恋を捲る

2021年6月16日
おはなし

 

「えー!?それで何もなかったの!?」
「乱菊さん、しーっ、声が大きすぎ」
「ちょっと待って、男女が一晩を過ごして何も無いってどういう事?人智を越えてるんだけど」

 信じられない、と松本はしきりに嘆く。
 昼休憩で十番隊舎に呼び出され、強制的に先日の現世出張の際の話になったのだ。浮竹と二人で現世出張になったという話を、丁度その出張が決まった朝すれ違った松本に話していたのが原因だ。

「だって二人で隣同士で寝たんでしょ?仲居さんにお布団敷いてもらって、隣で」
「そうだけど…」
「その後の男女なんてやること決まってるでしょ!?何で普通に寝てるのよ、バカ!」
「いや、まず私と隊長はそういう仲じゃないし…」
「そういう仲じゃなくてもね、そこまで行ったら普通はそうなるの!」
「そうなんだ……」

 あまりの松本の勢いに、千世は萎縮しながら軽く笑った。
 あの日の夜は夕飯を食べた後お互いに大浴場に行き、大浴場から帰ると夕飯が片付けられ布団が綺麗に横並びで敷かれていたのだ。まだ浮竹の帰ってこない中千世が呆然と横並びの布団を見ていれば、まもなく戻った浮竹も一瞬その布団の様子を見てぎょっとした様子だった。
 軽く大浴場の感想などを会話をしたものの、どうしても二人の会話にぎこちなさが消えず、千世は早々に自分の布団へ潜り込んだのを覚えている。いつ寝てしまったのか分からないが気付けばもう朝で、浮竹は着替えて広縁の椅子に腰を掛けていた。

「はあーもうアンタってやつは、本当にバカ」
「な、何でよ!」
「だってね、良く考えなさい。千世と二人で一晩過ごすって決めたのは浮竹隊長なのよ。つまり遠回しにオッケーって意味に決まってるでしょ!?」
「そんなの分からないじゃん!浮竹隊長は優しくて…本当に優しいから私の我儘だと思って仕方なく聞いてくれただけかもしれないじゃん!」
「あーんもうなんか言ってやってくださいよ日番谷隊長」
「俺に話を振るなバカ」

 気づいてなかったが隊長席に日番谷が腰を掛けていたらしい。背もたれが大きいせいですっかり姿が見えなかったから油断していた。きっと話の始めから今までを聞いていたことだろう。だが、日番谷に聞かれた所で別に彼が言いふらすような人物でないことは分かっている。
 今までも散々この部屋で松本に浮竹のことを話していたのを何度も聞かれているから、今更どうこうということは無い。

「だって信じられないですよね?オッケーって意味ですよね?ねえ日番谷隊長?」
「うるせえ、じいさんの考えなんて俺には分かんねえよ」
「そこ、訂正してください!じいさんじゃないんですけど!」

 千世が急に騒がしくなると、日番谷は面倒くさそうにため息をついた。

「まあ、その話を俺と松本に置き換えたとしたら、俺は絶対に帰る」
「でっすよねえー?ほら千世、これが全く気のない男の行動」
「かと言って。浮竹の性格だ、部下の気持ちを無下には出来ないだろう」
「えー?私は逆に、浮竹隊長がもし千世をただの大切な部下だと思っているなら絶対帰ると思いますよお?」
「…日番谷隊長のおっしゃる事はとてもわかります」

 彼の優しさ故なのかもしれない。しかし事の本質は結局の所、彼自身に聞かなくてはわからないのだから困ったものだ。ここで話していたからと言って答えが出るわけではない。
 千世ははあ、とため息をつく。あの出張の後、浮竹とは変わらずいつもの通りだ。湯治が多少効いたのか、少し調子が良さそうにも見える。自ら隊員の稽古に顔を出したり、隊首会にもこの前は久しぶりの出席していた。
 千世の仕事量もこの所落ち着き、心の余裕が出てきていた。だがあの一件を思い出すと胸がざわざわとして集中力が著しく落ちる。同じ部屋で一晩を過ごしたというのに、浮竹は何もなかったかのような態度だ。いや、何かあったような態度を取られる方が困るのだが。
 そうして千世が勝手にあの日から今まで以上に彼を意識をしてしまっているから、その何とも無い態度にさえ胸をざわつかされてしまうのかもしれない。

「とにかく、千世。気持ちに整理つけたほうが良いわよ?最近すーぐ上の空になるんだから」
「そうだね…この前も朽木さん相手に初めて一本取られちゃって」
「あら、珍しい。千世、朽木相手には負け無しだったじゃない」
「そうなんだけど、なんだかぼーっとしちゃって」
「だから、そろそろ蹴りつけなさいって。あなた何十年片思いしてるのよ」

