十二番隊からの帰り道、千世は隊舎に帰る気が起きずいつもの道とは逆へと身体を向けた。
暫く道を進むと、そのうち雑草が生い茂る空き地が有る。何百年も昔、十一番隊の稽古場があった場所だと聞いていたが、千世が入隊するよりも前に何かがあって取り壊されたらしい。
まだ跡地には朽ちた太い柱が横たわっており、千世はそこへ腰を下ろした。薄くなった部分にヒビの入るような音が聞こえて冷や汗が垂れたが、まだ体を支える分の厚みは残っているようだ。
頻繁にここへ来る訳では無かったが、あまり人の顔を見たくない時にはこうして腰を掛けて、自分の中で整理がつくまで過ごす。大体は整理がつく前に悩んでいることが面倒くさくなって、帰りに団子を買って隊舎に帰る事が多かった。
だが、今日はきっと暫く隊舎へ帰る気にはならないだろう。千世はため息をつくと、風に揺れる草の葉の動きをぼんやりと眺めた。
現世駐在に向かったルキアが行方不明になった件について、十二番隊から説明があった。一ヶ月前に見送り、一度報告書が回ってきたもののそれ以降提出が無かったのを気にしては居たのだ。
ルキアの事だから未提出には何か理由があり、多少遅れてでも提出はされるだろうと思っていたのだがまさか行方がわからなくなっているとは思わなかった。
淡々と現在の調査報告をされながら、千世は状況が読み込めず何度か聞き返した。彼女が行方を眩ませる理由は無いし、何かの間違いではないか。
彼女の通信が途絶えたのは、一体の虚と接触中であったという。一見すればその場で命を落としたような状況だったが、その現場には跡形もなく、また虚自体も討伐が完了していた。
本件については今後総隊長の命により内密に調査が行われると言う。場合によっては千世も重要参考人なる事を伝えられ、暫くは瀞霊廷からの外出を禁止されることとなった。
それは隊長である浮竹も同じであり、彼には事前に通達をしているという。全くそんな様子を見せなかった彼の姿を思い出し、胸の中にすうっと冷たい風が通るような感覚だった。
彼女が何も言わずに行方を眩ませる事は無いと言い切れる。彼女の身に何かが起こって身を隠す事になっているのだとしたら、きっと心細いに違いない。
喉の奥に何かがつかえるような違和感に気分が悪く、千世はぐったりと上半身を前へ倒した。視界の上下が反転し、頭に血液が集まってくるような感覚でぼうっとする。
それから暫くそうしてぐったりと地面を見つめたり、空を見上げたり、手のひらの皺を数えたりしていたが結局隊舎に帰る気にならないまま時間が過ぎて行った。
十番隊舎にでも顔を出そうかと思ったが、この件については他言無用とされている。明らかに気分の落ちている様子を松本が気づかない筈はないし、変に気を遣わせることになるだけだろう。
何でだろう、と千世は手のひらに向かって呟く。それが分かれば苦労はない。
ルキアの行方不明への不安と、そして多少の嫌疑を向けられている状況への苛立ちとが混ざり、無性にむかむかと胸焼けがする。
吐き捨てるようなため息をすると、千世はふと正面で手を振る姿が目に入った。おーい、と浮竹が呑気な様子で笑っている。すたすたと近づいてくる彼は、持ち帰り用の団子の箱を手にしていた。
「此処に居たのか。清音が探してたぞ」
「あー…そうでした」
清音と隊の常備薬の棚卸しをしている途中で十二番隊に呼び出されたことを忘れていた。もう随分と経つから、きっと彼女一人で終わらせていることだろう。申し訳ないことをした。
浮竹が千世の横へと腰を下ろすと、朽ちかけの柱がしなる音がする。
「聞いたのか」
「はい、先程」
千世は少し不機嫌な様子で答える。
十二番隊の説明では、既に十三番隊隊長には通告の通り、との事だった。この状況を知っていたというのに、いつも通りの様子で過ごしていた。
ルキアからの駐在報告書が上がってきていないという話も最近ちらとしたのを覚えている。珍しいな、と不思議そうな顔をしていたが、もうその時点で既に行方不明だという事を浮竹は知っていたのだ。
勿論、他言無用との事で報告は行われていたのだろうという事は分かっている。彼に当たった所で何の意味もないというのに、どうしても千世はぶすくれたくなった。
