建前吹き替え版

おはなし

 

 今日は朝から酷い雨だ。相変わらず執務室に籠もりきりだったが、時間が経つほどに鬱屈とした気分に支配されてゆく。昼を少し過ぎた頃、雨の音にも飽き飽きして千世は財布を懐に入れ部屋を出た。
 珍しく今日は外に昼ごはんを食べに行きたい気分だ。隊舎の出口で傘を広げ、外に出る。いつもは屋根の上を伝って移動するのだが、雨となると憚られる。
 ここから数分歩いた四番隊舎近くに食堂がある。瀞霊廷内の食堂は人口に比べてあまり数がないからいつも昼時は満席になるのだが、丁度昼を過ぎた時間帯の上雨も降っている。人通りも少ないこの様子を見ると待つこと無く入れるだろう。
 案の定食堂内の人はまばらだ。売り切れてしまっている商品も多くあったが、千世の好きなきつねうどんはまだ売り切れの紙が貼られていない。
 この食堂は盆を持って移動しながら注文と受け取りと精算を行う様式で、現世のものを真似て作ったらしい。きつねうどんを注文をすると、厨房側では流れ作業のようにうどんが茹でられ、汁の中へと投入された。あついうどんの入った器が盆へと乗せられた後、ネギと天かすは自分で好きなだけ入れる事ができるようになっている。
 ネギは多めで三掬いほどして、天かすはひと掬いした。湯呑に茶を注ぎ、適当な窓際の席に腰をかける。手を合わせて一口すすった所で、隣の椅子が引かれて眉をひそめた。誰かがわざわざ千世の隣を選んだようだ。他に沢山席が空いているというのに、何故わざわざ隣に座ってくるのだろうか。
 顔をしかめたまま隣をちらりと見上げると、思っても居ない人物の姿に思わずむせた。

日南田副隊長、隣に失礼しても良いかな」

 五番隊隊長の姿に、千世は思わず立ち上がり深々と腰を折る。

「お疲れ様です」
「珍しい姿を見つけたのでね、つい声を掛けたくなったんだ」

 藍染に促されて千世はまた腰を下ろす。折角一人でのんびりとした昼食を楽しむつもりが、とんでもないことになってしまった。こんな事になるならば、部屋で握り飯でも食べていたほうが良かったと思う。
 言葉通り隣に腰を掛けた藍染は、盆に乗ったせいろそばを一口すする。言いようのない気まずさがある。霊術院時代には彼の授業を時々受講していたが、それは友人が彼にとても憧れていたからその付き合いだ。

「今日は彼と一緒ではないんだね」
「彼、ですか…?」
「浮竹隊長だよ。良く一緒にいるのをお見かけするからね」
「え…えっ!?」

 急に何かと思えば、人をからかうような事を言う。冗談を言うような性格ではないから、半ば本気で言っているのだろう。人当たりが良く、優秀で、人思い。あまりに完璧な彼の姿がどこか気味悪く見えて、千世はどうも苦手だった。
 千世の慌てようにそれ以上藍染は何を言うこともなく、一つ微笑む。まさか心のうちまで見えでもしているのだろうか、と一寸考えるが流石にそこまでの超人的な能力を持っているはずはないだろう。
 千世はそのまま無言でうどんをまた一口すする。折角の昼食だと言うのに、全く気が休まらない。特に話すことも無いのならば、気づかないふりをしてくれれば良かったというのに。

「副隊長に昇進してからの調子はどうだい」
「調子は…はい、頑張っていますが、まだ至らない点ばかりです」
「君は謙虚だね」

 やはり苦手だ。ひどく優しい声だというのに、その言葉をどうも額面通りに受け取ることが出来ない。
 それは本能的なものなのか、ただ単に千世がひねくれてしまっているだけなのかは分からない。ただ、多くの死神が藍染を好意的に受け入れている事を見れば、どちらかといえば後者なのかもしれない。

「先日の遠征の話を雛森君から聞いたよ」
「雛森さんからですか…?」
「そう、吉良君から聞いたようだ。君は指揮能力がとても優れているね」
「い…いえ、恐れ多いです」

