ。沢山考えた中で、千世がひとつを選べば良いんじゃないか」
「私が決めて良いんですか?」
「その答えに責任が持てるなら」

 彼はそう言ってゆっくりと瞬きをした。肝心の主語がない会話だったが、その意図は微かに伝わる。氷嚢の持ち手を変えた彼の額から、水滴が一つ垂れるのを見た。

「朽木さんとまた一緒に過ごしたいんです」

 千世が不意にぽつりと呟くと、しばらく二人の間の言葉が途切れた。暫くそのまま俯いていたが、千世は変なことを言ってしまったかと恐る恐る目線を上げる。浮竹はきょとんとしたような表情で千世をじっと見つめて、その視線にどうしたんですかと堪らず言えば細めて笑った。

「なんだか懐かしい気分になったんだ」
「懐かしい?」
「ああ、なんだろうな。強くなったよ」

 何が彼の頭を過ぎったのかは分からないが、なにか納得するようなものがあったのか何度か頷いた。
 気の所為ですよと笑いながらも、彼の言葉が胸の中に静かに落ちるようだった。それは剣技などの目に見えた事ではなく、千世の中にあるものへの言葉なのだろう。彼の突き刺さるような真っ直ぐな瞳と言葉は、いつも進もうとする道へ迷いなく背中を押してくれる。
 今日もまたそうだった。そっと目を閉じた彼に、千世は口元を緩ませる。深夜の瀞霊廷で唯一この部屋だけの時間が動いているような気がした。

 

願う星より掴む星
2020/07/09