願う星より掴む星

2021年6月22日
おはなし

 

 夜遅い時間、千世は六番隊舎まで来ていた。盗人のような真似をするのは気が引けたが、方法が無かったのだから仕方がない。
 ルキアが一時的に囚われているのは六番隊の隊舎牢で、その場所へは特殊な鍵を持たなければ入ることは出来ない。つまり、千世には彼女と会う術がなかった。
 彼女が重禍違反者として囚われたのが一昨日の事で、その一報が瀞霊廷中に広まるまでそう時間はかからなかった。人間への死神能力の譲渡という罪状は思っても居なかったものであり、聞かされた時はひどく動揺をしたものだ。
 一体どのような経緯が彼女をその状況に貶めたのか、全く想像の及ぶ余地がない。更には十三番隊一人ひとりに聴き取りが行われ、特に親しい千世や清音、仙太郎の聴取は数時間に渡った。
 無関係と判断されてからは、直ぐに面会を希望した。しかしそれは許可されることは無く、千世には瀞霊廷外への一切の外出禁止となる旨が沙汰されただけだった。
 浮竹は一度拘束された彼女と面会したようだった。その様子はひどく落ち着いていたと言う。
 隊舎牢の東側、鉄格子を千世は確認して手をかける。しかし外れない。ひとつ隣に移動し、同じように少し力を入れると、それはガコンと音を立てて外れた。僅かな隙間はきっと成人男性では入り込めない程のものだろう。
 鉄格子を手にしたままその隙間へ身体を滑り込ませ、最後にそれを嵌める。しんと静まり返ったそこで、足音を立てないよう静かに牢の中を確認しながら進んだ。

「朽木さん――朽木さん!」

 千世は牢の中でじっと椅子へ腰を掛けていた彼女に小さく声をかける。背を向けたままだったが、うとうととしていたのかびくっと跳ねるように背筋を伸ばし、恐る恐るといったように振り返った。
 薄暗い中、驚いたように目を瞠る彼女に千世はぎこちなく笑って小さく手をふる。

日南田殿、何故此方に」
「侵入経路をある情報筋から……まあそれはどうでも良くて……」
「危険です、見回りだって間もなく――」
「大丈夫。それまでには帰るから」

 この隊舎牢で一つ外れやすい鉄柵が有るという話を京楽から聞いたのだ。聞いたと言うよりも、彼の独り言を、必然的に耳にしてしまったと言えば正しいのかも知れない。
 それは昨日の事で、隊首会が行われた直後だった。あいにくにも浮竹はルキアとの面会後から体調を崩していたため、隊首会の内容を京楽から聞くよう申し付かっていた。
 隊首会の内容は六番隊による捕縛の報告と彼女の罪状と処遇に関するものだった。現在は中央四十六室にて審議中であるという状況説明で終わり、至って短時間のものであったという。
 京楽から隊舎牢の話を耳にしたのはその時だった。老朽化で改修されたばかりだったが、予算の都合で東側の一部が来期に回されたのだというのだ。そこから、侵入できてしまうかもしれないね、と。
 まるでそれは独り言のようでもあったが、恐らくそうではない。深々と腰を折ったが、彼は不思議そうに眉を上げ、笠を深く被り去っていった。
 勿論忍び込んでいたことが知られれば只で済まない事は分かっている。しかし意味も分からぬまま囚われ、独り牢にいる彼女のを思えば、罰などどうでも良いと思った。
 瀞霊廷も寝静まるような深夜、執務室で書類整理をしていた千世は抜け出し、ルキアの囚われる牢へと向かったのだった。

「朽木さんならこの隙間、通れないかな…通れそうなんだけど」
「流石に無理です……」

 千世が格子を指差すが、ルキアは力なく笑って首を横に降った。数カ月ぶりにようやく会えたその姿は少しばかり痩せたように見える。不安と己の無力さで自然とこわばる表情を、千世はどうにか微笑みを絶やさないように意識する。
 一体現世で何が起きたのか。疑問は湧いて出続けていたが、しかし彼女の無事の姿を見ればどうでも良く思えた。

「……申し訳有りません」
「謝らないで、本当に」
「浮竹隊長にも、日南田殿にも大変なご迷惑をお掛けして」
「……朽木さん、迷惑と感じたことはないよ。隊長も絶対にそうだと思うから」

