運命の褪せる糸

おはなし

 

 千世はその日、月に一度の副隊長会議へ参加していた。副隊長同士が隊の任務遂行数や当月の目標、特筆事項などを報告した後は大体適当な雑談となる。厠を改修しただとか、最近の隊の雰囲気をポツポツと話して大体一時間ほどで解散となるのが通例だ。
 今日も会議は一時間弱で終了し、前回の議事録を手にして千世は席から立ち上がる。

「途中までご一緒しても良いですか?」
「ええ、勿論です」

 伊勢に声をかけられ、連れ立って歩く。副隊長会の後はこうして伊勢と二人で話しながら帰ることが多かった。

「伺いましたよ、浮竹隊長のお話」
「隊長のお話ですか?」
「はい、お見合いのお話です」
「………オミアイ…?」

 突然の伊勢の言葉に、千世の頭の中は疑問符で埋め尽くされる。まさか伊勢の言う「オミアイ」という言葉の意味は千世の知っている、結婚を前提に付き合い始める相手を探して一般的には初対面の男女のために設けられる席を意味するあの「お見合い」だとでも言うのだろうか。
 一通り考えた後にやはり意味がわからず、ぽかんとしたまま千世は伊勢の顔をじっと見つめた。一体何を言いだしたのだろうという気持ちだ。見合いなんて話、千世は何も知らない。

「お見合い…?浮竹隊長がですか…?」
「ご存知ありませんでしたか?今日がご予定だったようですが…」

 あまりに驚くと人というのは声が出なくなるようだ。
 千世が知る限りそのような話も素振りも何も無く、伊勢の話をはじめは半信半疑に思っていた。だが彼の年齢を思えばそのような話があっても可笑しくなく、考えるほどにその話を肯定する事実ばかりが頭に浮かぶ。
 思い返せば確かに今朝始業時間が過ぎているというのに彼の姿が隊舎にはなかった。具合が悪く雨乾堂に籠もっているかと思っていたのだが、まさか見合いに向かっていたというのだろうか。何より伊勢が不確実な話をするとは思えず、千世の額にはじわりと冷や汗が浮かぶ。

「その、どうして、どなたと…」
「実は先日京楽隊長と浮竹隊長のお話を偶然聞いてしまっただけなのですが…四楓院家の遠縁に当たるご一族の方のようです」
「それは、その…どういう経緯なのでしょうか」
「山本総隊長のご紹介のようですよ。良いお歳ですから、身を固めて貰いたいというご厚意のようで」

 頭からさっと血の気が引くような感覚だ。最近の浮竹の様子を目まぐるしく回想するが、やはりそんな様子は無かった。いや敢えて、そんな素振りを見せていなかったのだろうか。
 何とも無い振りをして伊勢の横を歩きながら、内心今にでも浮竹に根掘り葉掘りしないと気が済まない気分だ。だが、そう問い詰めた所で自分が勝手に傷つくような事実が語られた場合の精神的な逃げ道が全く思い浮かばない。
 山本総隊長の紹介ともなればそんなものはきっとほぼ命令に近いものだろう。断るなんて選択肢は無いはずだ。突然訪れた不意の失恋に、ただこれが夢であることを願う他無いような状況となった。

「でも、不思議です。どうして千世さんにお話されなかったのか」
「…私的なお話ですし、あまり…お話されたく無かったのかもしれませんね」
「そうでしょうか…なんだか、釈然としません」

 伊勢は眉を曲げる。浮竹は当然のように千世に見合いの話をしていたと思っていたようだった。釈然としないのは、伊勢からするとおそらく二人の間には隠し事があまり無いような関係に見えているのかもしれない。

千世さん…?顔色悪くありませんか」
「ああ…いえ、大丈夫です。昨日寝不足だったもので」

 伊勢は心配そうに千世の顔を覗くが、ひきつる笑顔を見せて大丈夫だと千世は答える。あまり納得していないような様子だったが、千世はしつこく平気だと答え続けていれば渋々彼女は八番隊舎方面の道へと消えた。
 とは言ったものの大丈夫ではない。正直、伊勢に抱えて連れて帰って欲しいくらいだ。
 一人真っ青な顔でよたよたと歩く姿はやはり異様なものに見えるのか、通りすがる隊士はぎょっとしたような顔で挨拶をする。大丈夫ですか、と何度か声をかけられたがそれに返事をする気力も起きず手を顔の前でぱたぱたと横に振って答えた。
 いつもの倍かかってようやく十三番隊舎に戻り、玄関で草鞋を脱ぎながら大きく息を吐く。腰を掛けると少し落ち着き、冷や汗のようなものも大分引いた。このまま自身の執務室で少しばかり休みたいのだが、しかしそれ以上に浮竹の様子が気になって仕方がなかった。
 果たして既に戻っているかは分からないが、隊首室へと向かう。副隊長会の議事録も渡さなくてはならないから、そのついでに様子を見るのだと自分に言い聞かせた。
 部屋の前に着くと、中から何やら物音がする。千世は外から僅かに緊張で震えた声で名乗ると、いつもの明るい声で入るように言われた。

千世、おかえり」
「戻りました。副隊長会の前回の議事録が出来上がりましたのでお渡しします」
「ありがとう、後で読むよ。…そうだ、美味しい煎餅を貰ったんだ。食べていかないか」
「……あ、いえ、…申し訳ありません…業務が立て込んでおりまして」

 千世は一瞬迷ったものの、どうも向かい合って茶菓子を楽しむ気にはなれず適当な理由を付けて断る。やはりまだ気分も優れず、顔色も良くないのが鏡を見ずとも分かった。
 浮竹の様子はいつもと変わらず、煎餅を手にぽりぽりと軽い音を立てている。これが見合いをした後の男の様子だというのだろうか。と言っても千世は見合いが一体どういう流れを持っているのかを知らないからどうこう言える訳ではない。
 ただ、人生が一変するような出来事の後の様子にしては、随分と呑気に煎餅を齧っているのが少しばかり解せなかったのだ。

