懐旧邂逅

2021年6月22日
おはなし

 

 冬のある雪の降る日、突然浮竹に呼び出された。隊舎入り口へ正午に集合するよう言われたのだ。
 それは千世が五席に上がり暫く、そして副隊長が空席となって少し経った頃だった。
 集合というからには、複数他にも呼ばれているのだろうかと思っていたが、定刻になって現れたのはルキアだけだった。それから少し遅れて現れた浮竹は、三名分の笠を持っておりそれを其々に渡す。
 笠を被りながら、ルキアは不思議そうに浮竹を見上げた。

「どちらに向かうのでしょうか」
「ちょっとした散歩だよ」
「散歩…?」

 散歩と言うにはやけにかさばる。かなり冷える日だったから三人とも厚手の羽織を身に着け、ルキアに至っては襟巻きをぐるぐるに巻いている。千世も巻いてくればよかったものだとその姿を見て思ったものだ。
 行くか、と歩きだした浮竹の後ろを二人で着いて歩く。雪のせいか瀞霊廷の中はあまり人通りもなく、しんとしていた。そのまま石畳に薄く積もった雪をみしみしと踏みしめながら進んでゆく。
 流魂街への通行門が近づくと、浮竹は胸元から通行証を取り出しまた二人にそれぞれ渡した。

日南田殿は本当に何処に向かうかご存じないのですか?」
「うん、朽木さんも本当に知らないの?」
「はい、さっぱり…」

 先に門を通る浮竹の後ろ姿を見ながら、二人はこそこそと話す。特に何処かに連れて行かれるような心当たりはない。昨日まで具合が悪く雨乾堂で休んでいた浮竹は急に何を思ったのだろうか。
 笠に積もった雪を軽く払いながら、さらに道を進む。雪は多少勢いをましているようにも思う。風が吹かない事が救いだったが、底冷えするような寒さに身震いをした。
 ルキアとの任務は何度かあったが、隊長である浮竹と三名というのは珍しい。しかも任務ではなく彼いわく散歩だ。しかしこんな雪の日にどうして散歩を思い立ったのかが不思議だ。
 すごい雪だな、と笑う浮竹に二人は無言で頷いた。道を進むにつれて山深くなり、地面に積もる雪もそれにつれて深くなってゆく。革足袋を履いてきてはいたものの、つま先がしびれるくらいに冷たい。

「隊長、あとどの程度なのでしょうか」
「もう少しだ。悪いな、雪の日に」
「いえ…しかし隊長、一体何処へ向かっているのですか?」
「神社だよ。この先にあるんだ」
「こんな山深い所にですか…?」

 ますます千世はよく分からず、首を傾げた。横のルキアをふと見れば彼女も同じように千世を見ており、二人で顔を暫く見合わせた。
 浮竹が神社に行くまでは分かるが、どうして千世とルキアが二人で同行に選ばれたのかが分からない。暫くは山道のような細い道が続いていたが、やけに周辺の木々が手入れされたような場所に出た。
 瀞霊廷を出ておよそ一時間ほど歩いていただろうか。実際そこまで離れている訳では無さそうだが、雪道のせいで相当歩いたように感じる。
 広い流魂街には勿論各地に神社が有り、こうしてお参りをするというのは珍しい事ではない。しかし浮竹がわざわざ雪の日にこうして出かけるほど信心深いというのは初めて知った。

「隊長、こちらですか?」
「ああ、そうだよ。小さい神社だけどね」

 確かにあまり大きな規模ではない。鳥居の先に手水舎があり、奥にはこぢんまりとした本殿が有る。鈴から垂れる縄は一つのみで、置いてある賽銭箱も実に小さなものだ。

「賽銭は俺が出すよ。まあ、気持ち程度だ」
「すみません…」
「俺が何も言わずに二人を連れてきたからな」

 そう言って笑った浮竹に、千世は頭を下げた。小銭を渡されたルキアの後ろに千世は並ぶ。

「何お願いするの?」
「ええと…日南田殿は…?」
「私は、どうしようかな…」
「願いじゃない。誓うんだよ」

 先にお参りを終えた浮竹は、二人を振り返ってそう言った。

「神様は願いを叶える訳じゃないんだ。感謝を忘れず、強い思いを持ち努力する者に力を貸してくれる」
「なるほど…」
「よしじゃあ次は、朽木か?」

 悩んだ様子のままルキアは浮竹に促されて賽銭箱の前に立つ。その後ろ姿を眺めながら、千世も一体何を誓おうかと唸る。日頃色々とこうなりたいと願うことは有るが、いざ突然神社に連れてこられると直ぐに一つを思い浮かべるのが中々難しい。しかし、ずっと胸にあるのは彼の横にいずれ立ちたいという願いだ。
 副隊長を失い少しの時間が経ったが、隊の動揺は未だ残っている。千世自身も時間が経った今でも信じられず、そして背中を見せるルキアはそれ以上に大きな傷を負っていた。そんな中副隊長相当の実力者が不在という理由で現在は空席となり、三席に二名が上がることでその穴を補っている。
 勿論今千世自身がその場所に及ぶとは到底思っていない。実力は付けてきたが、やはり三席や四席にはまだ遠く及ばない事をひしひしと感じている。