 松本の言葉に、そうだね、と千世はぽつりとつぶやいた。
 浮竹と初めて出会った日のことを時折思い出す。まだ真央霊術院の学生だった頃だ。六年生となり、霊術院初めての試みとして護廷十三隊への体験入隊というのが行われたのだ。適正を見て各隊に振り分けられ、千世は十三番隊へと配属された。
 数人の同級生とともに、当時席官だった志波海燕の後ろに付いて一週間ほどを過ごした。これといって大きな任務があるわけではなく、護廷隊としてのあり方を学び、稽古に参加をしたり、書類整理の雑務を手伝うなどが主な仕事だった。
 ある日、積まれた埃まみれの書籍を書庫へと運んだ際、書庫の奥で床にあぐらをかいて本を片手にうとうととうたた寝をしていたのが浮竹だった。隊長であることは、その白い羽織からすぐに分かった。加減が良くないという事で体験入隊をしてから一度もお目にかかれていなかったから、珍しいものでも見るように千世はまじまじとその姿を眺めたものだ。
 窓から差し込む日差しが彼の白い髪に反射してきらきらと、それは思わず見惚れるほどに美しかった。一体どれほどの時間その姿を眺めていたか分からないが、はっと目を覚ました彼と目が合った千世は慌てた拍子にバランスを崩し本の山に埋もれることとなった。
 本をかき分けて助け出されたものの、あまりに酷い埃のせいで二人でくしゃみと咳が止まらず、暫く隊の救護室で落ち着くのを待つ事になった。その時に初めて会話をすることとなり、柔和な雰囲気とその真に感じる強さに憧れを抱いた。
 それが彼と出会った初めての日だ。そこから何十年の歳月を経て、気付けば十三番隊の副隊長となっていた。それもひとえに隊長への敬愛と憧れがあったからだろう。何度も死線をくぐり抜けてきたが、常に隊のためならばと命を張ることが出来た。

「おかえり千世
「それは…湯呑みですか?」
「あ、ああ、そうなんだ。京楽にさっき貰ってね」
「素敵ですね、京楽隊長らしい柄で」
「そうなんだ。これはどうやら現世の益子焼という焼き物らしい」

 隊首室を覗くと、嬉しそうに湯呑を日にかざして見つめている浮竹の姿があった。相当に嬉しいようで、何度もその湯呑を回しては柄を楽しんでいる。

「少し重みがあるんだ。益子焼の特徴のようだよ。この色合いも良いな、味わい深いと思わないか」
「そうですね、深みがあって…青磁色は私も大好きです」
「そうだろう。この色味がとても気に入ったんだ」

 青磁色の中に、桜の花びらが描かれている。緑とも青とも言えないような不思議な色合いをしている。京楽にしては落ち着いた色合いだと思ったが、花びら柄というのが彼らしくある。
 千世が十番隊に言っている時同じくして浮竹も京楽と昼食をともにしていたのだろう。しかしどのような流れでその湯呑を渡されたのだろうか、全く想像がつかない。現世へ出張でも行ったのだろうか。

「…それで、これ」
「もう一つ…夫婦湯呑なんですね」
「…ああ、そうなんだ。それでこれを、千世に」

 机の上にあった空き箱と思っていた箱から、浮竹は一回りほど小ぶりな湯呑を取り出した。それを千世にと手渡す。大きさの割に確かに少しずっしりとする湯呑だった。同じ青磁青の花びらが描かれた湯呑だ。
 使ってくれという事なのだろうが、果たしてそこに何か意味があるのだろうか。湯呑を手に持ったまま、千世はぐるぐると考える。肝心の浮竹は千世に背を向けて居るから顔色が伺えない。

「良いのですか?」
「ああ、ぜひ使ってくれ。京楽も喜ぶ」

 背を向けたまま、浮竹は言う。いつも彼は真っ青な空のように真っ直ぐな言葉だというのに、今はどこか曇ったような印象を受ける。千世は瞬歩で浮竹の正面へと回り込んだ。

「何だ急に、驚いた」
「…どうして湯呑を私に下さったんでしょうか」
「どうも何も、俺一人じゃ一つで十分だからな。千世に片方を使ってもらおうと思ったんだ」

 それだけですかと聞くと、少しだけ間をおいてそれだけだ、と笑顔で浮竹は答えた。
 不思議な時間が流れた。何かを話そうか、どうしようかとお互いに様子を伺い合っているように感じる。千世は手に持った湯呑をぎゅっと握りながら、何度か決心しては口を閉じた。
 松本の言葉が頭をよぎる。彼女の言う通り何十年も片思いをし続けていた。でも蹴りを付けなさいだなんて、無責任なことを言うものだ。この何十年の思いを伝えた後、千世はどうすればよいのか分からない。それが首を横に振られることになっても、たとえ縦に振られることになってもだ。

「では、隊務に戻ります」
「ああ。すまないな、呼び止めて」
「いえ、それとこの湯呑、ありがとうございます。今日から使います」
「貰い物だがな、ぜひ使ってくれ」

 結局言い出せなかった。いや、心の底では言い出す気なんて無かったのだろう。隊首室を後にしながら、言いようのない虚しさをため息と一緒に吐き出した。

 

恋を捲る
2020.04.10