宵は覚めて夢は続く

おはなし

 

 休日前夜の瀞霊廷は、浮足立っていた。
 瀞霊廷内の居酒屋は賑わい、もう深夜近いというのにどこの店もまだ明かりがつき、がやがやと笑い声や怒鳴り声が漏れ出す。

「乱菊さあん、私どうすればいいんですかあ!」
「どうすればいいって、そんなの千世次第よ!さっきから言ってるでしょ!」
「だって、だって…」
「さっきからだってだって五月蝿い!背筋伸ばしなさいよ!」

 半泣きの千世は松本の言葉に半泣きのまま背筋を伸ばす。
 この席だけで見れば異様な状況だが、店内はどこもへべれけで酒を溢したり机をひっくり返す者や喧嘩まで始めている有様だから大した事ではない。唯一この席が浮いていることといえば、飲んだくれた女官二人に、うんざりとした顔で頬杖をつく十番隊隊長が居るということくらいだ。
 話はおおよそ三時間ほど前に遡り、千世が十番隊舎を訪れたときに始まる。明日が休日ということもあり、瀞霊廷内の居酒屋をもともと松本と二人の予定で予約をしていたのだ。
 そのためにいつも準備の遅い松本を迎えに行ったのだが、丁度その場に居た日番谷を松本が半ば強制的に連れてゆくと言い始め、引きずるように連れてきたのだった。
 かなり抵抗はしていたものの、逃げ出すまでもしなかったところを見ると彼も暇だったのだろう。

「隊長も、千世に言ってやって下さい!あんたが何もしない限り何も起きないって」
「だって、振られるの嫌だし…」
「まただってって言った!」
「だって!」
「ほら!」
「うるせえ……」

 初めは比較的真面目なものだった。来年の研修が不安だとか、先日の遠征の話だとか、そんな話を一時間ほどは続けていたのだが、松本が不意に浮竹との話に触れた途端千世の手酌が止まらなくなり、松本もそれに加勢するように呑み進めた。
 気づけば千世は泣きべそをかきだし、松本は説教を始め日番谷はひたすら手付かずの料理を口に運んでいる状況が完成していた。一度シメサバに箸をつけた途端に千世が私のだと喚いた時は流石に日番谷は帰ろうかと思ったものだが、この様子の二人を置いていくほど無責任にはなれなかった。

「じゃあ、私が振られたら、乱菊さんが責任取って」
「責任?とるとる!」
「日番谷隊長!この人適当なこと言います!」
「大体、告白する気なんて無いんでしょ?千世
「…それは…多分、そんなことしたら浮竹隊長、困ると思うから…」

 千世はすっかりしおらしく、俯いた。

「何で困るのよ。浮竹隊長、多分千世の事悪くないと思ってるわよ」
「それは、私の話しか聞いてないからだよ。私が都合よく話してるんだと思う…」
「二人の会話、実際に聞いてても思うわよ。二人の間の空気って、ちょっと入りづらいの」
「気のせいだよ…隊長、多分私のこと子供くらいにしか思ってないよ…」
「あーんもう!何この子めんどくさあい!この子の事誰が育てたんですかね?」
「浮竹だろ…」

 日番谷の言葉に、たしかに、と松本は半分眠そうな目で答えた。
 千世は尚も徳利から猪口になみなみと注ぐ。今にも突っ伏して寝てしまいそうな様子を見て松本が止めるが、それでも千世は口に運んで一気に飲み干した。

千世、あんた帰れんの?」
「帰れる」
「うっそお、どこから出てるのよその自信…」

 千世は据わった目で帰れる、ともう一度答えたが、間もなくゴンと音を立てて額を机にぶつけた。そこから起き上がることはなく、代わりにかすかな寝息が聞こえる。
 この状態になる事はおおよそ予想がついていた為、松本も日番谷も大して驚きはしない。ただこの後どのようにして女子寮に戻すかという所だ。この様子からするに松本にも千世を連れて自力で戻れるような期待は出来ない。
 着いてきてしまったからには多少の責任感を感じている日番谷は、呑んだくれた女二人を交互に見てため息を付いた。