「伊勢君から聞いたのかい」
「…えっ!?」

 じっと見られていると思えば、突然図星をつかれて千世はのけぞりそうになる。今の会話の中で伊勢に繋がる事は何もなかったはずだ。え、とかいや、とかもごもごと口にしていると、浮竹はふっと笑った。

「先日京楽と世間話をしていてね。伊勢君が近くで聞いていたのは分かっていたんだが…まあ良いかとそのままにしていた」
「そ、そうでしたか…」
千世には話していなかったね」
「…いやっ、それは、個人的なお話ですから…私にお話し頂くような道理は…」

 まさか相手の結婚という結末で、自分の淡い気持ちが終わりを迎えるとは思っても居なかった。色々と思い返せば、真央霊術院時代に初めて浮竹と出会ってからこれまで、その思いと共に生きていたと言っても過言ではない。
 急に彼が所帯を持つことになったから終わりだなどと、頭では分かっていても直ぐに折り合いがつく訳がない。今はただ事実を受け入れようとする事で手一杯で、この後の自分の気持の行方を考えられる余裕はない。
 今まで彼と過ごした日々がぽつぽつと思い出され、呆然としながら不意に目にじわりと涙が浮かび慌てて俯いた。優しさや、向けられる愛情に何度も胸をときめかせていた。決して向けられるものが恋愛のそれでないと分かっていながらも、もしかしてと勘違いをするのが何より楽しかった。
 もう少しばかりその高揚感や幸福を楽しんでいたかったが、今日でそれは終わってしまう。そうして感傷的な気持ちに浸り始めていれば、少しばかりばつが悪そうに浮竹が再び口を開く。

「断った」
「はい」
「断ったんだ」
「は………えっ!?」

 じわりと浮かんでいた涙がさっと引いてゆく。途端、散々悲劇的になっていた自分への羞恥が無限に湧いて出た。顔が真っ赤になってゆくのを俯いて隠しながら、言い得ぬ安堵感に満たされる。今まで止まっていた血液がようやく全身に送り込まれるような感覚で、息苦しさから早くも開放された。なんて単純なのだと、呆れたくなる。
 千世の想像の中では彼が小さな赤子を手に抱えている姿まで物語は進んでいたが、それは単なる想像で済んだらしい。

「元より断るつもりの話だったんだ。ただ元柳斎先生のご厚意もあるから、頭ごなしに断ることも出来ないからね」
「そ…そうだったのですか…」
「だから千世には敢えて話さなかった」

 そういう事か、と千世は合点がいった。菓子受けに入った煎餅を差し出され、千世は手に取る。身体というのは正直なもので、心配事が消えた途端に腹が減るのだから困る。口元に近づけると、醤油の香ばしい香りが鼻をくすぐった。

「しかしそんなとても良いお話を、どうしてお断りに」
「…良い話か。千世は良い話だと思うかい?」
「その…お相手は四楓院家遠縁のご息女とお伺い致しましたので…」

 とは言え、千世には浮竹が縁談を断る理由が分からなかった。言葉通り、決して悪い話ではなかった筈だ。下級貴族出身である彼は多くの家族を養っていると聞く。遠縁としても四大貴族の四楓院家との繋がりができることは、決して悪いことでは無いだろう。

「断った事で元柳斎先生を失望させてしまったけどな。だが好きでもない相手と名字を重ねてまで、褒められたくもないだろう」

 浮竹の言葉に、千世は頷く。好きな相手と結ばれる事になるのならば、それほど幸せなことはない。
 博愛主義のように思える彼だったが、好きな相手と結ばれたいという思いがあるような口ぶりに千世は多少驚いた。勿論人として感情を持っているのだから、誰かを好きになったり嫌いになったりするのは当然だ。そう分かっては居たが、実際にその口から聞くとどきりとする。

「こういった縁談の話も初めてではないからな」
「そうなのですか…?」
「この年になれば周りが勝手に心配してくれるんだ。良いお節介だよ」

 浮竹はそう言って笑った。千世が知らないだけで何度かそういう話があって、知らぬ間に破談にしていたのだろう。
 しかし確かに彼は子供の一人や二人居ても可笑しくないような年だというのに、何故今までそうして独り身を続けているのだろうかと度々千世も思っていた。交友関係も広く誰にでも好かれるような性格の浮竹ならば、今まで恋人の一人や二人居なかった訳では無いだろう。
 かと言って過去の恋人の話など聞くような勇気も、聞いたとしてその事実を受け止められる自信もある訳がない。ただ時々、優しさや気遣いに千世が一生知ることのない彼が過ごした過去を感じる事があって、その冷たい風が通り過ぎるような寂しさは、紛れもなく顔が見えない相手への嫉妬なのだろう。

千世は所帯を持ちたいと思うかい」
「わ、私…は、いずれ、お慕いする方とそうなる事ができればと…」

 急な問いに動揺をした。千世は口を閉じて俯く。自分の願望を本人の前で漏らすほど恥ずかしいことはない。
 彼は手元の茶をひとつすすると、千世の言葉に何を答えるでもなく一つ微笑んだ。どうしてそんな事を急に聞いたのかは与り知らないが、それを肯定も否定もされないというのはどうしてか千世は少し嬉しく感じた。
 ぽりぽり、と二人で煎餅を齧る音が部屋に響く。今日は天気もよく、鳥の囀りがちゅんちゅんと庭からよく聞こえる。それはいつもと変わらない、平凡な日常だった。

 

運命の褪せる糸
2020/05/18