片思い砂糖抜き

2021年6月16日
おはなし

 

 四月に入ると多くの霊術院卒業生がそれぞれの隊に配属され、瀞霊廷はにぎやかになる。まだ死覇装の袖が余っているような若い死神から、留年を繰り返しようやく卒業をしたベテラン風の死神まで多様だ。
 多くの隊では副隊長が研修を努め、一ヶ月ほどの研修期間を経てようやく一般隊士としての勤務が始まる。十三番隊では副隊長が長らく不在だった為、以来三席の二名が研修を行っていた。今年もそれに倣う事となったのだが、千世は時折研修の見学に道場や講義室を覗きに行っては清音と小椿にやめてくれと怒られていた。
 来年度からは研修は副隊長へ戻すと浮竹も言っていたから、その為にも様子を伺いたかったのだ。だが二人が言うには副隊長以上が現れるとどうしても新入隊士達がそわそわとして講習に身が入らなくなるらしい。
 思い出してみれば、まだ入隊したばかりの頃の千世にとって、副官の腕章と隊長羽織は見る度に胸がざわついたものだ。廊下ですれ違えば緊張で息が止まり、挨拶をすることだけで精一杯だった頃がひどく懐かしい。
 千世はぼんやりと自身の左腕についた副官証を見る。時折これが夢なのではないかと思う時が未だにある。

日南田か、こんな所で珍しいな」
「あれ、檜佐木君も珍しいね、こんな所で」

 薬草が必要となり瀞霊廷外れにある四番隊所有の山へと来ていたのだが、珍しい姿に思わず千世は立ち上がった。

「傷薬の軟膏を自作してるんだけど、薬草が足らなくなっちゃって」
「そうなのか、相変わらず豆な事してるんだな」
「結構好きなんだ。檜佐木君は?薬草目当て?」
「いや、瀞霊廷通信の取材だ。ここの山を紹介してくれって卯ノ花隊長に言われてな」

 確かに檜佐木の首にはカメラがぶら下がっており、手には何やら帳面を持っていた。大変だね、と千世が笑うと少し気まずそうに頭をかいた。
 檜佐木とは真央霊術院の同期生となる。学院時代から優秀だった檜佐木に比べ、千世の成績はあまり奮わず当時は同期生ながら遠い存在のように思えていた。

「研修ってもう終わったの?」
「ああ、もう先週終わってる。今年の卒業生は少し大人しい印象だな」
「へえ、そうなんだ。やっぱり代によって違うもんなんだね」
「なんだ、十三番隊は副官が研修しないのか」
「私昇進してからまだ一年だからね。来年から、って浮竹隊長が」

 そうだったな、と檜佐木は頷く。
 正直、今から憂鬱だ。人を教えるというのは大きな責任を伴う。それに何よりあまり人前に出て教授するような事は好きでも得意ではない。現場での指揮能力を買われる事が多く、千世も実際向いていると感じる。しかしそれと黒板の前で行う講義は別ものだ。
 だから時折清音や小椿の研修を覗きに行って今から準備を始めようとしていたのに、都度追い返されるのだからひどい話だ。
 自分が受けた研修の帳面はまだ残っているはずだが、記憶を引っ張り出しながらというのは中々骨が折れるだろう。

「なんだ、すげえ嫌そうだな」
「そうだね…私、あんまり人に教えるとかは得意じゃなくて」
「ああ…確かに昔から日南田は指示する方が得手だったな」
「昔から?そうかなあ…」
「そうだ、東流魂街の遠征実習覚えてるか」

 檜佐木の言葉に千世は記憶を辿る。恐らく五回生の頃の話だろう。
 一班五名の編成にて、東流魂街の外れに発生した虚一体の討伐が遠征の課題だった。成績順で実力が均等になるように編成が行われたため、千世は檜佐木と同じ班となったのだ。
 今思えば強力な虚では無かったが、当時の個人の実力では到底及ばず、檜佐木も含め班員は苦戦を強いられた。というのも全員が点数欲しさでひたすら攻撃を繰り出すばかりの状況になっていたからであって、泥沼になっていた状況から抜け出すには誰かしらが班員をまとめ上げるしか方法は無かった。
 恐らくあの遠征課題の本質は個人の実力ではなく、班員との連携協力という点であった。千世が才覚を発揮したのはその時からであったのかもしれない。結果、千世の指揮により討伐は間もなく完了し、前期試験を挽回出来る点数を取り無事進級に繋がった。
 細かい部分はすっかり忘れていたが、檜佐木の話で蘇った。事細かに覚えていた彼に感心しながらも、気恥ずかしい。

「檜佐木君、よく覚えてたね」
「当たり前だ、あの遠征の後すげえ反省したんだ」

 そうなんだ、と千世は笑うと檜佐木は不本意そうに口を結んだ。
 思い出話の熱の入りようからするに、彼にとっても多少影響を与えた出来事なのだろう。思えばあの出来事以来千世は多少の自信を持てるようになり、一時期は進級さえ危ういほどであったが、無事に良くも悪くもないそこそこの成績で進級、そして卒業をした。
 護廷隊に入隊してからはひたすら修練に明け暮れ、時折行われる研修や募集型の遠征にも積極的に参加を繰り返した。学生時代の不勉強さを嘆くこともあったが、その分を取り戻すべく人の何倍もの努力を続けたつもりであった。
 卒業と同時に席官入りをした檜佐木と比べ千世は一般隊士からの始まりだった。最も優秀だった同期生と比べるものではないとは思うが、それでも少なからず悔しい思いはするものだ。

