君の君たる所以の光

おはなし

 

 木々が青々とした葉を揺らす頃、新入隊員の虚討伐任務への参加が徐々に開始されていた。
 暫くは雰囲気や様子を掴ませる為、見学という事で任務に帯同をしていたが実際に戦力としての参加は研修を終えてから数週経った今頃から開始される。と、いってもそれは隊によって異なり、十一番隊のように研修制度が無いような場合も勿論ある。十三番隊は研修から現場に出るまでの期間は比較的長めで、過保護だと揶揄される事も無いわけではない。
 今朝から千世は新入隊士三名と席官一名を連れ、流魂街での虚討伐の為隊舎を離れている。十二番隊の情報では通常個体の反応だという為、新入隊士の初陣としては丁度よいと今朝浮竹が決めた。
 通常個体である為、心配はしていない。千世一人でも問題ない程度だ、新入隊士を含めているとはいえ五人も居れば十分だろう。
 浮竹は隊首会に出席後、自室で書類の整理をしていた。予定であれば間もなく千世も帰ってくる頃だ。隊士毎にある評価表の記入方法を教えなくてはならない。
 とその時、バタバタと廊下を掛けてくる音が聞こえた。襖の向こうで小椿が名乗り、浮竹は入るよう促す。珍しく神妙な面持ちで顔を青くしている小椿の様子に手元を止める。どうした、と一言聞くと僅かに声音を揺らした。

「特別小隊補佐八席より日南田副隊長が負傷との報告、現在四番隊舎へ移送しているとの情報でございます」

 特別小隊とは今朝方編成した、新入隊士を含めた五名の事だ。思っても居なかった小椿の言葉にさっと青ざめるのが分かる。一つ深呼吸をし、浮竹は立ち上がり小椿へ身体を向けた。

「どの程度の負傷だ」
「申し訳ございません、詳細までは分からず…確認して参ります!」
「いや、良いよ仙太郎。俺が行く」

 報告を待つよりも自ら確認に出た方が早い。庭から屋根に飛び移ると、そのまま最短距離で四番隊へ向かう。
 千世は決して深追いをするような性格ではない。報告よりも力量が上回るような相手だった場合も独断で不利なまま戦闘を続けるような事はしないだろう。状況を見るまでは何も判断は出来ないが、四番隊へ移送されるという事はある程度深手を追った事は違いない。
 もしもが頭を過ぎり、一瞬視界が揺れる。四番隊舎が目に入り速度を上げた。
 隊舎前に降りると、間もなく護衛の者が救護室へと案内をした。千世の霊圧を僅かながら感じる。暫く廊下を進んでいると、卯ノ花の姿が目に入った。軽く頭を下げると、卯ノ花は憂いを帯びた表情で微笑む。

「浮竹隊長。いらっしゃる頃と思っておりました」
千世の様子は」
「生きてはおりますよ」
「それは…どういう事ですか」

 こちらへ、と卯ノ花が歩き出した後ろに着く。ほど近くにあった個室に千世は寝かされており、一見するとその様子はただ眠っているようであった。
 腕には点滴が繋がれており、随分と安定している様子に見える。

「息はありますが、眠っております」
「治療後という事ですか」
「治療はしておりませんよ」
「どういう事ですか?」
「戦闘中突然、眠り始めたようです。全身を見ましたが外傷は頬に一本、ここに。かすり傷ですが、恐らく対象虚の能力かと」

 千世、と何度か耳元で呼びかけてみるものの反応は無い。ただすうすうと穏やかに眠っている。一時的な気絶であればこうも熟睡はしないだろう。卯ノ花も色々と手を尽くしたようだが、千世が目覚めることは無かったと言う。
 人の形をして居ることに浮竹はほっとしていた。生きてさえ居れば良い。さらに目覚めて笑ってくれれば、それ以上のことはないのだが。

「魂魄は安定しておりますし、魄動、霊力も変化はありません。一先ずはこのまま様子を見る事しかできませんね」
「…そうですか」
「目が覚めるまで日南田副隊長は四番隊でお預かり致します。浮竹隊長は隊舎に戻られた方がよろしいかと」

 卯ノ花の言葉に、浮竹は一つ頷く。このまま千世の傍に居た所で目覚めることは暫く無いだろう。様子も確認が出来、多少は安心をした。
 急ぎ隊舎にとんぼ返りをする。隊首室に戻ると千世に帯同した八席が清音の横に腰を下ろしていた。
 報告は簡潔に行われた。現場に到着の後、新入隊士三名に虚を取り囲ませ、手足の切断を行った。予想外に虚が暴れまわった為、新入隊士を全員後方に下がらせ、千世が前線に出た。その際、切断済みであった左手が千世に向かって飛び出し、爪が左頬をかすった。
 その時点で異変を感じ隊士三名に瀞霊廷へ戻る指示を出し、対象虚を縛道にて捕縛。八席と虚を挟み前後に位置を取った際、突然昏倒した。術が解除され再び対象虚が暴れ始めた為、人命を優先と考え千世を抱えて帰還した。

