明くる朝のあこがれ

おはなし

 

 現世にて不穏な虚の反応を受信したとの報告が十二番隊より上がり、急遽遠征部隊が組まれる事となった。部隊は一班五名の二班体制となり、第一班は三番隊副隊長吉良を班長とし、第二班には千世が班長として編成された。
 副隊長となってからと言うものの、日々机仕事ばかりとなっていた千世にとって寝耳に水の人事であり、任を受けたその後直ぐ慌てて稽古場に駆け込んだ。
 ここ最近は斬魄刀の機嫌も芳しく無く、自身と斬魄刀とを戦闘態勢に持ってゆくところから始めなくてはならなかった。
 一先ず斬魄刀の機嫌を取り戻せた所で時間は二時間ほど経っており、出立の時間まで間もなくとなっていた。身体の鈍りは自身が一番感じていることだが、後は実戦で徐々に感を取り戻すしか無い。
 部隊は急遽編成されたもので、実際どの手合であるかというのは全く分かっていない。受信した反応の大きさや数などを総合して副隊長が2名、また補佐として数人の席官と一般隊員が妥当と判断されただけである。
 しかし通常の虚と異なる変異体だった場合は、万が一という場合も考えられる。千世は急いで自室に戻り簡単に風呂敷に自作の傷薬や手ぬぐいなどを詰め込む。多少の傷ならすぐに治癒する優れものだった。
 この部屋へ次に帰ってくるのは一体何時になるか全く見当がつかない。風呂敷を身体へと結びつけ食べかけの菓子も飲みかけの飲み物も無いことを確認してから、そっと部屋を出て襖へと手をかける。
 だが間もなく、背後から聞き慣れた声が千世を呼んだ。

「浮竹隊長、ここは男子禁制ですよ」
「ああ…すまない、そうだったな。急いでいてすっかり失念していた」
「人目につくと大変ですから」

 急いで来たというのは本当なのだろう。乱れた髪を背中に流し、浮竹は苦笑いをしながら頭をかく。千世は再び自室の襖を開き、招き入れた。この部屋に別れを告げた後すぐに戻ってくるというのは、どうしてか気まずい。

「現世遠征だと清音から聞いた」
「はい、今朝方決まりました」
「詳細は分からないのか。正確な数も」
「そのようです。大きさと反応数からすれば、副隊長二名で問題がないとの事でしたが」
「万が一を考えて席官を付かせたのか。変異体の可能性も有るという事だろうな」

 腕組みをして唸る浮竹を、千世はぼんやりと見る。前回の長期遠征時にも同じような場面があった事を思い出す。
 長期遠征が決定されたのも今日と同じように早朝だった。大量発生した通常虚の殲滅が目的だった為今回のような盤石な布陣は取られず、各隊の五席以下の合計数十名で組織されたのだった。
 数ヶ月を予定する長期戦という事もあり、上位席官以上は選抜されなかったのだろう。数ヶ月間もの間上位席官に穴が空けば隊自体に影響が出ることが考えられる。そう思えばあの時の質より量の編成には頷けるものだ。
 あの日出立の前に念の為と浮竹へ挨拶に向かったがその際もずっと悩んだように腕を組んでいた。それはまるで遠征を止めさせられないものか、とでもいうような様子で、千世には良くその真意が理解できなかったものだ。
 今もそうだ。まるで遠征を止めさせられないものかというような様子で腕を組み悩んでいる。決定された任務を今更どうこう出来るような話ではないというのに、何の為だというのか分からない。
 部屋の時計にふと目を遣ると、もう集合の時間まで間もなくとなっている。そろそろ、と呟き千世は立ち上がりかけるとまさかの言葉にぽかんと口を開いた。

「俺も付くよ」

 何を言っているのだと千世は目を大きく見開く。今から総隊長に地獄蝶を飛ばすと言う浮竹を、千世は待ってくださいと止めた。恐らく前回の遠征が彼にとっての懸念になっているのだろう。前回に比べ、今回の遠征はしっかりと対策を取られている。不安は感じながらも、戦力的には問題がないというのは彼も分かっているだろう。