「日番谷隊長じゃないか。まさか、酒は呑んで無いだろうね」
「…浮竹、居たのか」
「あ!浮竹隊長じゃないですかあ!どうしたんですか、こんな所で」

 突然現れたと思った浮竹は、どうやらこの店の奥にある個室での飲み会に参加をしていたようだった。ぞろぞろと数名が先に店を後にし、浮竹は集団に向かって手を降っている。

「ここで突っ伏してる子、誰だと思います?」
「ん…?」

 浮竹は顔を覗き込み、あっと声を上げる。すっかり熟睡した様子の千世に、浮竹はやれやれと笑う。

「浮竹隊長、この子持って帰って下さいよ」
千世…随分呑んだな…」
「そうなんですよお…一応お酒止めたんですよ?それでも呑むからもう帰りどうしようかと思ってたんです。ねえ、日番谷隊長?」
「俺はお前と纏めて置いて帰る気だったが」
「ひどーい!」

 ひどいひどい、と子供のように駄々をこねた後、電池が切れたようにぱたんと机に突っ伏して寝息を立て始めた。うんざりとした表情で日番谷はその様子をちらと見ると、浮竹の方に直る。

「浮竹、すまないが日南田を頼む。俺は松本一人で手一杯だ」
「すまなかったね。うちの副官が迷惑を掛けた」
「…正気に戻ったら、酒癖の悪さを注意してやってくれ」
「そうするよ…」

 浮竹は机に突っ伏してぐうぐうと眠る千世を軽く揺り起こす。目も開けずに適当な返事をする千世をどうにか誘導し、背中に乗せた。寝言のようにもごもごと何かを言っているが、何を言っているかは理解できない。
 店を出て暫くは静かになっていたが、規則的だった呼吸が少しだけ様子を変えた。目が覚め顔を上げ、きょろきょろとしているようだ。

「目が覚めたかい」
「…隊長……夢ですねこれは」
「はは、夢じゃないさ。日番谷隊長に怒られたよ。君の酒癖の悪さを直せと」

 素っ頓狂な声を上げ、混乱した千世は浮竹の背中でバタバタともがく。今までの記憶がすぐに思い出せない。はっきり覚えているのは、食べようとしていたシメサバを日番谷に取られたと喚いた所までだ。その後はぼんやりとした記憶だ。
 だから今浮竹に背負われている経緯が分からず、混乱が収まらない。誰かが呼び寄せたのか、そうだとしたらとんでもない事だ。酒癖の悪さで隊長に迷惑を掛けるなんてあんまりに副官としての自覚に欠ける。
 もがいて危うくのけぞりそうになった所で、慌ててまた背中にしがみついた。頭から落ちるところだった。

「すみませんでした…」
「気にするな。俺も丁度あの店に居たんだ。帰りがけに困っていた日番谷隊長を見つけてね。随分酒癖の悪い仲間が居ると思ったら、松本君と千世だった」
「そう、だったんですか…すみません…」

 浮竹はけらけらと笑う。やはり相当醜態を晒していたらしい。唯一良かった事と言える事は、誰かに呼び寄せられて現れたというわけではなかったという事だけだ。あの店は奥に個室を用意してるから、そこで宴会を行っていたのだろう。
 恥ずかしいのと惨めなのとで、朦朧とした頭が更にごちゃごちゃになる。だが何かを言い訳するような元気はなく、ぐったりと彼の背中に頬を寄せた。体温が心地よく、規則正しく訪れる揺れが千世の頭から眠気を誘い出す。申し訳ないと思いながらも、うとうとと意識は何度か途切れた。
 うとうととしながら、夢のように松本との会話が断片的に思い出される。酒の勢いを借りて、随分感情的になっていた。だが同時にすっきりしていたのも事実だった。限りなく本心に近い感情を吐き出していたのだろう。

「女子寮には入れないから、副隊長室まで運ぶよ」
「…っふ、はい…すみません」
「気分悪そうだな、平気か?吐きたい時は言うんだぞ」
「それには及びません、ので…すみません」

 一瞬苦いものがこみ上げた気がするが、深呼吸をして誤魔化す。吐くのは好きではない。吐き終わった後が最も具合が悪くなる。だからよっぽどの事で無い限り嘔吐はひたすら我慢をするようにしている。
 吐き気と眠気とを交互に迎えながら瞼を閉じていれば、何かふかふかとしたところに下ろされた。うっすら目を開けると、見慣れた執務室の机と山積みの書類が目に入る。長椅子の上に下ろされたらしい。