「隊長はご存知だったんですね」
「一週間ほど前に聞いていたよ」
「どうして、教えてくださらなかったのですか」
「まだ不確定だった。だが千世も通告を受けたという事は、何らかの処置が決まったという事だろうな」
浮竹によれば、今後は隠密機動を動員して捜索が行われるようだ。近い将来、よっぽどの事が無い限り彼女の居場所は明らかになるのだろう。
「隊長は、朽木さんがご心配ではないのですか」
あんまりに様子が変わらないから、千世はついそう聞いた。嫌味のように聞こえただろうか。遠くを見るその横顔を見れば、やはりいつもと同じ穏やかさだ。
「心配さ。本当は今すぐにでも現地へ向かいたいと思っているよ」
「ならば参りませんか、穿界門は用意されている筈ですし…」
「言っただろう、俺と千世は動くなと事前に釘を差されてるんだ。流魂街にすら出れない。朽木の状況も、隊の状況もこれ以上悪くは出来ないよ」
困ったように笑う浮竹に、千世は身体を萎めた。
彼の言う通りだとは分かっている。千世は馬鹿なことを言ってしまった事を反省しながら口をぎゅっと閉じる。形のない不安が身体の中にへばりつくようで、息が詰まる。彼女から遠く離れた此処で藻掻いた所で、何の意味もないというのに。
浮竹は手に持っていた団子屋の箱を膝の上に乗せると、中からみたらし団子をひとつ取り出した。一本を差し出され、少し迷ったものの小腹が減っていた事もあり受け取る。
一つ口に入れて茶が欲しいな、と呟いている様子のあんまりにも変わらない様子に、思わずぽかんと横顔を見つめる。
「朽木の為にも、我慢出来ないか」
「……出来ないです」
「出来ないか…困ったな」
千世の言い切る態度に、浮竹は笑った。
「隊長の仰る通りだというのは、分かっているんです」
良く分かっている。下手に動けば隊の状況も、彼女自身の状況も悪くさせてしまう。彼女が無事発見された際に、千世の行動で万が一罪が重くなるような状況などあってはならない。
しかし彼女が何か危機に直面しているかも知れないというのに、それを放っておけるほど千世の心は強くはなくて、今此処で呆然としている時間にさえ苛立つ。
この矛盾した状況に一番やるせなさを感じているのはきっと浮竹だろうに、自分ばかりが苛立って虚しく思ってしまう幼さにもうんざりとしている。
「ただ待つことしか出来ないというのが、情けなく思えてしまうんです」
「そうかな。俺は情けないとは思わないが」
「…そうなんでしょうか」
「相手を信じていなければ、待つ事なんて出来ないだろう。信じて待ってやれば十分じゃないか、今は」
穿界門まで彼女を見送った日の事を思い出す。緊張も不安も無さそうな彼女の様子を見て、安心をしたものだ。たった数ヶ月の駐在は、きっとあっという間なのだろうと思っていたのだが。
信じるという言葉は抽象的だと思う。だが、今この状況で自分の出来ることと言えば、彼の言う通り信じて待つという事だけなのだろう。とても精神論的で、その実態の無さに言い得ぬ不安はある。
しかし不思議なもので、彼の口から聞かされる言葉は何か確信めいたものを持っていて、千世の中の詰まった胸の中に少しだけ隙間を作るようだった。
手に持っていた団子を、千世はひとつ口に含む。もそもそと噛み締めながら、纏わり付く甘さが口中に広がって確かに茶が欲しくなった。
「じゃあ、帰ろうか。この残りの団子は清音にやろう」
「…はい。そうですね」
三つ目の団子を飲み込み、千世は立ち上がる。
「ありがとうございました」
「礼を言われるような覚えは無いよ」
浮竹は笑うと、千世の頭をぽんぽんと二度軽く叩いた。
いつもいつの間にかに道を敷かれて、静かに導かれている。千世はそれに気付いたり気付かなかったり、暫くしてから気付く事もあった。
彼の背を見て歩きながら、また知らぬ間に支えられてしまったのだと千世は感謝以上に自身が不甲斐ない。到底一生及ぶ事は無いと分かっては居ながらも、いつかこの恩を返せる時が来るのだろうかと思うと少し胸が曇った。
風になびく髪を見ながら、すぐ触れられる距離がどうしてか今日は遥か遠くに感じた。
大丈夫になるように
2020/06/27