「以上が、報告でございます」
「ありがとう、良い判断だったよ。…それと清音、十二番隊へ報告と調査依頼を頼めるか」
「はい、承知仕りました」

 落ち着かないまま、浮竹は部屋をうろうろと歩く。
 一人になった途端に、ひどい後悔が襲う。最近は変異体にばかり意識が向いてた所為で、通常個体に対しての危機感が薄れていた。もしもの事を考え、もう一名でも付かせるべきだった。それで結果が変わったかといえば分からないが、恐らく今ほどの後悔は生まれ無かっただろう。
 悔やんだ所で千世の意識が戻るわけではないが、思い返すほど自身の浅はかさには失望する。何度目かのため息を吐き、座椅子へと雑に腰を下ろした。珍しく苛立っている。
 それから暫く、事故報告書に筆を走らせてはため息をつくという事を繰り返していた。報告の内容を思い返すだけで、また苛立つ。それは紛れもなく自らの浅はかさへの怒りだ。
 それからしばらくして、隊長、と清音の呼ぶ声が襖の外から聞こえてはっとする。

「もう既に解析は終えているとの事で…」
「ああ、そうだったのか。流石だな、十二番隊は」
「ご説明したいのでお越しいただきたいと、阿近三席より」
「ありがとう、清音」

 清音の報告を聞き、浮竹は十二番隊へと早速向かう。
 技術開発局にある解析室の扉を開くと、阿近が気だるい様子で椅子に深く腰を掛けていた。

「どうも、浮竹隊長」
「阿近君、虚の解析結果が出たというのは本当かい」
「ええ出ましたよ。出た瞬間、涅隊長が飛び出していきましたから今頃は検体採取中でしょうね」
「さすが早いな…」

 未討伐だった虚の心配はもうしなくて良いようだ。再度編成を立てて討伐に向かわせるか、または自身で出向こうかと思っていた所だった。
 相手の能力が分からない以上、無闇に向かっては同じ轍を踏むことになるからこうして十二番隊の解析を待っていたのだが、思いもよらぬ展開となった。

「魂魄を休眠状態にさせる成分が検出されました。詰まるところあの虚は変異体です」
「当初は一般個体という話だっただろう。擬態していたのか」
「ウチの判定精度は高い筈なんですが…受信時点では一般個体だったものが、途中で変異した可能性もありますから。詳しくは涅隊長の検体待ちですね」

 休眠状態というのはまさに千世の様子に当てはまるものだった。仮死状態に近いのかも知れない。

「それで、休眠状態からの回復というのは」
「それなら平気ですよ。体内から成分が抜ければ…恐らく一週間もあれば回復します。恒久性は無いです」
「そうか、…よかったよ。ありがとう」

 阿近の言葉に、浮竹は静かに息を吐く。一番聞きたい言葉だった。全身に入っていた力が、ふっと抜けるような感覚が襲う。暫く緊張をし続けていた所為だろう。
 思わず地面に座り込めば、阿近は不思議そうな顔をして笑った。

 それから、毎日のように浮竹は様子の変わらない千世を見舞っていた。とは言ってもそれは瀞霊廷も寝静まった深夜だ。昼間は人も多く、あまりゆっくりと傍に居る事が出来ない。それに、毎日のように見舞っていれば流石に四番隊の人間に妙だと思われるだろう。
 千世の個室の窓はいつも換気のために少しばかり開いている。勿論不用心なことに鍵はかかっていないから、堂々と開き侵入する。

千世

 呼びかけても勿論返事はない。穏やかな顔で気持が良さそうに寝息を立てている。部屋の隅にある面会者用の折りたたみ椅子を寝台の横に開いた。
 仰向けのまま寝返りもなく、もう五日もこうして眠り続けているのだから不思議なものだ。阿近は一週間もあればとは言っていたが、果たしてその通りとなるかは分からない。
 今は十二番隊の解析結果を信じる他は無いが、もしこのまま眠り続けてしまったらと畏れる時がある。彼女をあの任務へ送り出したのは他でもない自分だった。通常個体であるという事を軽んじて、席官を一名しか帯同させなかったのも自分の判断だ。
 この五日、その後悔が止むことは無かった。そうして過去を回想し恨んだ所で千世への贖罪になる訳でもないというのに、そうする事である程度感情を保っているのかも知れない。
 布団の外に出ている点滴の繋がれた白い手は、月の光を受けていつもよりも青白く見える。そっとそこへ自らの手を重ねると、彼女の体温がほのかに温かい。

「君が居ないと、一日がひどく長いよ」

 独り言のように浮竹は言う。
 千世が副隊長になってからというものの、ほぼ毎日顔を合わせる日々だった。それは始めから、何の疑いもない当たり前の毎日だった。当たり前のことなどこの世には無いというのに、そう錯覚してしまったのは彼女がその心地の良い距離を保ちながら常に傍に居てくれていたからなのだろう。
 失ってからその大切さに気づくというのは、最も愚かであると知っていた。だというのに、今更になって自分にとって千世がどれだけの大きさを占めていたのかに気づく。
 彼女を守れなかった後悔と苦しさが、寝顔を見る度に募る。この温かな手だけが救いであり希望だった。
 間もなく宿直の見回り時間となる。窓から忍び込んでいる事がばれてしまえば、卯ノ花に説教をされる事は間違いない。浮竹は立ち上がり、握った手をするりと離しかけた。
 瞬間、僅かな力で手を握り返され浮竹は思わず息を止めた。ずっと閉じたままだった瞼がぴくと動き、時間を掛けてうっすらと開く。

「おはよう」

 浮竹の言葉に、千世はふっと笑う。
 当たり前のようにある幸せというのは、当たり前で無くなった時にその大きさに気づく。月の明かりにぼんやりと照らされた二人は、そのままじっと目線を交わらせる。

「おはようございます」

 柔く響いた彼女の声は、何よりも聞きたいと思っていた紛れもなく最愛のひとのものだった。

 

君の君たる所以の光
2020/05/21