君を紐解く

2021年6月22日
おはなし

 

 久しぶりの出撃命令が下った。実に一月ぶりで、以前昏倒した流魂街での討伐任務以来のものとなる。暫くの入院期間を伴っていた為現場復帰に向けて事務仕事の合間に稽古に励んでいたのだが、ようやくの受任となった。

「今回は俺も行くよ」
「隊長がですか…?しかし、任務は通常個体の虚二体の討伐ですし、隊長に同行頂く程の事では無いですよ」
千世の一月ぶりの復帰戦だろう。前回の怪我の影響が無いか、今後に問題が無いかを確認したいんだ」

 そのつもりで今回の任務を千世に宛てがったのだと浮竹は言う。
 確かに彼の言う通りだ。いくら稽古で慣らしていたとはいえ、実戦からひと月も離れれば少なからず不安もある。千世は多少情けない思いを感じながら、浮竹の言葉にひとつ頷いた。
 彼が単なる心配で同行する訳で無いというのは分かる。また前回と同じように小隊で向かい、万が一があれば千世の副隊長としての適性が問われるような事態になるだろう。
 任務を受けて間もなく、穿界門の用意が整い早速二人は現場へと向かった。久しぶりの現世は太陽が燦々と差す午後の早い時間で、暑いくらいだ。指令書通り虚の気配を二体分感じる。暫く上空で待機していれば自ら寄ってくるだろう。
 この程度の相手であれば恐らく一体ずつ対応するよりも、二体まとめて相手にした方が不意打ちを食らうことも無く効率が良い。

「こうして二人で現世というのも久しぶりだな」
「そうですね、前回の旅館視察以来でしょうか」
「懐かしいな。機会があればまた行きたいものなんだがな」

 千世も頷く。あれから半年ほど経つが、その頃はまさか関係性がこうも変化するとは思っても居なかった。時折ふっと胸に湧く淡い感情に今まで行き場がなかったものだが、今はその感情の行き先がある。
 未だ夢のような気もするが、徐々に実感へと変わってゆくのを感じている。それは向けられる言葉であったり、交わる視線であったり、目に見えて明らかに変わった訳ではなく、千世だけにしか受け取れないものを感じるようになった。
 と、不意に目の前に千世の体躯の数倍はある虚が突如二体地上から飛び上がり現れた。思わずうわ、と声を上げるほど物思いに耽っていた事を反省し、直ぐに飛び退き距離を取る。浮竹は気づかないうちに離れていたようで、正座をして千世の方を笑いながら眺めていた。まるで演劇でも鑑賞しているかの様子だ。

「俺はここで見てるからな」
「何で楽しそうなんですか!」

 千世の叫びに、浮竹の笑い声が響いた。
 ふん、と一つ鼻を鳴らして虚の方へと顔を向ける。仮面の形が二体とも近似しているところを見ると、もしかしたら生前は兄弟か姉妹だったのかもしれない。少しばかり感情が曇ったが、それ以上を考えないように頭を横に振った。
 久しぶりの実戦は、僅かな不安とそれ以上の高揚感がある。斬魄刀を抜き、間合いを取りながら一体にひとつ踏み込み片腕を切り落とす。瞬間、もう片方の腕が千世を狙って飛びかかり慌てて下がった。
 前回もこうして初撃で片腕を切り落とした事を思い出す。まさか切り落としたはずの腕が再び飛びかかってくるとは夢にも思わないだろう。しかし、その事態を予測しなかった事が完全に落ち度であった。何度悔やんでも悔やみきれない。
 切り落とした腕が確かに地面へと落下した事を目の端で確認をしてから、再び対峙した。

千世、遅れを取ってるぞ」
「は、はい!分かってます!ただすごく、眩しいんです」

 この時期の太陽がひどく眩しい。虚が一体太陽を背に移動するため逆光で目を思わず細めた。その為余計に動きが遅れた。
 遠くで見物している浮竹からの野次が時折響き、千世は僅かに焦る。そうして焦らせようとわざと声を掛けるのだろう。やはり、以前に比べて多少身体の動きが鈍い。気力でなるべく速さを保とうとしているものの、彼からしてみればその鈍さは明らかだろう。
 暫くは距離を取りつつ、二体の動きを見ながら攻撃の隙を窺う。この二体は間違いなく通常個体のようだ。前回の流魂街での変異体は明らかに途中からおかしな動きを見せていた事を思い出す。新入隊士に早めに帰還指示を出していた事だけが救いだった。
 動きが多少遅い一体から、瞬歩で背後に回り一太刀斬りつける。始解をするまでもない相手であることは、その斬撃の感触で分かる。千世の気配に追いつけず、振り返りもしないまま斬撃の衝撃で地面に叩きつけられた。
 反撃のためにのそりと起き上がり千世に正面を見せた所を仮面ごと叩き切る。久しぶりのしっかりとした太刀の感触は爽快感を伴っていた。