 千世は身体を小さくして頭を下げる。褒められているのかどうなのか良く分からない。

「今度五番隊で勉強会を開くんだが、日南田君も来ないか」
「勉強会ですか…どのようなものなのでしょうか」
「定期的に開いているものなんだ。次回はまだ未定でね…そうだな、君を特別講師にして、乱戦時の統率術でも説いてもらうのはどうだろう」
「隊長は私をからかっておられますか…?」
「心外だな。僕は至って真面目だよ」

 そうですか、と千世は訝しげな表情のまま視線をうどんへと戻す。
 勉強会の話は何度か耳に入っている。副隊長や席官がこぞって参加をしていると聞いていて、実際に千世も何度か雛森から声をかけられていた。その度にやんわりと断っていたのだが、まさか当の藍染本人に誘われる事になるとは思わなかった。
 参加の可否を明確に答えないまま、またお互いに無言で麺をすする。どうも今日は味がしない。気分的な問題だとは分かっている。

「では、僕はそろそろ失礼するよ」
「もう戻られるのですか?」
「あまり日南田君の横で長居をしていると、怒られそうなのでね」
「怒られる…?」

 藍染の視線に誘導されてその先へ目を遣ると、盆を手にして何やら注文をしている浮竹の姿を見つけた。どうりで急に食堂がざわざわと騒がしくなった訳だ。隊長が二名も同じ空間に集まれば、何事かと思うだろう。
 やがて丼を盆に乗せて迷うこと無く二人の方へと向かってくる。目が合うと嬉しそうに片手を上げた。

千世は此処にいたのか、偶然だな!藍染隊長も一緒だったとは、珍しい組み合わせだ」
「偶然日南田副隊長をお見かけしたので、少しばかり話をしていただけですよ」
「そうか、もう話は良いのか?」
「はい。休憩ももう終わるので、僕は失礼します」

 そのまま盆を持って藍染はさっさとその場を立ち去った。千世は颯爽と歩く背中をじっと見送った。やはり、掴みどころがない人だ。心の内を相手に見せていると思わせるのがうまい。
 自分にだけ、そういう事を言っているのではないかという気にさせる。千世も瞬間的に危なかったと思うときがあった。彼をあまり好かない千世でさえそう感じる時があるのだから、そうでなければきっとすぐ魅了されてしまうのだろう。

「何の話をしてたんだ」
「特にこれと言った内容は…勉強会にお誘いいただいたくらいです」
「勉強会なんて開いているのか。彼は勤勉だな」
「私はそこまで勤勉じゃないので、行かないですけどね」

 千世はそう言って笑う。
 それにしても、珍しいものだ。浮竹は昼食を隊舎で握り飯や茶漬けなどで簡単に済ましていることが多い。こうして食堂に来ているのは、少なくとも千世が知る限りは一度もなかった。千世のたまたまと彼の気まぐれが偶然に重なるのはどれほどの確率だろう。
 親子丼を目の前に浮竹は嬉しそうに手を合わせて一口頬張る。うまい、と一言つぶやいてまた一つ口に運んだ姿を見ながら、千世もうどんを一つすすった。
 すっかりぬるくなって麺もふやけてしまったが、それでも美味しく感じる。藍染の横で食べていたうどんとはまるで中身が違うかのようだ。

「…あれ、今日は卯ノ花隊長主催のお茶会だとおっしゃってませんでしたっけ?」

 ふと千世は思い出す。先日訳あって不参加となってしまった浮竹の為にと、もう一度卯ノ花が茶会の予定を作ってくれた事を喜んでいたのだ。それが確か今日の昼だと聞いていた筈だった。
 浮竹は千世の言葉に突然むせ、慌てたように湯呑の茶を飲み干す。

「そう…だったんだが、茶会の途中で急に…ここの親子丼が食べたくなったんだ」
「そうなんですか…そんな事もあるものなんですね」
「そ、そうなんだ。茶会中というのは、その…味の濃いものを食べたくなるからな…」

 茶会というものを千世はよく知らなかったが、彼の言うとおりならば途中で抜けることも出来る随分と自由なものらしい。
 歯切れの悪い浮竹の言葉とは反対に、千世は頬を緩ませながら残りのうどんをすする。そんなめぐり合わせで、こうして昼食を共に出来ることが素直に嬉しい。
 隣でほっと安堵したような様子の人物の思惑などに気づくはずもなく、千世は最後の一口まで汁を飲み干した。

 

建前吹き替え版
2020/04/30