 ただ心配だっただけなのだと千世は言う。千世にとっては死神能力の譲渡だとかは今はどうでも良いことで、彼女が無事に此処へ帰って来た事だけが何よりも重要だった。
 今が無事であれば、その後の事はまた追って考えれば良い。
 以前まだ千世が下位席官だった頃、当時副隊長だった海燕と、そして彼女の三名で討伐任務へと出たことがあった事を思い出す。
 その頃の彼女はいつもどこか怯えたような表情をしていて、千世に対してもまだ壁を作っているような様子が見て取れた。
 指令書には再生能力を持つ虚と記されており、既に二名の一般隊士が命を落としていた。大きさは三間ほど、二対の首を持った異様な形態を目の前にして、副隊長が控えているとはいえ命の危険を一瞬は感じたものだった。
 だが既に虚に関する解析は済んでおり、その二対の首を同時に切り落とすことが再生能力の消滅となる事は分かっていた。海燕は何を思ったか、千世とルキアにその討伐を一任をすると言い始めた。
 流石に不安があった千世は一瞬戸惑ったが、何か意図があってのことなのだろうとその命令を受けた。
 ほぼ同時の切断となれば、互いの意思疎通が重要となる。比較的付き合いの長い千世と海燕であれば難のない事には間違いない。だが敢えて千世とルキアにそうさせたのは二人の中の妙な壁を、彼もまた感じていたからなのだろう。
 千世の思った通りあまり二人の息は合わずにいた。互いに互いを気遣い、譲り合っては幾度も機を逃す。何度か後方で見守る海燕をちらと見たが、全く手を出す気は無いような様子に考えあぐねた。
 席官に上がってそう時間は経っていなかった千世へと与えられた、彼なりの課題だったのだろう。千世は彼女の動きを目で追いながら頭を悩ませたものだ。
 しかしそれは案外簡単な事で、彼女に気を遣わせない事であっさりと解決をした。彼女には好きなように動いて貰い、重要であったのはそれを汲んで千世が次の行動へと移す事で彼女の動きを制限しない事だった。
 彼女の能力は決して低くない。剣筋も判断力も、数年後には席官相当と言える冷静さと確実さがあった。彼女を補助するように動くことに徹すれば、難なく双頭はぼとりと砂煙を上げて落ちた。
 無事討伐を終えたあの時も、彼女は今と同じように申し訳無さそうに身体を縮ませて頭を下げていた事をよく覚えている。迷惑などと一度として考えたことが無かったというのに。
 彼女と会話を交わすようになったのは、それ以来だったように思う。会話の中で力なく笑う様子を見ながら、言いようのない寂しさを感じる。

「朽木さん、また一緒に稽古しよう」
「……はい」
「本当に思ってる?」
「お、思っております!」

 彼女は頷いて笑った。その笑みに滲んだ寂しさに、千世は不意に胸が締め付けられた。
 通常であれば極囚として厳しい処分が下されることを分かっているのだろう。しかし、少なくともまだ三十日近くの猶予は有る。
 その時遠くで、扉が軋む音が聞こえた。千世は慌てたようにその音のする方へ目をやる。まだ離れては居るが、少しすればこの場所へと及ぶだろう。

「ああそうだ、これ食べて」
「これは……饅頭?」
「そうなの、隊長へのお見舞い品で今隊にいっぱいあってね……こっそり食べてね」

 ぽかんとしているルキアの手に無理やり握らせると、そのまま千世は笑顔で手を振り逃げるように廊下を移動する。侵入した鉄格子を静かに外すと、外へと身体を押し出した。

 

 人目に付かないよう隊舎へようやく戻ると、自然とため息が漏れた。この一時間ほど、霊圧探知で常に気を張っていたせいだろう。
 廊下を進んでいると、ひと気のない隊舎の中何やら千世の執務室から、なにか物音が聞こえる。思わず身構える。千世の動きに気づいた者が、部屋を漁っているということも有り得るか。
 息を殺し、僅かに隙間の空いた襖からそっと覗くと、長椅子の上でなにやらもぞもぞ動いている。まさか、と千世は襖を開いた。
 そろりそろりと近づき、恐る恐る覗き込めば白い長髪が見えた。隊長、と思わず声を上げる。

「お加減はいかがですか」
「……正直なところ、かなり良くない」
「どうして出てこられたんですか……寝ていないと」

 浮竹はげほげほと咳き込み、夏だと言うのに彼は毛布で身を包む。まるで千世の帰りを待つように横になっていた浮竹は、かといって千世に何を聞くでもなく苦しそうに唸った。
 なぜ雨乾堂ではなく此処で。もしや待っていたのだろうか、と疑問は飲み込む。