「い…いえ、それには及びません。三番隊から吉良さんも選抜されていますから大丈夫です」
「だが変異体の可能性も有る。隊長が一人同行すればより盤石だと思わないか」

 名案だ、とにっこりと笑う浮竹を見て千世は眉を寄せる。
 彼の言う事は分かる。変異体の出現率が格段に上がっている中、現世への遠征任務は千世自身も多少不安は残る。現在十二番隊で感知している反応からすれば二部隊編成は十分な戦力ではあるが、中規模戦闘が変異体の呼び水となる可能性は十分有る。
 だがそうして不安ばかりを重ねた所で何が起こる訳ではない。与えられた任務を与えられた人員で全うするのみであり、立場に相応しい成果を上げ帰隊する事が今千世が背負う仕事だ。
 隊長、と千世は呼びかける。向けられた目線を真っ直ぐに千世は返した。

「心配はご無用です。隊長は隊舎で私の帰りをお待ち下さい」

 言葉が案外鋭く放たれ、浮竹は僅かに目を丸くしたように見えた。思えば、彼に強く物を言う事は初めてだったかも知れない。言ってしまったという気持ちと、言わなくては気が済まない思いが混ざり何とも形容し難い気分の悪さだ。

「自分の力に慢心はしておりませんが、私を信じて頂けませんか」

 残る言葉を彼の目をまっすぐと見て吐き出せば、少しだけしんとした後に微笑む。

「自分の副官に説教されるとはな」
「いえ、説教というわけでは…」
千世の言う通りだよ。部下を信じずに隊長は務まらない」

 申し訳ないと頭を下げた浮竹に、千世は慌てる。そんなつもりで言った訳では無い。自分の中に残る僅かな甘えを捨て去る為だった。彼が同行するというならば、任務は忽ち片がつく事だろう。誰一人として怪我なく確実に帰る事が出来るに違いない。
 だがそれではきっと意味が無い。折角副隊長という立場を与えられ、今はその実力を求められている。護廷隊へ入隊しそれほど光栄な事は無い。
 任務となれば常に不安は付きまとうが、しかし少しでも彼が信じて待ってくれているというのならば少しばかり和らぐ気がする。またこの場所に帰り、彼の下で励む事ができるというのが今の千世にとっての生きる意味の一つであることは違いない。

「だが、そう答えてくれる事をどこか期待をしていた」
「期待…」
「言い訳に聞こえるかな」

 そう言って彼はふと微笑む。千世が明確に同行を拒否する事を、内心予想してはいたのだろう。
 副隊長へと昇進してまだ間もないが、徐々にその自覚が芽生えつつある事を感じている。昇進当初は動揺して自身の限界も分からないままひたすら職務に当たっていたが、彼の横に立つ時間が増えるにつれてその立場の意味をようやく理解しはじめている。まだ未熟者であることは分かっているが、未熟なりにせめて彼の隣に立ち恥ずかしくないよう在りたいと思う。

「折角お菓子の準備もしていたんだがな」
「本当に着いてこられるおつもりだったんですか…?」

 千世の言葉に、浮竹は笑う。
 立ち上がった浮竹は襖を開け、廊下へと出る。千世もそれに続いた。部屋の外はいつの間にやら春の陽気が心地よく、思わず息を大きく吸うとお日様のよい香りがする。眩しい日差しが庭に差し、もう間もなく桜のつぼみも緩み桃色の花弁を見せる頃だろう。

「全員怪我無く、帰還するように」
「はい」
「帰りを待っているよ」

 深く下げた頭を戻した時には、もう彼の姿は消えていた。まるで春風にさらわれてしまったかのように一瞬で、今まで会話をしていた僅かな時間が夢だったのではないかと思う。
 千世は一つ伸びをしてから屋根へと飛び移り、穿界門の方向へと走り出す。
 まだ耳の奥に残る優しい声を何度も反芻しながら、弾みを付けて春空へと飛び上がった。

 

明くる朝のあこがれ
2020/04/21