「水だ。飲むと良い」
「…すみません」

 ゆっくりと身体を起こし、湯呑に注がれた水を一気に飲み干す。不思議なもので、あれだけ水分を取っていたというのに喉がカラカラだった。無味無臭の水が喉をさっぱりと洗い流すように心地よい。
 水を飲み干してから大きく深呼吸をすると、先程よりも幾分気分がましになった。吐き出した息が我ながら酒臭く、思わず顔をしかめる。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「迷惑でもないさ。俺も隊舎に一度帰る予定だったからな」

 個人的な飲み会だったのだろう。よそ行きの着流し姿に中羽織が珍しく、ぼんやりと眺める。一瞬目が合うと、少し微笑まれた。いつもならば一瞬で顔を逸らすものだが、笑い返すくらいの余裕が今はある。
 やはりまだ頭は判然としない。思考回路がいつもの半分ほどの速度になっている気がする。言葉と頭と身体があまり一致していないような感覚で、長椅子に背中を丸くして座っている自分をまるで部屋の上から眺めているようだ。

「じゃあ俺はもう雨乾堂に帰るよ。具合は大丈夫か?」

 浮竹は立ち上がり、手持ち無沙汰に少し帯の位置を上げる。千世は首を縦にも横にも振らないでぼんやりと顔を見上げた。

「隊長は…」
「ん?」
「隊長は私の事をどうお思いですか」
「…どうしたんだ、急に」
「隊長は、私をいち部下とだけお思いですか」

 突然の言葉に鳩が豆鉄砲を食らったような表情で千世を見返す。その瞳の奥が僅かながら動揺した様子に、千世の胸はさざめき立った。
 言葉にしながら胸が詰まってゆくようだった。先程一瞬正気に戻りかけたものの、まだ酒は随分残っているようで明らかに気が大きくなっている。衝動のようにぼろぼろと零している言葉を頭では理解しながらも、止められる術が無かった。
 ついさっきまでは松本相手に泣きべそをかいて弱音を吐き続けていたというのに、我ながら情緒の上下には不安になる。捉え方によっては告白と言っても良いような言葉だが、浮竹は酔っ払いのうわ言のようにでも思ったのか、困ったように笑った。
 心拍数はもとより酒のせいで上がっている。突然襲ってくる眠気を何度も追い払いながら、浮竹の瞳をじっと見つめる。
 一度立ち上がった彼は、千世の横にその腰を再び下ろした。

「部下とは少し違うかも知れない」
「それは、どういう…」
「でも、大切な部下である事は変わりない」

 うーん、と千世は眉間に皺を寄せる。考えた所で思考がほぼ停止に近い状態だから満足な考えなど出るはずも無いのだが、その自覚がないから永遠に千世は考え続ける。
 酒に酔っていると理解しながらも、まだ頭の何処かは冷静だと根拠のない自信を持っている。そこからしてまず冷静でないというのに、しかしそれにもまた気づくはずもない。 

「何処が違うのでしょうか」
「んー、何処だろうな?」
「うーん…」
「こうやって、酔っぱらいの相手をしてやる所とか。かも知れないな」

 浮竹はそう言って笑った。千世は相変わらず機能を果たしていない脳みそを回転させようと、無駄な努力をし続けながら唸る。
 丁度深夜一時を知らせる壁の時計がカチリと鳴った。浮竹は立ち上がり、千世の頭を軽く二度、ぽんぽんと叩く。もう寝なさい、とささやくような優しい声が千世の頭に響いた。
 頷くのと同時に、段々と頭の電源が落ちてゆくのが分かる。空いた長椅子に横になると、間もなくぷつりと意識は途切れた。

 翌日、頭痛と吐き気で昼過ぎに目を覚ました千世は、昨夜の執務室での会話の記憶が鮮明であることに頭を抱えた。たいていはぼんやり止まりだというのに、昨日に限って浮竹の背中に揺られた帰路の辺りからの記憶が新しい。
 酒で此処まで失態を晒したのは、千世の記憶の中では今回が一番だ。思い出して真っ赤になる頬を両手で包みながら、長椅子の上で身悶える。
 つくづく、恋というのは面倒なものだと思う。通常であればし得ない行動を衝動のように起こしたりする。少しのことで不安になり、少しのことで未来を夢見る。
 だが何よりも面倒であるのは、その感情が今見る景色を何よりも鮮やかにしているという事だった。

 

宵は覚めて夢は続く
2020/05/15