日南田は何を祈るんだ?」
「えっ!?え、ええっと…隊長は…?」
「まあ色々あるが、一番は健康でいる事だな」
「健康、成程……でも、色々あって良いのですか?」
「強く誓うなら良いんじゃないか」

 彼の言葉にうーん、と一つ唸ると丁度ルキアが振り返った。どこかまだ悩んだ様子で、祈ったことが納得いかなかったのだろうかと笑う。

「朽木さんまだ悩んでるの?」
「いえ、色々と誓いを立て過ぎてしまったかと…」
「そうなんだ。でも隊長が強く誓うなら色々あってもいいんじゃないかって言ってたよ。…あれ、隊長?」

 つい今まで横に居た浮竹の姿がすっかりない。回りをきょろきょろとしてみるが、目の届く範囲には居ないようだった。まあすぐ戻ってくるだろうと、千世は本殿へ近づく。
 彼から貰った賽銭を投げ入れ鈴を鳴らしてから頭を二度下げ、掌を二度叩く。掌を合わせたまま、そのまま暫く目を瞑った。色々と願いはあったが、やはりそのうちの強く思う一つにした。浮竹はああ言っていたが、目標が散らばるのは避けたいと思った。

日南田殿は何を祈られたのですか」
「うーん…内緒かな…。朽木さんは?」
「えっ!?日南田殿が内緒ならば、私も内緒です…」
「じゃあ叶ったら、言おうかな。朽木さんも叶ったら教えてよ」
「叶ったら…ですか…」

 訝しげな顔をするルキアに、千世は笑って頷いた。
 雪は多少弱くなっていたが、足元が冷える。暫く待っていたものの浮竹の姿が現れず、本殿の軒下に移動をした。足元が雪でないだけ幾分寒さは薄れる。

「隊長探してこようかな。朽木さんは此処で待ってて」
「私も参ります」
「もし隊長が戻ってきたら分散しちゃうから、此処で待ってて欲しい」

 千世の言葉にルキアは一つ頷く。二人を置いて遠くに行くとは思えないから、少し辺りを見回る程度だ。千世は本殿の裏に回り茂みを抜ける。鬱蒼と木々の生える場所が続いたが、直ぐに開けた場所へ抜けた。
 そこからは瀞霊廷を見ることが出来る。雪道であまり意識していなかったが、ここは少しばかり小高い場所になっているらしい。瀞霊廷を見つめるその後ろ姿に、千世は声をかける。

日南田か、どうした」
「隊長が姿を消されたので、探しに来たんですよ」
「ああ…悪かった。…ここの景色が中々好きでな」

 彼がそう言う理由は分かる。雪化粧の瀞霊廷は普段とは少し様子が違うように見えてつい眺めてしまう。暫くそうして二人で立ち尽くしていたが、千世はそういえば、と口を開いた。

「どうして急に神社へ?」
「ああ、それが……実は今日、また一つ歳を取ったんだ」
「えっ!?お誕生日ですか?」
「そうなんだ。気恥ずかしいから、あまり言わないんだがな」

 そう言って少し気まずそうにする。まさかそんな特別な日だとは思いもよらなかった。今日も普通に朝から隊舎に居たのを見たし、特にそんな様子はなかった。
 彼のように何百回目の誕生日ともなれば、あまり特別な気はしないのかも知れない。

「毎年、ここに来るんだよ」
「…大切な場所なんですね」
「まあな」

 その理由を気になりはしたが、あまり聞かない方が良いのだろうと思い口を閉じる。遠くを見るような視線が、雪景色と相まってやけに印象的だった。

「だが、人を連れてきたのは初めてか…ああいや、一度京楽を連れて来たことがあったかな」

 何故今日千世とルキアがこうして彼の大切な場所に連れられたのか、その実のところは彼自身で無ければ分からない。しかしその優しい横顔を見ると、理由は分からなくとも思いはどこか伝わって来るような気がしていた。
 ひとつ確かなのは、今まで立ち止まり続けていた足が少しだけ前に進むように感じている。まだ以前の通りとは行かないが、踏み出すことを躊躇っていればそのまま無意味に老いてしまうだろう。

「お誕生日おめでとうございます」
「…言わせたみたいだな」

 千世は笑って首を横に振る。本心からの言葉だった。彼が居なければ今の千世はない。その思いに多少疚しさはあれど、それに伴う成長は紛れもない事実だった。
 彼の目をじっと見つめればその視線が優しく交わり、どきりと胸が揺れ思わずはっと逸す。

「く、朽木さんが待ってるので、早く戻りましょう」

 上ずった声でそう言うと、慌てたように千世は駆け出して茂みに飛び込む。一瞬でもその横の心地よい優しさを感じてしまった事を後悔した。それは胸にこびりついて離れず、蔦のように絡まる。
 熱を持った頬をぱちぱちと叩きながら、千世は一つ息を吐く。雪の勢いは、未だ当分収まりそうになかった。

 

懐旧邂逅
2020/06/30