「あんまり回りのものを壊すなよー」
「配慮してます!」

 呑気な声が耳に入り、千世は口をへの字にした。だから河原の上空まで移動をしていたのだ。分かっているくせに、どうしても何かを言いたいらしい。多少河原の小石が衝撃で弾け人の乗っていない二輪車をいくつか吹き飛ばしていたが、大した事故ではない。
 残った一体は、片方が討伐され興奮しているのかけたたましく叫びながら威嚇を続けている。鳴き声は厄介で、呼応して他の虚が集まる場合がある。駆け寄り蹴りで体制を崩すと、そのまま仰向けになった喉を浅く斬りつける。虚相手とは言えあまり残酷な方法は取りたくないのだが、こうなれば仕方がない。

「おーい、今の斬撃浅くないか!」
「今のは!わざとです!」
「はは、知ってるよ」

 浮竹が楽しんでいるようにしか見えない。久しぶりの現世の空気が嬉しいのか、それとも千世が奮闘している姿を見るのがなかなか愉快なのかもしれない。
 稽古場での姿を時折眺められている事はあったが、実戦をこうして見られるのはもしかするとまだ席官にも満たない頃が最後だったかも知れない。隊長自ら任務に出るという事があまり無いものだから、今日この日というのは貴重だ。
 しかしそれとこれとは別の話で、楽しげに野次を飛ばす浮竹に千世は珍しくむっとしながら、暴れる虚の腹の上に立ちそのまま斬魄刀で仮面ごと頭部を突き刺した。苦しげな断末魔が聞くに絶えず、さっさとその場から離れ浮竹の目の前へと降り立つ。
 彼は笑いながら立ち上がり、袴を軽く整える。

「お見事」
「…いえ…少し息が切れました」
「体力不足か。まだまだ稽古のし甲斐があるな」

 血を払い納刀し、息を整える。実戦は運動量と霊力の消費が稽古とは全く異なる。一ヶ月ぶりにしてはあまり手間取らずに処理ができたと千世は思っているのだが、しかし彼から評価を聞くのは少しばかり気が引けた。
 不思議なもので、こうして任に当たっていると彼の事を恋人だと認識する事が無かった。彼はあくまで自身の上官であって、千世は彼の指示の下任務を遂行する。
 それは気持ちの切り替えというよりも、今まで散々染み付いている関係性のせいなのだろう。その無意識中の意識は千世にとっても有り難いもので、自分が浮ついた気持ちで仕事と向き合っている訳ではないという事を改めて認識できる。
 彼との関係が変わって一番危惧していた事だった。業務において不要な感情によって万が一手元がぶれるような事があれば、それは恐ろしい事だと思っていた。きっと浮竹にとっても同じだったのだろうと思う。それを今日改めて余分な感情が入り交じる事は無かったと明示できた。
 千世はほっと、ようやく整った息をひとつ吐いた。

「そういえばここ、今度朽木さんが駐在する町ですよね」
「ああ、そうだよ。だから今回の討伐任務を十三番隊で受けたんだ」
「下見という事ですか?」
「そんな所だ」

 浮竹はそう言ってから町を見下ろす。千世も同じように辺りをぐるりと見回した。川沿いの道を歩く学生が楽しげに笑い合っている。
 ルキアの現世駐在が決まったのはつい三日ほど前だった。彼女の実力は認められていたし、浮竹も千世も彼女一人で任に当たることは問題無いと思っている。暫く会えなくなるのは寂しいが、きっとその駐在任務は彼女にとっての大きな成長になるのだろう。
 行こうか、と浮竹は千世に声をかけるとその手を引いた。優しく握られた手を目を丸くして確認しながら、えっ、と思わず声を上げる。

「隊長…!」
「誰も見てないさ。任務も終えたことだしな」
「でも…」
「久しぶりなんだ、瀞霊廷に帰るまでくらい良いだろう?」
「…は…はい」

 千世は頬染めて小さく頷いた。断界を通る間だけの僅かな時間だ。斬魄刀で穿界門への扉を開くと、地獄蝶を引き連れながら久方ぶりの逢引となった。

 

君を紐解く
2020/05/31