「この山、具体的に何が凄いんだ」
「季節にもよるんだけど、とにかく自生してる薬草ときのこの種類が凄いの」
「へえ、そうなのか。日南田は昔から薬草に詳しいよな」
「良く覚えてるね。薬草学だけは成績良くて」
「ああ、覚えてる。一回漢方薬の調薬を教えて貰ったな」
「私から?そんな事あったかな…」

 よく細かいことまで覚えているものだと千世は感心する。大半をぼんやりと過ごしてしまったせいで学生時代の記憶がそこまで鮮明でないから、よっぽど印象深い事でないとあまりピンとこない。

「でも日南田、何で卯ノ花隊長と交流あるんだ。ここ、卯ノ花隊長の許可無いと入れないだろ」
「浮竹隊長のお薬を卯ノ花隊長が調剤して下さってるんだけど、それからなの」
「なるほど、そういう事か」

 千世の話で合点がいったらしい。辺りを適当に撮影する檜佐木の横で、千世はまたしゃがみ込み薬草の選別を再開した。こうして薬草集めが出来るのは、仕事も落ち着いている今ぐらいしかないのだろう。
 座学での研修の後、新入隊士は現世出張や討伐任務への参加、いわば実践研修が始まる。そうなれば必然的に増えてゆくのは報告書などの各種書類だ。また夜遅くまで朱入れと押印の日々が始まるだろう。
 千世は薬草の葉を数枚ハサミで切り採取すると、肩に掛けた小さめの布袋へ入れた。

「ああ、そうだ。この山イカリソウが自生してるんだけど、その葉っぱのお茶が浮竹隊長に好評だったの」
「イカリソウ?あんまり聞いたこと無いな」
「そう…あの辺り、そうこれ!滋養強壮に良いんだって」

 千世は膝程度の高さに小さな薄紫色の花を咲かせた植物に駆け寄り指をさす。この葉を天日干しして乾燥させ、軽く炒ったものを普通の茶の要領で飲む。
 以前薬を届けに来た卯ノ花との会話で滋養強壮に良いと聞き、早速浮竹にと用意したのだがそれが好評だった。千世も飲んだが多少苦味と青臭さは感じるも思ったほどえぐみは無く、比較的飲みやすい。
 薬茶である為時折浮竹は口にしていたようだったが、その残りも少ないという話を少し前に聞いていたのだ。イカリソウの細い茎をいくつかハサミで切り取り、もう一つの布袋へと入れる。

「仲が良いんだな」
「仲が良い?」
「浮竹隊長と日南田、仲が良いって話だ」
「えっ、…え!?なんで!?」
「何でそんな驚いてんだ、上官の仲が良いのは良い事だろ」
「いや、…うん、そうだよね」

 あからさまに動揺したような声を出したことを千世は反省する。同じような事を先日藍染から言われたばかりだったから、二重の意味で動揺をしてしまった。
 仲が良いか悪いかと聞かれれば勿論間違いなく良いのだが、実際それを指摘されるのはひどく心臓に悪い。隊の雰囲気の八割は隊長の人格と、残り二割は副隊長との関係性で決まると言っても過言ではない。だから隊士同士でそういう話が出回るのは不思議では無いのだが、面と向かってそう言われるとやはりどきりとしてしまうものだ。

「じゃあ、私はもう帰ろうかな」
「もう採取は終わったのか?」
「足りない分だけだったから…檜佐木君は?もう少し取材するの?」
「ああ、まあそうだな…ちゃんと記事にしないと卯ノ花隊長に顔向け出来ないからな…」

 千世は布袋の中身を確認して、うんうんと頷く。イカリソウの葉まで手に入ったのは幸運だった。じゃあね、と檜佐木に軽く手を降って背中を向けたが、間もなく名前を呼ばれ振り返る。
 どうしたの、と聞けば少し考えたように一瞬無言になり、それから一つ間を置いてから口を開いた。

「今度…何時でもいいんだが、その…傷薬の作り方教えてくれないか」
「うん、勿論。興味あるの?」
「興味…そうだな。日南田の調合なら、良いものだと思うから」

 その言葉に、少し照れくさく笑う。面と向かって言われると、どう反応すれば良いか分からなくなるものだ。
 それから数日後、発行された瀞霊廷通信を千世は浮竹から手渡された。折り目のついたページを開いてみれば、檜佐木渾身の薬草紹介頁の隅にひとつ、千世の写った写真が掲載されているのを見つけた。
 イカリソウの花を眺める横顔姿であったが、一体いつ撮られたものだったのか千世には全く覚えがない。恐らく、浮竹の事を話していた頃だろう。随分と穏やかに微笑んでいる。
 いい写真じゃないか、と笑う浮竹に千世は顔がみるみる赤くなるのを感じた。まさかあなたの事を話していたんです、なんて言ったならどんな反応をするのだろう。
 そんな出来もしない想像をかき消し、微笑む自分を頁の中に閉じ込めた。

 

片思い砂糖抜き
202005/08