「雨乾堂に帰られた方が良いのではないでしょうか……」
「そうしたいんだが、暫く動けそうにないんだ。少し休ませてくれるか」
「それは構いませんが……氷嚢を持ってきましょうか?」
「……悪い、頼めるかな」

 待っていて下さい、と千世は執務室を出て台所へと向かった。棚の中にあった氷嚢を取り出し、砕いた氷を流し込む。少し頬に当てると、ひんやりとして心地が良いものだ。
 執務室で相変わらず咳を繰り返す浮竹の額にそれを乗せると、心地よさそうにふう、と息を吐く。
 千世は床に腰を下ろし、浮竹の乱れた髪を整えるように背の方へ流した。

「長引きそうなご様子ですね」
「……ああ……こんな時に参ったよ」

 浮竹もまたルキアの一件で最も気を張っていると言っても良い。度重なる聴取と心労が祟ってか、先日彼女と面会した後から体調を崩していた。
 具合の悪い中を押してまで此処へ来たのは、やはり千世が六番隊の隊舎牢と向かっていた事を、何処からか耳にしていたからかもしれない。
 千世は少し身構える。次口を開いたときに、咎められるような気がしたのだ。しかし浮竹は特に何も言わず、氷嚢を額に乗せたままふう、と長く息を吐く。

「どうした、何か考えているようだが」
「ああ……いえ――そうですね。考えておりました」

 恐らく千世が今まで何処に居たかというのを彼は分かっている。だがどうやら、千世を咎めるつもりではないらしい。
 頭の中を占めるのは、牢の中にいた彼女のことばかりだ。彼女が何故聞いたことも無い罪状で捕らえられ、まるで極悪人のような扱いをされ、処分を待つ身とならなければならないのか。
 何もかも納得が出来ないが、しかし今の自分にそれを覆せるような力もない。ただ一人悶々と悩み、無力さを情けなく思う。

「考えるのは大事だよ。答えが出ようが、出まいが」
「答えが出なくてもですか」

 彼は笑って頷いた。千世は不思議な顔をしてその表情を見返す。

「それに答えは一つだとも限らないし、無いかもしれない」
「……そんな曖昧なものでしょうか」

 そう返した千世の声には、戸惑いが滲んでいた。僅かに目を伏せる。

「その先でどう在りたいか――決意か覚悟の問題じゃないかな」

 随分簡単な事のように言うものだ。浮竹は実に穏やかな様子で、千世にだけ聞こえるくらいの囁きに近い声量だった。

「では……どうすれば正しい答えに辿りつけますか」
「さあ。何が正しいかは、誰も分からない。その判断は結果論であることが多いから」
「……難しいですね。簡単に思えて」

 千世はただルキアをあの場所から救い出したいというだけの、実に簡単な話だ。だが己の立場に阻まれて、その簡単な事が出来ないまま足踏みをしている。
 浮竹はまた咳をした。千世は不安げに彼の姿を見守る。暫く咳き込んだあと、彼はゆっくりと息を吐く。

「どうなったとしても――納得が出来て責任が取れるのなら、それは正しいと言えるのかもしれないな」

 彼はそう微笑んだ。この会話に肝心の主語は無いが、恐らく同じ姿を浮かべている。氷嚢の持ち手を変えた彼の額から、水滴が一つ垂れるのを見た。

「朽木さんには、隊に帰ってきて貰います」

 千世、しばらく二人の間の言葉が途切れた。暫くそのまま俯いていたが、千世は変なことを言ってしまったかと恐る恐る目線を上げる。
 浮竹はきょとんとしたような表情で千世をじっと見つめている。その視線に千世は怪訝な顔で、どうしたんですかと堪らず返した。

「覚悟があまりに早いから、驚いた」
「……もともと決めていたことでした」

 千世の言葉に、浮竹は微笑む。
 温かく流れ込むような熱を含んだ眼差しだというのに、突き刺さるように真っ直ぐだった。いつも進もうとする道へ、そっと背を押してくれる。
 今日もまたそうだった。そっと目を閉じた彼に、千世は口元を緩ませる。深夜の瀞霊廷で唯一この部屋だけの時間が動いているような気がしていた。

 

願う星より掴む星
2020/07/09
加筆修正2025/05/17